十.


「上総の遠征は青山に行ってもらう」

 上総国分寺跡付近に潜伏している謀反者の討伐が持ち上がり、浄次は氷鷺隊でも虎卍隊でもなく巴を指名した。広間が騒々しくなったのは言うまでもない。

「巴ですか? 何でまた」

 隆は自分と皓司に不都合でもあるのかと面食らって理由を尋ねる。

「氷鷺隊も虎卍隊もこのところ遠征続きだ。上総は江戸に近い。ヨレヨレの体で敵を逃したとあってはこっちまで火の粉が飛んでくるだろう」
「私も皓司も、もちろん隊士達も疲弊してませんが」

 自分たちのどこを見て疲れていると判断されたのか、浄次の目は節穴というより穴が塞がっているのではと思う。下座から「そうだそうだ」と“野次虎”の声が沸いた。
 皓司が下座を制して黙らせ、浄次に向き直る。

「巴を行かせるのは良いとしても隊がないのですよ。単身ですか」
「一個隊は必要だ。青山、誰でもいいから適当に選んで連れて行け」

 いい加減な命令に隆は閉口した。今の巴が隊士からどう思われているか知らないわけではないだろうに、信頼を失った隊長についていけとは拷問だ。

「うちは貸しませんよ。巴に隊士を預けるぐらいなら私が自ら指揮を執ります」
「寒河江、俺とて何も闇雲に言っているわけじゃないぞ」

 浄次曰く、これまで氷鷺隊と虎卍隊が交代で遠征に出向いていたが黒衣の男は現れず。
 京の一件では龍華隊だけでなく謀反勢もまとめて全滅に追いやられた。
 この時点で明らかなのは、少なくとも直接幕府に仇なす謀反人ではないという事。幕府を敵とするなら謀反勢を殺す手間は必要ない。それより御所と祇園に当たっていた残りの二十名を始末しに行くはずだ。しかしそちらには構わず、謀反勢を手にかけた。
 さらには巴と交戦しておきながら決着をつけず。
 時間がなかったのか他に事情があったのかは定かでないが姿を消した。
 もし生かしておく事に何らかの意味があったとすれば、黒衣の男は龍華隊との関連性が高い。

 ゆえに再び巴を放てば黒衣の男が現れるかもしれないと考えたのだ。
 浄次の目論見は一理ある。
 しかし、だ。

「龍華隊との関連性がもっとも高いのは分かりましたが、巴ではなく前隊長の貴嶺さんと関係している可能性だってあるんじゃないですか?」
「阿呆か。沙霧がそんな」
「あの、御頭。俺一人で行きます」

 巴が割って入る。やっと口を開いたかと思えばそんな事を言い出した。

「お前も阿呆か。一人で何が」
「今度こそあの男を仕留めます」
「肝心の謀反勢はどうするんだ」
「単独でも遂行できる自信はありますし、あの男が出てくればまた無差別に始末するでしょう。それに、俺一人なら隊士の損失もありませんから」

 後先考えない馬鹿は浄次の他にもいたようだ。
 巴の理屈はいちいち正しい。だが己のみに通じる理屈であって、関係する物事すべてに通じる理屈ではないのだ。個人の合理性がまかり通るなら組織はいらない。
 以前の巴なら一人で行くなどとは言わなかった。といって隊士の死に自責を感じている風でもない。今の彼を支配しているのは、ただ一つ。何をもってしても巴の心を揺さぶるのはそれだけ。
 敵を殺す為だけに生きているような男に成り下がっていた。



「僕も行きます。御頭」

 しんと静まり返った広間に、揺るがない声がひとつ。
 隆はぽかんと口を開けて隣を見下ろした。

「圭祐───」
「寒河江隊長、一班の派遣許可を下さい」

 後ろで自班の隊士が動揺しているのは分かっている。それでも彼らを連れて自分が行くのだと、強い意志を秘めた目が真っ直ぐに向けられた。
 圭祐は怒っているのだ。この状況のすべてに。

「うちは貸さないと言っただろう」
「お願いします。僕を信頼して下さるならご許可を下さい」

 誰一人死なせないから、とは言わなかった。
 憎らしい言い回しだ。日頃から寄せている信頼が思わぬ形で利用されてしまった。
 圭祐は常に人の信頼に応えようと努力する。その一途さが頼もしくもあり、心配でもあった。

「……隊士達にはどう説明するんだい」

 すると彼はにこりと笑顔を浮かべ、後ろを見もせずに言う。

「青山さんの指示は仰ぎません。こちらはこちらで討伐を行います」

 隆は苦笑した。
 潔く負けを認めるしかないようだ。

「分かった。不本意だが許可しよう」
「ありがとうございます」

 後方からもう一人の志願者が名乗り出て話はまとまり、即席の一隊が江戸を発つ。
 衛明館の外まで見送りに出た隆は、ヘンな顔をしていると圭祐に笑われた。


 圭祐達が上総に着くのは昼すぎ、早ければ明朝には戻ってくるだろう。それまで居残り組は巡回。皓司はさっさと隊士に指示を与えて広間から姿を消した。
 まだ一日が始まったばかりだというのに、隆は溜息を吐いて縁の下から空を見上げる。

「隊長、あの……城内の巡回に行ってきます」

 振り返ると気まずそうな顔をした保智が立っていた。ヘンな顔だと笑いそうになって堪える。自分も同じ顔をしているらしいから人の事は言えない。隆は身を返して頷いた。

「頼むよ。ああそうだ、龍華隊の隊士はどうだい?上手くやってるかな」
「大丈夫です。もともと見知った奴らですし、特に問題も……」
「能醍班長ーっ! 本丸で鹿が暴れまわってるらしいですよ!鹿!」

 保智の班に引き取られた龍華隊の隊士が外から叫ぶ。保智はげんなりした顔で「問題が起こったので行ってきます」と足早に出て行った。一時は気力を失って消沈していた隊士達だが、持ち直したようで安心する。

 それにしても。
 同時に発った巴の姿を思い出し、隆は我知らずまた溜息を吐いて広間を後にした。




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