二十九. 亡霊達を前に、浄次は痛みも疲れも忘れてひたすら呆然と立ち尽くした。 見慣れた空間、見知った面々。しかし、だがしかし……だ。 死んだはずの当人にもよく分からない状況のようで、次第に広間がざわめき始める。どうやら自分と巴が帰ってくる少し前に亡霊達も目覚めたらしい。 「おまえ三条河原で死んだんじゃなかったのかよ。今までどこにいた?」 「オレ死んだのか!? 遠征の途中からさっぱり記憶がない……。詳しい事は帰ってから聞けと言われて、気づいたら他のやつらと一緒に我躯斬龍でべしゃっと」 「ていうかアタシの美顔が元に戻ってないわ! 大変よ!一大事よ!」 「……剣菱は元からそんな顔だったろ」 「記憶がないのは本当らしいわね。ちょっと殴ってあげるから頭貸しなさい」 詳しい事? 誰にそう言われてここへ「帰って」きたのだ。神か閻魔か? それを「誰に」聞けと? 敵の素性や事の顛末を知っている者がここにいるのか? いるとすればそれは、敵と通じた裏切り者というのでは─── 裏切り者。 この中でもっとも信用の置けない者。 ちらりとその方を見てしまった。 はたと目が合う。 彼はその冷たい眼を細め、かすかに笑った。 辻褄などいちいち確かめるまでもない。最初からこの男は傍観に徹していたではないか。 「さて、皆揃ったところで御紹介したい方々がおります」 視線を外した皓司が庭に向かって軽く手を叩く。すると黒い影がふたつ、たしかに衛明館の二階から降りてきた。 「な……貴様ら……」 「あーっ! てめーこの野郎、左利きのくせに右使いやがって!」 「ちょ、高井さん待て!」 軽やかな鈴の音が闇夜に響く。黒衣の男と妖しの女が、そこにいた。 まずい。 隠密衆のねぐらといえど曲がりなりにも城の一角、こんなところで派手な攻撃や妙な術をぶちかまされてはひとたまりもない。 「はぁーい、軟弱な子犬ちゃん達」 女が場違いなほど人懐こい笑顔で手を振る。その横では黒衣の男が目を光らせ……否、何故か背を向け、長身を折り曲げて屈んでいた。亡霊一同もさすがに唖然とする。 「ちょいと黒。何してんだよ」 「可愛いのがいた」 「はぁ?」 女でなくとも「はぁ?」の心境だ。 しばらくして立ち上がった男が何かを抱えたままこちらを向く。その腕には、猫。 「こちらがご協力頂いたお二人で」 と皓司が言い終えぬうちに間近で鋼の音がし、まさかと振り返った時には満身創痍の巴が抜き身を構えていた。 立てる力が残っていたというより、それは執念だ。黒衣の男の気配を察知して身体が無意識に反応したのだろう。足元はふらつき、焦点も定まっていない。 ぱたぱたと畳に落ちる自らの血を踏みつけ、巴は全身で殺気を放った。 「協力、って…どういう事ですか……斗上さん」 黒衣の男ではなく皓司の方へふらふらと歩いていく。 「それを今からご説明しようと」 「敵か、味方か、それだけで十分です。今さら説明なんか……」 止めるべきか、否か。 「では聞きますが、貴方は一度でもここにいる者達の味方だった事があるのですか」 ふらついていた巴がはっと瞠目して足を止めた。 皓司の声音がそれまでと打って変わったように低く冷たい響きを放つ。 「今回の一件、策謀したのはこの私です。そちらのお二人からも聞いたでしょう、狙いは巴一人だと。敵か味方かというなら私は貴方の敵です」 広間の誰もが驚くより早く、巴が皓司に刀を振り上げていた。 刹那、横手からひらりと躍り出た女が巴の身を蹴り飛ばして皓司の前に立ち塞がる。 「まったく、救いようのない阿呆だねえ。話を聞けっての」 「御前……! あ、気絶しちまった」 受け止める形でもろともに倒れ込んだ虎卍隊の隊士が巴を抱き起こし、出血量の多さに奇声を上げて圭祐に助けを求めた。 次から次へと吃驚の連続で、浄次は眩暈を堪えながら頭の中を整理する。 京から始まった一連の虐殺劇は巴一人を狙ったものである、と。 断じて隠密衆そのものを狙っていたのではない、と。 そこまでは報告と合致している。だから巴を連れて箱根に出陣すると宣戦布告したのだ。 しかし事実は思ってもみない方向に転がった。 皓司が仕組んだ事だというのだ。 何事かは知らないが、巴に恨みがあるならわざわざ遠征を利用しなくてもよかったはず。皓司なら何食わぬ顔で飯に毒を盛るぐらい容易い事だろう。そんな姑息な手を使わなくても一対一で斬り合えばどちらが勝つかは歴然。 なのにあえて自らの手は汚さず、協力者を雇って遠征を利用し続けた。 最初の三条河原で交戦しておきながら何故殺さなかったのか。 上総でもそうだ。戦の中で巴を消したかったのならいくらでも機はあった。 意味不明だ。 これでは皓司の敵が巴であると同時に、隠密衆の敵は皓司とも言える。 隊士は私怨の巻き添えを食らって死んだ事になるわけで、いや死んでいなかったのかもしれないが、いやいや死んだ魂が姿を現しているだけかもしれないが、いずれにせよ組織的に被った被害は大なり小なり黙認できるものではなかった。 |
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