十四.



「皓司」

 本丸を後にして階段を下っていると、背後から聞き慣れた声に呼び止められる。下駄を鳴らして大股に階段を下りてくる大男───浄正が苦み走った顔を近づけてきた。

「ったく、どうなってんだ。じじいどもにガーガー突かれる俺の身にもなれ」
「お久しぶりです、浄正様」
「お久しぶりですよ。んで、言い訳は?」

 どうやら昨今の隠密衆の醜態を老中達に責められているらしい。
 浄正は元・御頭であって今は無関係だというのに、城の老人には困ったものだ。

「今しがた将軍に謁見して参りました」
「なにぃ?」

 浄正の視線が途端に頭から足元までを一望する。皓司が正装している事に今気付いたと言わんばかりの顔で口を開け、ぱくぱくと開閉を繰り返した。
 皓司は袖をまさぐり、城でもらった砂糖菓子を浄正の口に放り込む。自分の登城を知った小さな姫がわざわざ廊下で待ち伏せて渡してくれたものだ。一人だったので御付の守り役はいないのかと尋ねると、「沙霧は午後から暇を取っているのです」と寂しそうに俯いていた。

「将軍にって、お前まさか」
「しばしの醜態をご寛容下さるよう直にお願い申し上げてきたのですよ」
「…………よく言えたな」

 自分は二番手だからこそ言えるのだと返すと、浄正はバツが悪そうにそっぽを向く。
 浄正の現役時代、御頭という立場では不都合があろうと登城を代行した事は数知れず。浄正に頼まれるまでもなくそうしていた。当時の浄正も知っている。頭は代われど、復職した今も二番手の役割を果たしていると知って後ろめたさを感じたようだった。
 組織に戻ってくれと捨て身で懇願したくせに、戻ったら戻ったで気に病み続ける。
 浄正の不器用な性格には憐憫の情を禁じえないほどだ。

「そのような顔をなさらずともご心配には及びませんよ」

 皓司は微笑を浮かべ、浄正の口の端についている砂糖を指で拭った。

「貴方の城は私が永劫お守り致します」

 本心ではないが嘘でもない。
 そんな自分の顔を浄正は呆れた目で見下ろしてきたが、本意は伝わったようだ。

「……たまには顔出せ。飯でも食いに行こう」
「有難うございます。落ち着きましたら恋文の一通でも」
「いらんいらん」

 ぞんざいに手を振って城に戻る浄正を見送り、皓司はひとつ嘆息した。




 飛ばされた勢いで背骨がもろに竹林に当たり、息が詰まる。それさえもが隙となり、女は見逃さなかった。鋭い一刀が巴の首を狙って閃光を放つ。避けた背後で竹が飛ぶように倒れた。竹の切り口が粉砕されてささくれ立っている。斬る為に造られた日本刀と違い、女の太刀は破壊力をも備えていた。竹が人体だったらそこらじゅうに内臓が飛び散っていただろう。
 華奢な腕から繰り出される刀技には速さも重さもある。おまけに、怪力。

「もう限界? ボロ雑巾みたいになっちゃって、最初の威勢はどうしたんだい」

 女の声が妙に篭って聞えた。片耳に手をやると、べっとりと血糊が付く。耳の中から何か出たような気がしたのは血だったらしい。
 柄を握る手にも感覚がなかった。鎖を巻きつけておいたおかげで落とす事はなかったが、刃はぼろぼろだ。あの太刀を何度も受けてよく折れなかったなと他人事のように思う。
 立ち上がるのもやっとの体。次の攻撃を躱せる自信は、多分ない。

「そろそろ終いにしようかね」

 女が近づいてきた。視界が赤い。
 フッと黒い影が消える。
 瞬きした直後、視界いっぱいに女の顔が迫っていた。

「……ッ!!」

 左肩を貫かれ、そのまま地面へ押し倒された。景色がぐるりと宙返る。
 女の口がニィッと弧を描いた。
 この期に及んで綺麗な唇だと、どうでもいい事を感じた。

「フフ、やるじゃない」
「───避けるつもりもなかったんだろう」

 右手に生温かい液が垂れてくる。刺し違いに女の左胸を貫いていた。
 限界だとは思いたくない。自分の境界線を今まで知らなかった。知った今だからこそ、認めたくないという気持ちが増幅する。
 誰かより、強くなりたいと思ったことがなかった。
 誰よりも、強くなりたいと思っていた。
 今は違う。目の前の敵に負けたくない。負けたくない。負けたくない。

 血に滑る刀を握り締め、歯を食いしばって柄をねじり上げた。圧し掛かっている女を刺したまま押し退け、心臓から上に向かって切り裂く。女の肩がぱくりと開いた。どうせ死にはしない。
 自分の血で湿った土を蹴り、追撃した。乱れ打ちの攻撃にも女は始終笑みを絶やさず、赤子を相手にするかのように容易く刀を弾く。

「まだそんな力が残ってたんだ。でも」

 ぴたりと後退を止めた女の身が素早く巴の懐に飛び込んできた。

「体術はからきしだよね。接近戦も苦手」

 そう指摘された瞬間、顎の下を強烈な拳に突き上げられた。
 意識が遠のく。
 血の膜で音が篭った耳に女の笑い声が響いた。



「あんた達、おやめ」

 能面集団が女の指示に攻撃を止め、生き残った圭祐の隊士達は訳わからぬといった表情で荒い呼吸を繰り返す。佐野が足を引きずりながら傍らに駆け寄ってきた。巴を背に、女と睨み合う。女は足元に落ちている小面を拾い、指先でくるくる回した。

「上司に命令されたんだろ、そのボロ雑巾を連れて帰れって。いいよ、行きな」
「な……」

 佐野が面食らって言葉を詰まらせる。

置き土産(・・・・)もあることだし。うちの頭領、あの子が気に入ったみたいでね」

 女が面白そうに後方へ顎をしゃくった。
 佐野の手が小刻みに震える。巴はあるかなきかの意識を持ち上げて首を巡らせた。


 死闘。

 否、それは───




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