十一. 普段の遠征なら隊長の叱咤激励に追い込まれてギリギリ精神だが、今回は鬼の隊長もデキのよろしい相棒もいない。 大したことのない敵勢に拍子抜けした宏幸は、楽勝だと高をくくっていた隙をつかれて敵の一人に背後を取られた。振り向きざまに応戦すれば間に合う距離。腕か顔か、相手の切っ先に少々当たるぐらいのことは覚悟していた。 しかし宏幸の刀は予想外の人間に弾かれ、ついでに身体まで弾き飛ばされる。 「なぁに背後取られてんだ、クズ」 ふいに横から現れた影が、宏幸を狙っていた敵の手首を切り落とした。刀もろとも宙に飛んだ手首が宏幸の目の前に落ちてくる。と思ったら生首までごろりと飛んできた。 顔をあげれば赤茶色の髪の男が踊るように周りの敵を切り刻んでいる。宏幸の周囲は瞬く間に死体の山となった。 「おいお圭! 俺の持ち場に割り込んでんじゃねえよ!」 「お前こそちんたらしてんじゃねーよ。邪魔なんだよバーカ」 刀の血を振り払った圭祐が口調に違わぬ顔つきで一瞥をくれる。 もはや圭祐と呼ぶのも躊躇われるような別人格。氷鷺隊の面々が『お圭様』と呼んで畏怖している戦闘時の人格だった。圭祐が隠密衆に入隊した当時の人格の名残だろうと言われているが、宏幸は知らない。 氷鷺隊と初めて合同遠征をした時、この豹変ぶりに開いた口が塞がらなかった。刀を抜いた途端に顔つきまでがらりと変貌し、口も手足も粗暴極まりなし。敵どころか味方さえも殴るは蹴るは踏みつけるは、それでいて隊士が危機と見るや悪口雑言を並べながら真っ先に援護する。 三人衆に次ぐ腕の持ち主であることは嫌というほど知っているが、この人格をして頼りになる班長と認めるのは正直複雑だ。自分が氷鷺隊一班の隊士でなくてよかった。 「おめーは自分の仲間の心配してろよ。こっちに干渉すんな」 「高井さん! お圭様に暴言吐くなって。そんなことしたら……こうなるぜ」 駆けつけた虎卍隊の隊士が慌てて宏幸の口を塞ぎ、こうなる見本の仲間を引き寄せる。 それはまさに四谷怪談のお岩だった。内出血を起こして腫れ上がった頬と瞼、靴の跡がくっきり版画された額。唇は切れて鱈子になり、覗く隙間には空洞が二つ。歯が欠けたらしい。 「……誰」 「ヒドイわ宏ちゃん、アタシよ!剣菱よ! んもォお圭様に何とか言ってやってちょうだい。この子ったらアタシを助けてくれたのにアタシの顔見てブサイクの極致って言ったのよ!」 「だから整形してやったんじゃん。どう、少しはまともな顔になっただろ」 せせら笑う圭祐の足元に虎卍隊の隊士が揃って平伏し、「お圭様サイコーっす!」だの「犬と呼んで下さい!」だのと褒めておだてて媚を売る───そんな光景に寒気がした。まだ甲斐の援護の方がまともというか理解の及ぶ範囲内だ。 お岩の……もとい剣菱の整形後の顔を見上げた宏幸は、このうちどれが圭祐にやられたものだろうと本気で考えた。まさか全部ではあるまい。 「デコの靴跡がお圭のか……?」 「あらやだ、何言ってンのよ。これ全部お圭様に執刀されたのよ」 「…………」 よほど剣菱の整形前の顔が気に入らなかったのだろう。もしくはオネエmansという存在が許せないのかもしれない。オネエ隊士がいるのは宏幸の班だけだ。 「んなことよりぼちぼち片付いてんだし、アレが餌になってもいい頃だよな」 圭祐が林の外れに顎をしゃくって「アレ」を示す。 巴が最後の一人を斬り捨てたところだった。 上総に入るまでの道中、巴とは一言も口を利いていない。敵のねぐらを襲撃する直前に自分達はここでやると伝えただけ。巴は頷いて「俺は林の出口に行く」と当たり前のように単独行動を選んだ。誰の危機にも援護に入らず、誰の援護も必要としない。 巴の強さは羨ましかったが、その心はからくり人形のようだ。 衛明館で猫を見ていた巴に、甲斐は言った。 『猫が溺れて死んでも見ていただけだと言うんだろう』 今になってその本意を悟る。 『仲間が窮地に陥っても何とも思わないんだろう』 自分が危機に直面した時、誰かに助けてもらいたいとは思わない。屈辱なだけだ。けれど余計な世話を焼いてくれる人間がまわりにいる。たとえば今さっきの圭祐のように。 もしも圭祐がいなかったらどうだろう。 自分が斬られる瞬間を巴が見ていたら。 ただ黙ってこちらを見ていたら。 (……めっちゃ怖ぇ) 屈辱を味わう方が断然マシだ。宏幸は首を振って想像を止め、隊士の数を数えた。 圭祐の班ともに負傷者はいない。現時点では、まだ。 「巴御前が戻ってきますぜ」 隊士がちらりと視線を移す。 抜き身の刀を下げた巴がゆっくりとこちらに歩いてきた。 はたと瞬きした圭祐は、また人格が入れ替わっていたことに嘆息する。戦っていた記憶はもちろんあるのだが、自分の意思とは関係なしに物事が進んでいく感覚はいつでも不思議だ。 辺りを見回すと自分の班も宏幸の班も揃っている。 まだ黒衣の男は現れてないようだった。 「お圭、どうする。黒い奴を待つってのもなんかおかしいよな」 「そうだね。運がよかったと思って、江戸に帰ろう」 「おお、お圭様がお圭さんに戻った!」 虎卍隊の隊士がわいわいと騒ぎ出す。宏幸の班はどんなに大掛かりの遠征でも毎度にぎやかそうでいいなと笑った。ごろつき集団のようで中身は意外にも面白い人間が多い。 「お疲れ様です、青山さん。終わったので帰りましょう」 「変だ」 戻ってきた巴は、しかし自分達と合流する為にこちらに向かってきたわけではなかった。 圭祐同様、巴も滅多に返り血を浴びない。それなのに今日はずいぶんと服に血が飛んでいることに気付いた。変だというなら巴が一番変だ。 「何か気になることでも?」 巴は圭祐と宏幸の脇を通り過ぎて林道に出る。 真昼だというのに竹林は鬱蒼として生い茂り、日の光がほとんど差し込まない。 「風が遮られてる」 巴の言葉に皆が首を傾げた。だが圭祐はハッとして巴の場所へ駆ける。 まっすぐに開けた細い林道は風の通り道。 そこに立った瞬間、風の勢いが不自然に弱い事に気付いて舌打ちした。 まだ敵がいる。 周辺はすべて始末したが、新手か、黒衣の男か。 「迎撃用意!」 潜んで様子を窺っているならこちらが身を隠す必要はない。 圭祐は声を上げて応戦態勢に入った。 |
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