十二. 見えない壁が道を塞いでいるような───否、たしかに何かがいる。 巴は全神経を研ぎ澄ませた。竹の軋み、葉擦れの音、鳥の声、隊士達の息遣い、影。 「つーか飛車は何してんだよ」 苛立ちを隠せない宏幸の小声がいやに大きく聞える。 周辺に新手の動きがあるなら戦闘中に一報が入ったはずだ。しかし報告はなかった。 京の夜を思い出す。 山中にあった首謀者と飛車の死体。相討ちではない。何者かに消されたのだ。 巴の目の前に、はらりと竹の葉が舞い落ちる。 赤い血のようなものが葉についていると気付いた瞬間、巴の頬を生ぬるい水滴が叩いた。次いで頭上から黒い影がぼとぼとと降ってくる。 「な、なんだ!?」 鈍い音を立てて土に落ちたそれを見て、宏幸が声を裏返した。 「飛車!? って、おい死んで……」 「前、敵だ! 出たぞ!!」 死体の山の先に、突如として姥の面を被った黒装束の集団が現れる。 まるで初めからそこにいたような現れ方。風を遮っていたのはこれだ。もはや人間ではない。 一人だけ小面をつけている先頭の華奢な影が、右手の太刀を前方へ持ち上げた。それを合図に能面たちが四方へ躍り上がる。 「斬れ!」 圭祐の声と同時に巴は地を蹴った。 黒布をはためかせて頭上を越えた複数の影に苦無を放ち、弾く隙を狙って一人の喉元へ刀を突き立てる。抜きざまにもう一人の首を撥ね、その先から飛んできた短刀を素手で掴んで能面の額に投げ返した。 乱戦になると敵はますます不気味さを帯び、隊士達に戦慄が走る。 「こ、こいつら、斬っても斬っても生き返りやがる!」 「キリがないですよ! 消耗戦じゃこっちが……ぅぐっ」 体力の落ちた隊士が次々とやられていく。敵が不死身では勝ち目などない。 圭祐は味方の援護に奔走しながらも策は浮かばないらしく、無駄を承知で斬り続けていた。宏幸も同様、策はなくとも刀を止めるわけにはいかず。 どうすれば倒せるか───巴は応戦しながら一人の敵を探した。 小面をつけた人物。あれがこの集団の中心核に思えた。 ならばあれを消すのが先決だろう。 視界に赤い鳥居が映る。古い祠の鳥居。その上に、小面が座っているのが見えた。 八方から同時に襲いかかってきた能面を蹴散らし、鳥居へ向かう。 ……リン 巴の足がぴたりと止まった。 ─── チリン。 「本星がおいでなすったぜ! 野郎ども、続け!」 耳ざとく鈴の音を聴きつけた宏幸が部下を率いて逆方向へ走っていく。黒衣の男に背後を取られ、能面集団との板挟みになった。圭祐が舌打ちして自班に素早く指示を出し、宏幸の後を追う。 「青山さん、ここは任せます!」 しかし巴は圭祐の指示を無視した。 誰よりもあの男を仕留めたいのは自分だ。その為にここへ来たのだ。 圭祐を追い越して走り出そうとした時、首に絡み付いてきた何かに息を止められる。 「待ちな。あんたの相手はあたしだよ」 絡まる細い鎖の先に小面がいた。女の声だ。 苦無で鎖を叩き切る。ちぎれた武器を手繰り寄せた小面の女は、何がおかしいのかクスリと笑って面を取った。遠目にも分かるほど綺麗な肌をした女。藍色の短い髪がその輪郭を撫でる。 後方から断末魔のような声が上がった。一度に、あるいは一人、また一人。 「無様な連中だね。それともうちの頭領が強すぎるのか」 頭領、と女は言った。黒衣の男は単独ではなかったらしい。 能面集団の仲間ならあの男も不死身だと考えられる。もちろん、この女も。 圭祐に指示を与えられた隊士たちは行動範囲を最小限に留め、体力の消耗を回避しながら能面と争っていた。時間勝負の負け戦だ。 黒衣の男が出てきた以上、目標はそれに尽きる。 女の視線が自分から逸れている隙をつき、巴は後方に走った。 「聞こえなかったの? あんたの相手は、あたしだよ!」 猛スピードで背に迫った女が太刀を振り上げる。巴は振り向いて太刀を受けようとし、だが瞬時に横へ飛び退った。思ったより刃身に厚みがある。真上から振り下ろされてはこちらの刀が折れるだけだ。深々と地面を穿った刀を抜き、女はガラス玉のような青い目を細めた。 「いい判断力じゃない。そうこなくちゃあねえ」 「よく喋る」 「そうさ。あたしを黙らせることができたら頭領を呼んでやるよ」 お喋りな敵ほど小者だと誰かが言っていたが、この女は例外のようだ。他の能面と同じく不死身だろうが、それを引いても強敵であることは一太刀交えれば分かる。 しかし殺意はそれほど感じなかった。敵意など微塵も伝わってこない。 遊んでいるのだ。 死なない身をいいことに、面白い玩具を見つけたと言わんばかりの顔。 「あんたひょろっ細いわりに獣くさい目をするね。そういう目、あたし大好き」 女は赤い舌で唇をひと舐めし、刀を脇に構えた。 後方から激しい鍔迫り合いの音がこだます。一対一。それ以外の音はない。 巴は首に絡まったままの鎖の切れ端を解き、柄を握る自分の手に巻きつけた。 |
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