九.


 梅雨が明け、夏本番とは言いがたい冷夏に恵まれた水無月の初め。
 ひと月の謹慎を終えた巴は、龍華隊が事実上解散になったと聞いても驚かなかった。
 二十名ばかりの隊士では隊とも呼べず、氷鷺隊と虎卍隊に転属させたと伝えても頷くだけ。辞職希望者が出たゆえの措置だと告げれば「それはそうだろうね」と、まるで他人事だった。

 黒衣の男が現れた一件から人が変わったわけではない。
 青山 巴という人間は最初からこうなのだ。何物にも動じない。
 そういう肝の据わったところが沙霧に似ていると思っていた。
 だが似て非なるものとはこの事で、沙霧と重ねて見える部分など実際は一つもなかった。


 無いよりはと浄次が設えた龍華隊の墓石に線香をあげ、圭祐は周りを見渡す。
 城下の一角にある隠密衆の墓地、青空の下に立ち並ぶ無数の卒塔婆。先々代の墓地は別の場所にあり、この半分以上は約二十年前のもの。つまり浄正の代に死んだ隊士達の墓だ。それだけでも圧巻だった。
 今とは違う時代に、今とは違う隠密衆を率い、浄正は何を思ってこの風景を見たのだろう。

「何度でも見て問うが良い。誰が為の死かと」

 ふいに背後から声がした。圭祐は驚きを隠せず、あたふたと慌てた自分を恥じる。

「瀞舟様……! 足音がしなかったのでびっくりしました」
「これは失礼した。枯れ葉のひとつも落ちていれば気づいたかな?」

 注意力散漫と言われたらしい。ますます恥ずかしくなり、苦笑するしかなかった。
 華道宗家の家元、斗上 瀞舟。その粛然とした佇まいはさすが皓司の父だなと感じるが、年の功か皓司にはない威厳がある。とても華道の先生とは思えない風格を持つ人だった。

「こちらに御用ですか? 隠密衆の墓地なのでお知り合いは」
「いやいや、この先の茶屋に用があってな。通りがかったら圭祐が呆けていたので、少々驚かせてやろうと思ったまでよ」
「え、それじゃ足音を消されていたのはわざとですか」

 本当に皓司とそっくりだ。
 花盆を包んであるのか、大きな風呂敷を携えた瀞舟はそれを足元に置き、先刻圭祐が見ていた景色を同じように眺めた。ふわりと柔らかい生花の匂いがする。
 じっと前を見据えたまま喋らないので、失礼とは思いつつ隣を見上げてみた。
 その横顔にどきりとする。
 どこかで見たことのある眼差し───ああ、先代に似ているのだと気づく。
 遠征時の浄正は、普段の大らかな人柄からは想像できないほど厳しい目をしていた。だからこそ隊士に緊張感が生まれ、わずかの失敗も許されないという気構えでいられた。当時の隠密衆が黄金期と謳われた理由には浄正のそういった態度も影響したのだろう。
 御頭に就任する以前から浄正と親交のあった瀞舟には、ここに並ぶ何千という墓がどういう状況で立てられたものかよく知っているのだ。


「人が変われば時代も変わり、時代が変われば人も変わる」

 重みのある静かな口調に耳を傾ける。

「しかし変わらぬものも確かに存在する。この墓地が何よりの証拠だ」

 龍華隊の空っぽの墓の上で、線香が濃い白煙をあげた。

「守るべきものも分からぬ人間に刀は過ぎた玩具、人の上に立つ身ならば尚の事。国を守るだの民を守るだのは名目に過ぎぬ。己が何ゆえに生きるのかを知らねば、何も守れはせん」

 何を守る為に生きるのか。

「確かに、国を守るとか民を守るっていうのは名目ですね」

 自分の理由にそんな義務はひとつも含まれていない。きっと、昔の浄正は自分が守りたいものも忘れて義務感に悩まされたのだろう。その結果がこの墓地を埋め尽くしたのだ。

「彼らを殺した先代の天敵も、何かを守る為に隠密衆と戦ったんでしょうか。先代とはもう当時の話をされていないんですか?」
「思い出すだけで虫唾が走ると言っておったよ」

 細められたその目には、先刻垣間見た厳しさは跡形もなかった。
 ただ、この人も苦労してきたんだなと分かる目元の皺が少し羨ましい。悠々と年を重ねるだけではこの深みは出ない。

「長居し過ぎたようだ。そろそろ暇するとしよう」

 瀞舟は風呂敷を抱え、墓地の階段をゆっくりと下りていく。

「あの、瀞舟様。お声をかけて下さってありがとうございました」

 頭を下げると先方も足を止めて丁寧に会釈してくれた。木陰に消えていく背を見送り、圭祐はもう一度墓地を見渡す。

 “誰が為の死か”

 何度でも魂に聞かせよう。自分は誰が為に生きるのだと。




 謀反者が蜂起する確率は高くなると皓司が言った通り、隠密衆の出入りは激しくなった。
 しかしこのひと月、氷鷺隊も虎卍隊も黒衣の男を目にすることは一度とてなし。各隊に割り振られた元・龍華隊の隊士なんぞは胸を撫で下ろすのがクセになっていたが、強敵ほど血が騒ぐ宏幸にしてみれば落胆もいいところだった。

「ったく拍子抜けだぜ。なんで出てきやがらねえ」

 遠征から戻ると、巴が広間の縁側に一人で座っていた。氷鷺隊の面々はいない。城内警備に出ている者、我躯斬龍で鍛錬している者、様々だ。隆の姿もなかった。

「青山さん、隆さんどこ行ったか知らないっスか?」
「さあ。ここに来た時にはもういなかった」

 肩越しに顔を向けてそう言い、また庭に目を戻す。
 謹慎明けで落ち込んだままなのか、それとも元からこういう人だったか。
 どちらとも読めず、宏幸はその背を眺めた。細い人だなと関係ないことを思う。襟足から伸びる首など片手で捻り潰せそうな細さで、皓司のような着痩せタイプではない。皓司は見た目こそすらりとしているが、たまに風呂で一緒になるとその強靭な肉体に目が眩むほどだ。

「なんだ、そこにいたか」

 ぼけっと立っていると後ろから突き飛ばされた。邪魔と言わんばかりに宏幸を押し退けて入ってきた甲斐が庭へ直行する。甲斐に気付いた黒猫は転がるようにその足元へ駆け寄り、服に爪を立ててよじ登った。

「巴サンが面倒見ててくれたんデスか」
「いや、庭にいたから眺めてただけだよ」
「池に落ちて溺れ死んでても同じ返事だったんでしょうネ」

 いつもなら相棒の物言いに一言突っ込まなければ気が済まないが、宏幸は今の自分がそう感じていないことを知る。
 急に薄ら寒くなり、その背から目を逸らした。



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