三十. 「改めて御紹介致します。お二人とも、術を解いて頂けますか」 皓司が庭へ向き直ると、いつの間にか縁側に腰を下ろして猫と戯れていた黒衣の男がさも残念そうな顔で黒猫を放す。その雰囲気たるや、戦場で見たあの神々しさが幻のようだ。 隆は内心がっかりしている自分に苦笑する。 こんな男に手も足も出ずあっさり負けたのか。どうせなら非の打ち所のない完璧な魔物でいて欲しかったような、何とも複雑な心境。 「はいよ。あそーれっと」 女の珍妙な掛け声で二人の姿が水鏡に映ったようにぐにゃりと歪む。 もやもやと揺れる人影が次第に元に戻っていき、ついに彼らの真の姿が─── 「……え?」 「あ……姐御ーッ!?」 「すすす朱雀さん!?」 なんと黒衣の男が沙霧に、藍色の髪の女が朱雀に姿を変えていた。 見間違いか人違いではないかと何度も目を瞬いて凝視する。 銀色の髪に真珠のような肌、異国の血を引いた風貌に碧玉の瞳、そして猫に目がない。 なるほど、よく見知った貴嶺 沙霧その人だ。 真紅の髪に果実のような肌、この世に在らざる風貌に金色の瞳、そしてざっくばらん。 なるほど、よく見知った四神の朱雀その人だ。 なるほど、なるほど───なんて悠長に感心している場合ではない。 「皓司。敵が貴嶺さん達だったなんて聞いてないよ」 「そうだそうだ! 聞いてねえ!」 虎卍隊の隊士が揃って野次を入れる。 「ええ黙っておりました。共謀者とはいえ殿下には貴重な敗北を味わって頂きたく」 「そうだそうだ! 共謀者には貴重な敗北を……ん?」 虎卍隊の隊士が揃って首を捻る。 「共謀者、って……隆さんもグルだったんスか!?」 「あ、あーあははは」 「アハハじゃないっスよ! だーっもうマジ騙された!!」 宏幸を筆頭に虎卍隊の面々が畳でのたうち回り、氷鷺隊は口を開けっ放しにしたまま放心状態。龍華隊はなぜか全員が沙霧の前で土下座していた。 「企画を立てたのは私で段取りは殿下の発案です。敵役はこの通り貴嶺さんにお願いしました。我々を凌ぐ強敵でなければ話になりませんのでね。しかし男性でも麗しい御姿でしたね」 後半の恍惚とした感想はさておき、共に計画しておきながら肝心の部分を騙されていた事に少し腹が立つ。 巴が出陣した遠征の後に情報を交換するべく、沙霧とは何度も会っていた。それなのに皓司も沙霧も「敵役は妖魔です」としか教えてくれず。沙霧の昔馴染みか何かだろうと思っていたのだが、まさか本人とは。 「貴嶺さん、ずいぶん本気でやってくれましたねえ」 「本気? 力はかなり加減してましたが」 「……あれで加減してたんですか?」 「加減してなきゃ今ごろ箱根そのものが消し飛んでるって話。なー沙霧」 宏幸の頭を肘置きにしている朱雀が横槍を入れてきた。 当然、朱雀が敵として参戦する事も聞かされていない。「小面をつけた女」もまた本物の妖魔の一人だと信じて疑わなかった。 「そだ、山ごと結界張ってたから土地は無傷だぜ。隆が落っこちた崖も結界の中ってこと」 そして皓司の言った通り、見事に敗北を味わったわけだ。 妖力を解放しなくても桁違いの力を持つ沙霧に人間の自分が勝てるはずもない。策士 策に溺れるではないが、共犯者に油断してまんまと皓司の悪戯に嵌められてしまった。 「あのー、朱雀さん。カミサマって人間を別のモンに変えちゃったりできるんスか?」 肘の下からの質問に朱雀が首を傾げる。 「人間をカエルにするとか? できるけどやっちゃダメ。なんで?」 「あれ、そんじゃ姐御が男の妖怪になってたのは……」 「妖怪じゃなくて妖魔な。沙霧は妖魔だから自分で変身してたんだよ」 畳でのたうち回っていた虎卍隊が一斉に身を起こして今日何度目かの「えーっ!?」を連発し、見事な合唱力を披露した。こういう時だけ凄まじい協調性を発揮する。 「姐御って妖魔だったんですか!? 胃袋が妖怪並みってのは知ってますけど」 「前世が妖魔で、記憶と力を持ったまま人間に生まれ変わっただけだ」 今はほとんど妖魔になっているらしい、と他人事のように説明した沙霧は、ひとつあくびを漏らして皓司に暇を告げた。 「私達はもういいでしょう。眠いので帰ります」 心底から眠そうな顔でふたたび大あくび。そんな素直さが沙霧の可愛いところであって、やはりあの黒衣の男がイコールだとは考えたくない。 「長期間お付き合い下さって有難うございました。後日改めて御礼に伺います」 皓司の返事を一瞥で流した沙霧は、黒猫の頭を撫でて庭に下りた。その姿がゆらりと青白い光に包まれる。妖力を使って帰るのだろう。歩くのも億劫なほど眠いようだった。 朱雀が紅色の鳥に変化し、衛明館の上空に飛び立つ。 「巴の事、よろしくお願いします」 消える瞬間、誰にともなくそう言い残して沙霧は闇に溶けた。 「いまでも巴の事は自分の責任だと思ってるのかな」 「失望したとは言わないあたりが貴嶺さんらしいですね」 沙霧にとって巴はかつての部下であり、隊長役の後任に推薦した立場でもあり。 けれど彼女は一度ここを退いた身、自分から世話を焼くようなお節介はしない。 だからこそ歯痒くもあるのだろう。 「貴嶺さんは優しいねえ」 皓司と二人で笑っていると、隊士達の猛烈な視線が集中した。すっかり種明かしを終えた気分でいたが、巴についてはまだ何も話していなかったと気づく。 冬の夜は静かで温かい。 火鉢と酒を囲みながら、今年一番の笑い話を作るとしよう。 |
戻る | 進む |
目次へ |