十八. 何となく、覚悟はしていた。生きて戻っては来ないだろうと。 圭祐の遺体が帰ってきた時、その凄惨な有様をより惨たらしめるかのような傷一つない顔を見て吐き気がした。まるで猫が虫を嬲り殺しにするような、明らかに捕食の為ではないような、そんな意図を感じて目の前が真っ暗になった。 つくづく弱い人間だと自分でも思う。 いつもそうだ。何かあるたびにただ茫然としてどうすべきか迷い、何もできずに終わる。その間に要領のいい圭祐がてきぱきと物事を片付け、何もなかったように笑う。 彼に任せてばかりいた事を、今になってようやく実感した。きっと自分や隊士が気付かない部分まで細かに気を配ってくれていたんだろう。 誰かに頼ってもらえる人間になりたいと、いつかの圭祐は言っていた。 だが実際は人の頼みを待つまでもなく自分から何もかも背負ってさっさと片付けてしまう事の方が多い。その最終形態が、これだ。 「姿が見えないと思ったらここか」 障子が開き、月明かりに伸びた人影がゆっくりと近づいてくる。 返事をする気にもなれず黙っていると、背中に軽い衝撃がきた。 「殿下は?」 真後ろに座って寄りかかってきた甲斐の声が背中越しに響く。 「入れ違いに出ていった」 「そ。にしても差別的な人だネ、ヒロユキだけ汚いままだ」 自分がここへ来た時、圭祐の遺体は隆によってきれいに清められていた。血のついた隊服と桶を抱え、御頭に話があるからと気を利かせて退室してくれたのだ。何の疑問も抱かず相方の脇に座ったが、宏幸には悪い事をしたかもしれない。 「……すまない、気付かなかった」 「実にヤスらしい」 甲斐にも思うところがあるのだろう。桶を持ってくると告げて立ち上がろうとすると、ぱしゃりと水の音がした。さすがに自分と違って用意がいいというか、何というか。 一度浮かせた腰を再び下ろし、思いつく会話もなくてやっぱり黙った。 手拭いを濯ぐ音を聞いているうちに、甲斐は今どう思っているのか気になり始める。 なんだかんだで宏幸とは上手くやっていたように見えた。その前の上杉とも折り合いはよかったが親しいというほどでもなく、さらに以前の班長に至っては閉口するほど険悪な関係だった。甲斐の我が儘さも災いしているがこのままで大丈夫なのかと思っているうちに、いつの間にか宏幸がその位置に定着していた。 自由奔放で明け透けな宏幸の存在は、甲斐にしてみれば新鮮だっただろう。 「あの、さ……迷惑だったら謝るけど」 「前置きで誠意を見せて迷惑発言? 鬱陶しい性格だネ」 と指摘されてしまえば何も言えない。また謝るのも堂々巡りな気がして口を閉じる。 開け放たれたままの障子の外から虫の声が聞こえてきた。 鈴虫が鳴くのは秋の訪れだと圭祐が話してくれたことを思い出す。あれは確か、和解したばかりの頃。話せば話すほど本当はいい奴だったんだと知って驚いたのが懐かしい。 圭祐を懐かしいと思う日がこんなに早く来るとは予想もしていなかった。 「めそめそしてないで普通に泣いたら?」 長い時間、圭祐の遺体と向き合ってても涙は出てこなかった。それが今になって止め処もなく溢れ出してくる。聞かれたくなくて腕に押し殺していた声も、服に篭ってだらしなく漏れていた。 人前で泣いたことがない。ひとりでいる時も泣いた記憶がない。 初めて心底から辛いと感じている自分に戸惑い、こんな状況でも忘れない羞恥心に苛立つ。 どうせなら笑ってくれるか馬鹿にしたようなふざけた言葉が欲しい。 「ヒロユキは飽きない奴だった。目障りでもあったけど、それはお互い様ってやつでね」 さっき聞こうとしたことを甲斐は自分から喋り始めた。 今そんな話は聞きたくないのに、気を遣っているのかわざとなのか。 「馬鹿は馬鹿なりに可愛げもあったし、弟みたいに思ってた。ケースケも似たようなもので、残念だと思う以上の感情は湧いてこない」 このぐらい割り切った人付き合いをしている方が楽なのかもしれない。 「正直、死んでくれたのがこの二人で良かったとすら思ってる」 その言葉を理解するのに、おそろしく時間が要った。 なにか最低な事を言わなかったか。 「何だよ、それ……良かったって、死んだ人間の前で」 知らずと涙が止まり、こめかみのあたりに熱を感じる。腹が立った。そこまで薄情な奴だとは思わなかった。否、薄情でも非情でも構わないが、そんな話を聞きたかったわけではない。 膝の上の拳が震える。いっそ殴ってやりたかった。 どんな顔であんな事を平然と言えるのか、見るのが怖くてひたすら拳を握り締める。 「甲斐、俺は」 「ここに寝転がってるのがお前だったら、死ぬほど後悔した」 喉まで出掛かっていたものが行き場なくずるずると滑り落ちていく。 どういう意味だとも聞けず、殴りたい衝動は一瞬で消え失せ、拳の力が抜ける。 そんな風に考えたことはなかった。 宏幸との接点はあまりなかったが、圭祐と甲斐のことはよく知っている。どちらが死んでも自分は同じように泣いただろう。どちらかが死んで良かったとは絶対に思わない。思えない。 これも優柔不断、なんだろうか。 「考えてもみろ、刀を振り回したらケースケもヒロユキもおれの言う事なんてまったく聞かないヨ。その点ヤスは昔から何でも聞いてくれるから扱いも楽だし」 「な……」 「というワケで残るはおれとお前だけ。遠征の時はよろしく」 どれが本当でどれが嘘なのか二十年以上の付き合いでもさっぱり分からない。 ただ少しだけ、今一時だけでも気が紛れたことに救われた気分だった。 |
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