十六.



 佐野に肩を担がれた満身創痍の巴よりも、脇腹が開いた宏幸の遺体よりも、隊士がほとんど生きて帰ってこなかったことよりも。
 変わり果てた圭祐の亡骸を前に、隆は着座も忘れて立ち尽くした。

「氷鷺隊一班の生存者は十四名、虎卍隊一班は全員死亡しました」

 巴を壁に預けた佐野が土下座する。続いて十三人の隊士が次々に手をついて伏せた。真っ赤に腫らした目をしていても、一人として泣き出す者はいない。否、必死に耐えていた。

「黒衣の男は単独ではなく集団で現れ、男も含めて不死身だった事から妖しと見て間違いありません。標的は隠密衆のみとの事です。青山さんと自分以下十三名は、班長の……」

 言葉を詰まらせた佐野が拳を握る。
 皆まで言わずとも、広間に横たえられた圭祐の遺体を見れば全貌が見て取れた。
 しかし佐野は擦れた声を絞り出し、拳の上に涙を落とす。

「下谷班長の御尽力に、助けられました。生きて戻れと」

 言葉が出てこない。
 だから嫌だと言ったのだ。巴と行かせる事を。
 何も分かっていない巴とでは、必然的に圭祐がすべてを背負い込むことになる。そして案の定、何もかも背負って帰ってきた。隆が懸念していた以上の無惨な骸となって。

「巴。貴方からの報告はないのですか」

 蒼ざめた顔で愕然としている浄次の隣で、皓司は取り乱す様子もなく首を巡らした。壁際で俯いていた巴がゆっくりと顔を上げる。

「また、敵を逃しました……仕留められなかった」
「敵の事など聞いておりませんが」

 平静な皓司の物言いに、巴の目が蝋燭の灯りを受けてぎらりと光った。

「敵を斃さないで何が戦ですか。目の前に敵がいるのに尻尾巻いて逃げるのが任務ですか」
「敵前逃亡というのは何も臆病者に限った戦法ではありませんよ。特に今回は圭祐の」
「報告に戻る人間が必要なら彼らだけで十分じゃないですか!」

 巴が声を荒げた事など一度もない。
 だがそんな事に驚いて感心していられるほど、今の自分は冷静になれなかった。
 無心に足が前へ出る。

「俺はあの男を殺す為に……」
「殺して帰って来いとは言ってないだろう!」

 巴の身体が障子を破って縁側に吹っ飛ぶ。自分が殴ったのだと知った時には、左手は巴の胸倉を掴んで引き起こしていた。

「お前の頭には殺す事しかないのか。お前の刀は人殺しの道具か」



 隅田川の橋に散った赤い花が脳裏に蘇る。
 桜の花びらを追って無邪気に微笑っていた、かけがえのない存在。
 一瞬で消えた、ちいさな命。
 守ろうとした。でも守れなかった。
 刀は人を殺す為に造られたもの。
 けれど人を殺すのはいつだって人の心で、刀はその道具にすぎない。

 赦せなかった。
 くだらない理由で罪なき命を奪った連中も、守れなかった自分も。
 今度はちゃんと守りたい。
 そばにある大切な存在を、誰にも奪われないように。
 守る為に振るう刀もあるのだと知ったのはあの日だった。



「殺める為にしか使えない刀なら、その刀でお前を殺してやる」

 巴の腰から刀を奪い取り、人殺しの為の道具を振り上げる。
 だが巴と自分との間に身を滑り込ませた皓司によってあっさり防がれた。

「およしなさい殿下。貴方まで殺人鬼になるおつもりですか」

 逆手に持った刀より刃物のような色をした皓司の目が、冷静になれと宥めてくる。
 自分の一班も失ったくせに動揺の欠片も見せない。お前こそ鬼じゃないのかと睨み返した。刃を交えたまま拮抗した状態が続く。
 冷静になれない今の自分には、皓司の刀を説得させるだけの力はなかった。
 肩の力を抜くと同時に刀を取り上げられ、皓司はそれを巴の腰に差し戻す。

「御頭、お見苦しいところを失礼致しました。氷鷺隊はご苦労様でしたね。負傷者は即時手当てを受けて休みなさい。甲斐、申し訳ありませんが御典医を呼んできて頂けませんか」

 要領よく物事を処理していく皓司を尻目に、隆は圭祐の遺体を抱えて広間を出た。
 夏場にこんな所へ寝かせていたらあっという間に腐る。少しでも涼しい場所へと、北側の一室に運んだ。宏幸の遺体を抱えた佐野が後からついてくる。

「隊長、申し訳ありませんでした」
「きみは圭祐の指示に従ったんだろう。任務は果たしたじゃないか」
「……ありがとうございます」

 夏の夜でもいくらかは涼しい空き部屋に二人の遺体を並べて寝かせた。
 足を引きずっていた佐野に治療を受けるよう言って、部屋の戸を閉める。

 ふわふわだった赤茶色の髪が血と汗と土に濡れて固まっていた。そっと手で整えてやり、額に張りついた髪を横に撫でる。
 隊服の影もなく切り裂かれた生地の下に肌色はひとつも見えなかった。赤か黒か、それだけ。
 攻めて負った傷より守って負った創傷と打撲傷ばかりだ。両腕は圧し折れて骨も関節もなく、胴体は複雑骨折。内臓も破裂しているだろう。
 この状態になるまでどれだけ抵抗し続けたか、痛いほど伝わってくる。
 反して首から上にはほとんど傷がなかった。自分が敵だったら、この綺麗な顔にだけは傷を付けたくない。そんな思いが相手にもあったんじゃないかと少し勘繰った。

 筋力を失って硬直した頬に何度も手を触れる。
 冷たい、冷たい、皮膚の感触。
 これほどまでに傷を負いながら、不思議なくらい穏やかな死に顔をしていた。
 苦しまずに死ねたわけじゃない。壮絶な苦痛を味わっただろうに、それでも圭祐は穏やかな表情で横たわっている。


 いま喋ることができたら彼は何と言うだろう。
 圭祐の澄み渡った声が聞きたい。

 いま目を開けられたら彼は何を見るだろう。
 圭祐のまっすぐな目が見たい。

 いま手を動かせるなら彼は何に触れるだろう。
 圭祐の手で涙を拭ってもらいたい。


 何も叶わない今だからこそ、何よりも求めて止まなくなる。
 こんなに静かで寂しい夜は久しぶりだった。
 春の夜も、夏の夜も、自分の心に傷を残して去っていく。
 秋と冬が訪れなければいいと思った。



「頑張ったね、圭祐───おかえり」





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