三十二.



 野生の、獣。
 そんな風に思われていたことに衝撃を受け、自然と指先に力が入る。

 他人からどんな風に見られているかなど気にしたことがなかった。「人殺し」と罵られようと、実際に人を殺している。だから何とも思わない。「薄情」と蔑まれようと、それも本当のこと。
 なのに「獣」と言われて、どうしてこんなにも苦しいのか。

「隠密衆は獣の群れではない。獣に喩えられる事はあっても、獣ではない」

 それは、分かる。

「しかし今のお前は獣だ」
「───どう…してですか」
「己の身ひとつ、それ以外に守るものが見えておらぬ」

 まもる、もの。

「お前は何の為に強さを欲した?」

 “何の為に刀を振るうのか”
 そう聞かれれば強くなりたいからだと返すつもりだった。昔と同じ答えをする自分に、今なら何と言ってくれるだろうかと。だが、質問が違った。

 何の為に、強さを?

「強くなりたいと言ったお前に、ならば強くなれと私は答えた。見るに強くなりはしたが、その強さとは何の為のものか」
「それは……」

 誰にも迷惑が掛からないように。
 誰の足手まといにもならないように。
 二度と誰かの玩具にならないように。
 手に入れた自由を誰にも奪われないように。

 ただ、それだけ。

 守るものは、自分だけ。



「この世というのはな、巴。人と人の心が和合あるいは反目しながら、数珠繋ぎになって創られてゆく。己の力だけで生きていけるのは獣のみだ。人には人がいなければ生きられぬ」

 いつかに上杉が似たようなことを言っていた。
 人類が滅びた世界で唯一人になっても、あんたなら何不自由なく生きていけるだろうと。
 自分には到底無理だと。
 無理だと言うわりに満足そうな目をしていた。
 人間であることの実感だったのか。


「生き辛いと感じる事さえ出来ぬお前が不憫でならぬ」

 そうして、ふわりと羽織を掛けられた。

「だが、もう独りではなかろう。共に生きて同じ道を歩む者達が傍にいる」
「…………」
「傍にいるのに誰もいないかの様に振舞うお前は、自立ではなく孤立しているだけだ」


 ああ、そうか───。
 思い当たることが多すぎて、何度も同じことを言われてきたと気づいて、みんな忠告してくれていたのだと知って、その意味を理解しようとしなかった自分がどれほど最低だったかを自覚して。

「でも…もう、遅い……」
「命がある限り何度でもやり直せる。取り返しがつかないのは誰もいなくなった時だ」

 その証拠に、と門の方へ目を遣るその人の視線を追うと、傘が見えた。

「さあ、帰りなさい」






 門の脇に立っていた人が傘を傾けて顔を覗かせる。薄く積もった雪が流れ落ちた。
 この人も、長い間ここで待ってくれていたらしい。

「お説教は終わりましたか」

 可笑しそうに尋ねてくる皓司の顔が二重に見えた。途端に膝から力が抜け、一瞬意識が飛ぶ。

「まだ傷口も塞がっていないのにこんな遠くまで家出して」

 支えられた身体をゆっくりと下ろされ、そのまま地面に座り込んだ自分の前で皓司が背中を向けた。屈んで背を向けられても、何をすればいいのか分からない。

「ほら、お乗りなさい」
「乗る……?」
「おんぶですよ。知らないのですか」

 おんぶ、と口に出してみると、それは得体の知れない妖怪のような響きに思えた。背負ってもらう事だと理解するまでに時間がかかったのは、その妙な響きのせいだろう。

「いや、自分で歩きます……俺、着物が濡れてるので」
「ではこうすれば問題ありませんね」

 言うなり、皓司は差していた傘を真っ二つに圧し折ってしまった。

「これで江戸に着く頃には私もびしょ濡れですから、気にせずお乗りなさい」

 従わなかったら次に何をするか想像もつかない。
 しかし怖いという事だけは分かった。

 遠征ですら誰かに背負ってもらった事などなく、どうやって乗ればいいのか手間取っているうちに腕を取られてひょいと担がれる。意外に、大きな背中だと思った。




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