二十五.



 黒衣の男───なるほど、魔性のような美貌に闇を纏い、その佇まいは不気味というより神々しいまでの気品を感じる。妖しの魔物とは言い得て妙だ。

 燃え盛る炎を背に微動だにしない男へ、隆は走りながら刀を振り抜いて足元の大地を抉った。地中の根を絶ち、石を削る手応えに切っ先を撥ね上げる。裂けた地面から火花をあげた土石の辻風が生じ、男へと襲い掛かった。
 水平に構えた男の刀に辻風が食い込む。もろとも飲み込んだかのように見えた。だが追い討ちをかけようと踏み込んだ瞬間、猛烈な押し返しを食らって後ろに弾き飛ぶ。

「小賢しい」

 低い声が聞こえた時には男の息が届くほどの距離で刃を交差させていた。
 紫暗の双眸が見下ろしてくる。冷たくも熱を孕んだ、深淵の光。

 拮抗する刀をどちらからともなく押し返し、男の腹を蹴った。ひらりと身を躱した男が空を切った脚に拳を叩きつけるが、隆も拳でそれを弾き返す。まともに食らったら脚の骨が折れるどころではなさそうだ。
 間合いも計らず繰り出された刀を避けて宙返り、着地点を蹴って男の懐に飛び込む。腰を落としながら突き出すと見せ、一足一刀の間合いで身を起こし上段から真向を狙った隆の目に、嗤う男の顔が映った。

 すぅ、と男の身が左右に揺れる。

 ───まずい

 咄嗟にそう思った。
 だが前傾に重心を置いて刀を上げていた隆に回避の術はなく。

「お前の技はこうだったか」

 真下に向けた刀の切っ先で地を抉り、男は至近距離からそれを撥ね上げた。

「な……っ」

 凄まじい風圧を真正面からもろに受け、全身の骨が軋む。受け止めようにも距離が近すぎた。刀に亀裂が入り、飛ぶように折れる。
 土石を巻き込んだ辻風。自分の技だ。
 それを容易く真似されたばかりか、距離の差を置いても軽く十倍の威力。
 到底防げるものではなかった。
 風に呑まれて炎の中に放り出される。体勢を崩しながらも着地し、折れた刀を捨ててもう一刀を抜いた。脇差ではなく打刀に代えておいて正解だ。舐めるように纏わりつく火の舌を一閃して払い除け、太刀風で開いた道を駆ける。

 桁違いの化け物だ。
 こんなものを相手にして、生きていられる人間の方がおかしい。
 脳裏に圭祐の遺体が浮かぶ。骨という骨を砕かれ、ぼろ布のように成り果てた姿。
 この程度の交戦であんなにはならない。時間にすればほんの数分だろうが、黒衣の男を相手にその刻はさぞ長かっただろう。

 握る手の中で柄巻がギリと軋む。
 骨が砕けようと肉が千切れようと、圭祐が受けた分は返上させてもらう。




 狙っているのは隠密衆それ自体ではない。女はたしかにそう言った。
 てっきり巴を軸として隠密衆が何らかの理由で狙われているのだと思い、この日を設けたのだが。組織が関わりないのであればこれは巴一人の問題という事になる。
 何をした為に巴が標的となったのかを突き止めなければ、決着はつかないように思えた。
 隠密の線上での事なのか、個人的な事なのか。
 とはいえ普段の巴は寝ているか寝ているかあるいは寝ているか、そんな生活だ。およそ人の恨みを買う人間とは思えない。

 だがこの呆けた風体で町に出たらどうだろう。
 故意でないにせよやくざ者と面倒を起こしてその筋が妖しを雇い───これか?
 いやしかし、だがしかし。
 やくざ者の取り締まりは現在、虎卍隊の担当だ。あの皓司が見落とすなど有り得ない。
 考えれば考えるほど訳が分からなくなり、眩暈がしてくる。


「無闇に動くな青山!俺の首が絞まる!」

 巴が暴れるおかげで一本で繋がれた鎖が首に食い込み、浄次は瞼裏に火花を見た。

「知るか!」

 暴言はともかく巴の豹変ぶりは異常だ。数ヶ月前に衛明館で隆と怒鳴り合っていた時は度肝を抜かれたが、今は異常の一言に尽きる。遠征でもこんな巴は見たことがない。
 歯を剥き出し、唸り声を上げ、鎖を噛み千切らんばかりの形相。もはや狂犬だ。

「あの男が死んだら放してやるよ。なぁに、すぐさ」

 女が鎖を引いた拍子に巴もろとも雪の上へ倒れこむ。刀で断ち切ろうと試みたがどうにも頑丈な鋼で出来ているらしく、傷ひとつ付かなかい。
 しかし倒れたことで女との距離が縮まった。今なら体当たりで───

「首を落とせ。邪魔なのはそれだ」

 雁字搦めの状態ですぐ真横に倒れている巴が、鬼のような目を向けてきた。
 それ、とはつまり自身の首ではなく。

「な……何だと?」
「あんたは両手が使えるんだ、自分で落とせ」

 鎖を解くより首を落とした方が早い、とまで付け足してくれる。

「俺の首を切り離したところでお前はそのままだろうが……」
「引っ張る荷物がなくなれば動ける」
「…………」

 こいつの尺度が理解できない。首を落としたら死ぬという原理はどこへいったのか。
 そうこうしている隙に近づいてきた女に手首を踏まれ、地中にめり込んだ。骨が折れるほどには力を入れてこない。

「ほら見なよ。あんたらの仲間、手も足も出てやしない。そろそろ終いだね」

 反対の足で顔を蹴られ、隆と黒衣の男が接戦している方へ向けられた。

 男の脚が隆の脇腹を強かに穿ち、くの字に曲がった身体が宙を飛ぶ。
 なぜ避けない───否、避けられなかったのだ。
 両脚の膝から下が、不自然に揺れていた。




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