二十七. 完全に踊らされていた。 今までの接戦は挑発に過ぎず、周りの人間を消して追い込めば悟るとでも思ったのか。 何を問われたかも知らないのに、答えなど分かるわけがない。 刀以外の装備を全て捨てる。雨水と血が口に流れ込んできた。噛み締めた奥歯が軋み、喉から漏れてくる自分の唸り声を頭の奥で聞く。耳鳴りのように響いて止まないそれの中に、甲高い鈴の音が鳴った。 ぬるりと土に埋まった爪先を踏み込み、地を蹴る。 相手がどう動くかなど考えずに真正面から飛び込んでいった。頭の隅では駄目だと分かっているのに、身体が勝手に動く。男の顔が近づいた。怒気を孕んだ紫の目に自分の狂った顔が映り、白刃の光に消える。 交差した刀と刀が火花を散らし、鎬を削った。馬鹿のひとつ覚えのように乱打を繰り返す自分に嘲笑でも浮かべてくるかと思えば、男は無表情のまま一歩踏み込んできて刀を迫り上げ、 腹に拳を叩き込んできた。空っぽの内臓から胃液が逆流して酸っぱい臭いを撒き散らす。 「あと二回だ」 切っ先で顎を持ち上げられ、生かされている屈辱に一層自分の唸り声が大きくなった。 言葉なんてもう出てこない。戦い方なんてもう忘れた。 向けられた刃を左手で掴み、男に刀を振り上げる。それも容易く蹴り飛ばされ、弾き飛んだ刀の方向に右手首が圧し折れた。 「あと一回」 引き抜かれた刃が手のひらに血溜まりを作る。痛みさえもう感じない。 男に背を向け、這いつくばって刀を取りに行く。無様だろうと滑稽だろうと、今の自分には刀でしか答えられるものがなかった。 あと一回。 それで、終わり。 こんな時、どう感じればいいんだろう。 呆気ないものだと諦めればいいのか、答えを教えてくれと乞えばいいのか。 どちらでもない自分は本当に何も知らないんだなと思った。 斜めに突き刺さった刀の柄に手をかけ、立ち上がる。左手に力が入らない。それでも握ろうと思えば握れた。雨と血を大量に吸い込んだ柄巻が淡い紅色の滴を垂らす。 白い息の向こうに男の姿を捉えると、巴は再び足を踏み出した。 何かの息遣いと生臭さにふと目が覚める。 重い瞼を開くと白い綿のようなものがふわふわと天から舞い落ちてきた。視界に馬の顔が割り込んでくる。 一体、何が起こったのか─── 寸の間を置いて浄次は飛び起きた。途端に身体の節々が悲鳴を上げ、寒気に歯がカチカチと音を立てて震え出す。真冬の雪山で意識を失くして寝転んでいたのだ。 後頭部に激しい痛みが走る。手を当ててみるとぐずぐずした血がべたりとついた。 たしか岩に叩きつけられ、そのまま暗転。我ながら情けないにも程がある。 「……そうだ、黒衣の男は」 朝か夕方かも分からない薄暗い景色を見渡し、その惨状に愕然とした。 何ひとつとして影を作っているものがない。木も、岩も、何もかもが消し飛んだように跡形もなくなっている。だだっ広い原野ではあったが、これほどまでに殺風景ではなかったはずだ。 寒気とは違う震えが足元から這い上がってきた。 巴の姿が見えない。 最後に残ったのは巴だけだ。黒衣の男とはどうなったのか。 丘の下方へ駆けていった愛馬がなかなか戻らず、重い身体を引きずって坂を下る。同じ場所をくるくる回っている愛馬のそばにひとつだけ影があった。 巴の馬が四肢を折り、雪を被ったままじっと座っている。馬は普通、座らない。 嫌な予感がして駆け寄ると、その首に抱かれるようにして巴が横たわっていた。 「青山───」 一面の赤い雪。透き通るほど真っ白になっている頬に生気はなく、息もしていなかった。 がくりと膝が崩れ落ちる。 終わったのだという実感には程遠い、中途半端な感情が腹の底に溜まった。黒衣の男と巴の因縁も分からないまま、半年で大半の隊士を失い、自分の仕事といったら責任の二文字だけ。 「こんな……理不尽な責任があるか」 せめて事の顛末を知りたい。でなければ死んでも死にきれない。 父は地獄の十三年間にこの何十倍もの責任を背負ったはずだ。同じように敵は姿をくらまし、どこの誰だったかも分からず終い。理不尽だとは思わなかったのだろうか。 急に巴の馬が立ち上がり、黒い鬣を振って主人の服を引っ張る。 死んだと理解してないのか、それとも認めたくないのか、ずいぶん乱暴な扱いだった。 「やめろ、義仲。お前の主人はもう」 手綱を引いて止めると、前脚で思いっきり突き倒された。気が立った馬ほど凶暴なものはない。暴れて踏みつけないよう、巴の遺体を抱え起こす。 「……?」 一瞬、自分の顔に息が掛かったような気がして遺体を凝視した。 力なく反り返った首に反応はなく、胸も上下していない。 (気のせいか) 抱え直して自分の馬に乗せようとし、また凝視した。 まだ硬直していないが身体は冷たい。皮膚も透き通っている。どう見ても死んでいる。 しかし考えてみれば生前の巴も普段から青白い顔をしていた。おまけに夜行性で朝の行動はひたすら鈍い。体温も低そうだ。 「…………」 凝視すること数十秒、灰色の唇からかすかに白い息が吐き出された。 慌てて呼びかけ、頬を叩いてみたが反応なし。まだ生きているとはいえこんな瀕死の状態では峠を下りる前に凍死してしまう。他の遺体から服を借りようにも隊士は全員爆風で消し飛び、隆の遺体は崖から落とされた。 (湯本まで行けば宿場がある……) それまで耐えろと自らに言い聞かせ、脱いだ羽織で巴を包み馬の腹を蹴り飛ばした。 |
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