三十六. 翌朝。 もうどこにも行かないから看病はいらないという巴を一人で寝かせたのが間違いだったのか、部屋を訪れると本人はおろか数少ない彼の私物も綺麗さっぱりなくなっていた。 がらんとした無人の空間を見渡し、皓司は軽く嘆息する。 巴が自分の意志で決めた事ならそれもよし。 ただ、そうするつもりだったのなら昨夜のうちに一言告げてくれてもよかったではないかと一抹の寂しさを感じた。兄と思ってほしいと告白までした間柄なのに。 「本当に不器用な人ですね。巴」 雪が降りそうだと誰かが言っていた通り、夜中に猛吹雪が江戸を襲ったらしい。壁や窓から入ってくる隙間風が布団ごと人間を凍らせるようだ。 もぞもぞと身を縮め、掛け布団を体に巻きつけて寝返りを打つ。 隣の奴の上に座礁した。 「……悪い」 気づかないで熟睡しててくれと心の中で祈りつつ、一応布団から顔を出す。 虎卍隊の隊士はちょっとした事でも何かと面倒臭─── 「い……あ、青山さ……ッ!?」 寒さも眠気も一瞬で消し飛んだ佐野は、慌てて自分の口を塞いだ。 なんでそうなるのか、自分と隣の奴の間に簀巻き状態の巴が寝ているのだ。 ほぼ畳の上で、簀巻きの掛け布団はどこから持ってきたのかと思えば何のことはない、隣の奴がこれ以上縮まりようがないほど縮こまって敷布団の下に潜っていた。寝ぼけて彼の布団をかっぱらったらしい。取られた方も大概寝ぼけているが。 「青山さん、部屋違うでしょう……何してるんですか」 誰にも気づかれないよう小声で耳元に囁くと、巴は寝ぼけ眼をこすって瞬く。 「いや、ここで寝る……」 「いや、ここじゃありませんって……。もうヒラじゃないんですから」 「いや、戻った……」 「いやいやいや、戻ってほしいのは意識です! 起きて下さい!」 平隊士の頃の夢でも見たんだろうか、確かに巴の部屋割りはここで寝場所は自分の隣だったわけだが、そして寝起きの巴ほど話が通じない奴はいなかったわけだが。 「何だよサノッチ、うるせーぞ」 向かいの奴に投げられた枕でそいつの顔面をぶっ叩き、助けを求めた。 何人かが異変に気づいて起き出す。もう虎でも豚でもいい、この状況を説明してくれ。 「あっれ……巴御前? どした、誰がこんな簀巻きにしたんだ」 「簀巻きじゃなくて中身に驚け!」 まだ寝ぼけた顔で「戻った」とうわ言のように繰り返す巴を布団ごと抱き起こして脇に担ぎ、部屋を飛び出た。誰か、誰かいないか……そうだ、広間なら早起き組がいる。 階段を駆け下りて最後の五段をすっ飛ばし、閉じている障子を破り倒した。 「誰かいますか!」 「おや珍しい。いつもより半刻ほどお早いですね」 「佐野、天引きだよ」 火鉢の炭を起こしていた皓司が振り返る。助かった。 が、隣の圭祐に障子代を天引きされた。助からなかった。 「あ、青山さんがうちの部屋に転がり込んでまして……」 「斗上、大変だ!」 説明し終えないうちに血相を変えた浄次が飛び込んできた。正確には廊下で滑って転んで柱に激突し、跳ね返って広間に入ってきた。今日は凍結注意だ。 「どうしました」 「あ、青山が平に戻ると降格願を置いていって……」 簀巻きの中身に気づいた浄次がはたと動きを止める。 皓司は火鉢の上に鉄瓶を載せ、したり顔で頷いた。 「という事ですので佐野は物置の布団を一組運んで下さい。その掛け布団はどなたのですか」 「は……鳥居のです」 「では布団だけ彼に返してあげて下さい。巴はここに置いて結構です」 ここに、と自分の膝上を示して嬉しそうな顔をする皓司の思考が理解不能だ。 全員が広間に揃うと、巴が唐突に両手を突いて頭を下げた。 朝食の前に少しだけ時間をくれと言う彼に、一同が下座の最奥を見る。 遠征の報告などは寝起きでも淀みなく口から出てくるのに、意識して喋っているらしい今の巴の言葉は途切れ途切れでたどたどしい。 だが、二度と間違わないようにと一語一語をゆっくり噛み締め、懸命に伝えようとする真摯さは十分すぎるほど伝わってきた。 「自分には、隊長役は務められない。大勢の命を預かることはもちろん、人として…経験不足だと、未熟なんだと分かりました」 いつもなら野次を入れたがる虎卍隊もおとなしく、何故か正座で黙っている。 「辞めようとも考えたんですけど……その、辞めるのは簡単なことだと思って」 圭祐が一瞬きょとんとし、すぐに顔を綻ばせた。 「もう一度最初からやり直して、二度と同じ過ちは犯さないと……誓って、努力します。だから、ここにいさせて下さい」 「いさせて下さい、じゃないだろう。駄目だよ」 隆の声に巴が初めて顔を上げる。 「ここにいたい、と可愛らしくおねだりして下さらねば認められませんね」 「皓司。頼むから俺の発言を邪魔しないでくれ」 「何ですか、言いたい事は同じでしょう」 双璧のくだらない争いが始まったのを幸いに、浄次は自分の薄い存在をアピールするかのように大きく咳払いした。 |
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