十三.



 闇雲に突撃していった宏幸達を追い、圭祐は今の自分に驚いていた。
 能面と争っていた時から戦闘時の人格が出てこない。手も足も思考もすべて、本当の自分の意思で動いている。もう一人の自分は気まぐれな性格らしく、昔の自分そのものだった。

 最後尾の隊士の襟を掴み、戻れと叫ぶ。だが血の気の多い彼らにそんな気は毛頭ないようで、指図するなと手を振り払われた。
 目先に黒い大きな影が舞う。
 あれが黒衣の男───般若の面を被っていた。
 先頭の数人が一瞬にして血飛沫を上げる。男の白刃が日に反射して目が眩んだ。

「怯むんじゃねえ、一斉に掛かれ!」
「宏くん!ダメだ!」

 静止の声も届かず、圭祐は歯痒い思いで脚を速めた。何を言っても聞かないのなら実力行使あるのみ。追い上げて隊士を蹴り、薙ぎ倒し、彼らを敵の刃から遠ざける事だけを考えた。
 宏幸に手が届くまであと少し、標的を逸らす為に男へ苦無を放った時。
 刀を右手に持ち替えた男の一閃が宏幸の左腕を撥ね飛ばし、脇腹を深々と抉った。
 圭祐の放った苦無はその返し刃で容易く弾かれる。意図してか否か、弾かれた苦無が後ろの隊士達の眉間に刺さった。宏幸の部下が全滅する。

「てンめぇえええ……何が左利きだよ、右使ってんじゃねえか!」

 半身から血を噴きながらも宏幸は膝を折らなかった。そればかりか、左利きという情報と違っていた事を当人に責め立てる。
 なぜ今そんな事を言えるのだろう。あの深手では助からない。助けられない。
 どうして自分の声が届かなかったんだろうか。

「誰が左利きだと言った?」

 まるで息遣いを感じない男の低い声が般若の面に響く。
 届け、届け、と宏幸の肩に手を伸ばした。
 しかし彼の足は地を蹴る。黒衣の男へ向かって、多量の血が尾を引いた。

「宏……ッ」
「残念だったな。俺は両利きだ」

 ガツ、という骨の音に混じり、息を呑むような呻き声がひとつ。
 宏幸の喉を男の刀が突き抜けた。
 圭祐の身が跳躍する。刀の自由が利かない今を逃すわけにはいかない。
 渾身の力を込めて男の頭部に刃を立てた。般若の面が上を向く。一対の空洞を通して、男と目が合った。振り下ろした刀の切っ先に苦無の刃が当たる。先刻圭祐が放ったうちの一本を持っていた男は、片手で頭上の刃を防ぎながら右手の先の宏幸を振り落とした。圭祐は即座に男の腕を足場にして宙返り、着地と同時に懐へ迫る。
 上背も身幅も手足の長さも勝る相手に、力対力では敵わない。速攻だけが武器だ。
 追撃の間を与えず、一秒でも早く相手の懐に飛び込むより他に策はなし。

 後退して間合いを離す男に休みなく追撃を仕掛ける。
 鍔と鍔がせめぎ合い、軋む。七寸近くも身の差があっては真上から斧を振り下ろされているようなものだ。身を捻って重力から逃れ、腰に差していた小型の鎖鎌を男の右手首に絡み付けた。鎖を引いて男を重点にし、一気に間合いを詰める。

「っ……───」

 頚動脈を狙ったがわずかに男の回避の方が早かった。頬を掠めた切っ先が面の紐を切る。般若の面がカラリと落ちた。
 
 ぞっとするほどの美貌。
 人形のようだと言うにはあまりにおぞましく、魔物と言うにはあまりに高潔な。
 
 闇夜という時空に形があるならまさしくこの姿だろう。巴が見惚れて圧倒されたのも分かる気がする。しなやかな動きで意のままに刀を操り、血飛沫さえもがその身を飾る紅玉のようで。
 頬を伝った一筋の血は、さながら画竜点睛。

「狙いは幕府、じゃなさそうですね」

 男の刀が下がったのを見て圭祐も一息入れた。休戦している場合でない事は百も承知だが、能面集団と黒衣の男は一味だ。能面が不死身なら恐らくこの男も。いわゆる妖魔か。

「我々隠密ですか?」
「そうだ。幕府にも民にも興味はない」

 嘘をついている声ではなかった。敵といえど、何となく分かる。
 ならば京ではどうして反幕勢まで潰したんだろう。隠密衆(えもの)を仕留めるのに邪魔だったのか。
 隠密衆を消して利を得る存在。否、利益など求めていない。
 気に食わないから消す、それだけだ。


 圭祐は後方で戦っている仲間を背に隠すようにして男の前に立った。
 男から目を逸らさず、彼らに聞えるよう声を張り上げる。

「佐野、青山さんを連れて戻れ! 狙いは隠密だ、御頭に報告を!」

 能面から逃れるのは至難。だが、彼らなら突破できるはず。
 巴の息が上がっている。相手の華奢な女は集団の先頭にいた小面の人物だろう。黒衣の男ほどでないにせよ、時折聞える女の声には明らかに余裕が感じられた。
 巴の実力は彼が平隊士だった頃から十分知っている。自分など到底敵わない。ともすれば隆や皓司を上回る力さえ備えている気がした。
 冷静な判断力。
 しかしそれは冷酷の間違いだった。あんな、無情な考え方をする人だとは思わなかった。
 
 何の為に生きているんだろう。守りたい人はいないんだろうか。
 だとしたら、生きていて欲しい。
 無情な人間で終わってほしくない。
 巴は知らないだけだ。
 人の温もりを、存在の意義を、怒りの本質を、涙の味を、己の痛覚を。
 まるで心をどこかに忘れてしまった子供。昔の自分に似ているかもしれない。

 彼がいつか守りたいものを自身で見つけられるように。
 それはどんなに嬉しくて悲しくてつらいことかと泣ける日が来るように。

 それまでは、そうだ、自分が巴を守ろう。
 
 ここから先は絶対に譲らない。誰にも踏み越えさせはしない。
 たとえこの身が果てようとも、絶対に。




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