二十四.



 ふと寒さに目を覚ました隆は、白み始めている空を仰いで背を伸ばした。座ったまま寝ていたので尻が痛い。雪の上では焚き火もできず、頭や肩に積もった雪が溶ける前に払い落とさないと筋肉が萎縮して身体が鈍くなる。
 肩にもたせていた刀を支えに立ち上がり、高台の下を覗いた。まだ現れる気配はないかと尋ねると、少し距離をあけた場所に立っている隊士達が首を振る。
 眠ったのはほんの一刻。その時はまだ細雪だったのに今は吹雪に近い。

「視界が悪いな」

 交代で起きていた浄次が馬から降りて歩いてくる。身体を慣らしていたのだろう。その後ろに巴の姿があった。馬具に握り飯の包みがぶら下がったままだ。普段も遠征でも食が細いのは相変わらずだが、よく凍死しなかったものだと呆れを通り越して感心する。

「巴、水分ぐらいはちゃんと」
「───鳥が」

 隊士達を見下ろしていた巴が呟いて指を差した。

「鳥……?」

 浄次と隆は鸚鵡返しに口にしてその方を見る。

 真冬の、それも吹雪の中を、色鮮やかな数羽の小鳥が飛んでいた。
 薄紅、萌黄、若葉……そんな色の名が浮かぶ不思議な鳥を隊士達は呆然と見上げる。
 一羽の青い鳥が佐野の肩に止まった。


 鼓膜を破るような、爆音。


「な───」

 突然火柱が噴き上げ、辺りが一瞬にして火の海と化した。隊士達の姿があっという間に炎に飲み込まれ、黒い影となって消えていく。
 雪の水分を吸った草木が燃えるはずはない。何だ、これは。


  ……チリン


 鈴の、音。
 紫色の紙片が爆風に煽られて隆の顔の前に落ちてくる。
 片翼のない、焦げた折鶴。


「あと三匹」

 轟々と地鳴りのような音を立てて燃える炎の中から、漆黒を纏った男が現れた。




 強い風に火の粉が舞い上がり、黒煙が雪を食い尽くしていく。空から降ってくる雪は雪でなく、黒い雨に変わっていた。
 巴は真っ先に高台を飛び降り、着地と同時に抜刀して走り出す。炎の熱さなど身の内を焦がす熱に比べれば冷たいほど。煙を薙ぎ払い、火の粉を風に散らして黒衣の男へ突進した。
 男がこちらを向き、歩みを止める。
 揺らめく炎を映した双眸がすぅっと細められ、その唇に嘲笑が浮かんだ。

「血に飢えた獣の眼だな」

 男の右手が上がる。掌に乗せた赤い折鶴が燃え、そこから何かが飛び出してきた。

「お久しぶり。肩の傷は治った?」

 青いガラス玉の目の女。
 女の太刀が炎を薙ぎ、左肩を狙って突き出される。太刀を弾いて横っ面に蹴りを入れた。だが女は細腕一本でそれを防ぎ、ニィ、と嗤う。
 頭上に影が差して浄次と隆が高台から飛び降りてきた。

「御頭、青山を頼みます」

 口早に告げた隆が黒衣の男へ向かって走り抜ける。浄次は舌打ちして足を止め、こちらに苦無を投げつけた。咄嗟に女から離れ、浄次の反対側へ回り込む。弾かれた苦無が炎の中に消えた。

「なんだい、公儀の番犬が女に二人がかり? 情けないねえ」
「妖しならば男も女もなかろう。それとも人間二人では貴様が不利か?」

 黒半透明の刃を女に向け、浄次は無意味な挑発をする。
 柄を握るその手元から黒い靄のようなものが湧き上がった。なんといったか、浄次の刀もまた沙霧と同様に妖刀だと聞いた覚えがある。沙霧の刀・時雨は持ち主の意思に従って相手の生気や血を吸い取る性質だったが、浄次の刀についてはよく知らない。

「不利? あはは、誰にモノ言ってんのさ。そんなご大層なもん振り回して、自分の刀に喰われちまわないよう気をつけな」

 妖刀と見抜いた女は浄次を一瞥して細い指を打ち鳴らした。
 女の周囲に数多の金色の光が浮かび、鳥の姿となったそれが一斉に襲い掛かってくる。
 一羽一羽と斬っていては無駄だ。眼前の鳥を殴りつけるように蹴散らしながら女へ向かって走った。嘴や羽に当たって皮膚が裂かれていく。
 飛び散る羽の隙間に女の姿を捕らえ、背後から切り込んだ。反対の手からも浄次が飛び出してくる。前後を取られた女は口元に笑みを絶やさず、太刀と手の甲でそれぞれの刃を受け止めた。手袋に鋼が仕込んであるらしい。
 浄次が唸り声を上げて太刀を跳ね返し、女の胸に刀を突き出した。しかし容易く躱され、背から首を狙った巴に残像を引いて身を翻し、浄次に回し蹴りを食らわせた。

 同時に二人を相手取りながら、まるで踊るような軽やかさ。
 上総で刀を交えた時はもっと攻撃的な力を感じさせる戦い方だったが、今回は微塵もそんな圧力を感じない。この女は頭領だという黒衣の男の指示で動いているだけだ。
 となれば、自分の敵はこいつじゃない。

 体勢を崩した浄次が立ち上がって女へ反撃した瞬間、巴は男の方へ足を向けた。
 浄次が女を止められるかどうかは知らないが、隆に追いつけばいい。
 あの男を仕留めるのは自分の役目だ。
 殺しても何も変わらないと皓司は言ったが、殺さない理由もない。

 しかしわずかも駆けないうちに鎖鎌が飛んできて上半身を絡め取られた。回転した鎌の切っ先が腰に刺さったが、胴に巻きつけてある苦無に当たってぶらりと落ちる。

「まぁそう急がないで、もう少し遊んでちょうだいよ」

 鎖の端を浄次の首に巻きつけた女がニタリと嗤った。

「もう分かってんだろ。あたし達の標的は犬どもじゃなくあんた自身だってこと」
「俺だけならいつでも殺せたはずだ。どうして隠密の戦を利用した?」
「あんたを殺すのが目的じゃないからさ」




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