五.


 京都、三条河原。
 祇園侵略を企む一派を町から根こそぎ引きずり出し、御所の目前で片付けるにはうってつけの場所だった。隠密の登場と聞いて謀反勢も血気に逸ったらしく、逃げるどころか蛆のように次から次へと湧いて出てくる。これだけの猛者を揃えるのに何年かかったのだろうか。
 首謀者はここにはいない。諜報の手に余る隠れ上手で、飛車に代行して捜させていた。


「御前! 謀反勢の数が報告と合ってませんよ! 一体どうなっているんですか!?」

 そばで応戦していた隊士が絶叫に近い声で尋ねてくる。
 満月が川面に反射しているおかげで、夜目にも敵数が多すぎる事はすぐ分かった。

「御所狙いの一派とは別の人間達が混ざっているんだろう」

 隠密や幕府が気に入らない者、己の腕を試したい者、別件で謀反を企てていた者、そういう連中が噂を聞きつけてこれを機に集まってきたと見える。
 隊士に向けて飛んできた矢を斬り捨て、巴は腿に装着してある苦無を抜きざまに放った。橋の上で弓を構えていた数人が一斉に喉を押さえて川へ落下する。橋の両岸では深慈郎率いる二班が、下の河原では冴希の一班が水飛沫を上げて競り合っていた。

(キリがないな……)

 数珠繋ぎに出てこられては終決の目処が立たない。
 他隊が持ち場を終えて援護に来るわけでもなく、飛車はあくまで高見の見物。本気で爆弾か大砲が欲しいと思いつつ、飛車から何も情報が入らないのを疑問に感じた時。

 リン、と鈴の音がした。

 襲いかかってくる大鎌の男を一撃で川面に沈め、巴は再び耳を澄ます。


 ─── チリン。


「椋鳥さんッ!」

 叫ぶと同時に深慈郎が橋から飛び降り、冴希の前に着地した。それに続いて欄干からぼとぼとと人影が落ちていく。赤い飛沫が月に重なった。
 橋の上を黒い影が過ぎる。
 何が起こったのか理解する間もなく息絶えて倒れる人間を縫って、影は欄干を飛び越えた。

 深慈郎が冴希を突き飛ばして逃げろと叫ぶ。
 だが冴希は柄尻を引いて仕込みの鎖を伸ばし、大太刀を回転させて影へ放った。当たれば身が真っ二つになるその一撃を易々と躱した影は、冴希の手から伸びた鎖を掴んで大太刀を振り上げ、深慈郎の頭上に叩きつける。
 頭から胴体まで一直線に両断された深慈郎の体がふたつ、ばしゃりと川面に沈んだ。

 用済みとばかりに投げ返された大太刀を拾い、冴希は金切り声を上げて影に突進していく。
 影が消えた。
 否、冴希が闇に一閃した大太刀の刃に乗っていた。
 まるで人間の重さを感じさせないその身が、左手の白刃を水平に薙ぐ。
 冴希の首から血が噴き出した。


 川に足を浸したまま、巴は眩暈がするほどの地獄絵図を茫然と見ていた。
 悪夢という名の長い芝居を見ているようで、しかしそれはほんの一瞬。
 現実なのだと知った時には、黒い影が眼前に迫っていた。

「……っ!!」

 人間の力とは到底思えない打撃。まともに刀をぶつけていれば折れただろう。咄嗟に刃を寝かせて衝撃を緩和し、鍔元に苦無を挟んで受け止めた。それでも鍔に亀裂が入る。
 影と目が合った。男だ。
 魔性としか形容できないほどの冷酷な美貌が月明かりに濃い陰影を浮かばせている。
 敵意というより殺意しか存在しない一対の眼が、嗤った。

 ふっと重圧がなくなり、男の白刃が腰元で翻る。チリン…と音がした。
 瞬きの後には視界一面を埋め尽くす屍の闇。
 紅い川が、巴の足元をゆるりと流れているだけだった。




「な……───」

 龍華隊帰還の知らせを受けて衛明館に戻った浄次は、その数に言葉を失った。
 巴を先頭に、唇をかみ締めて項垂れている隊士は二十名弱。残る五分の四の隊士はどうしたのかと聞くにはあまりに異様な光景で、ふらふらと巴の前に腰を下ろす。

「まず、御所及び祇園への侵略は未然に防ぎました。ここにいる隊士が御所と祇園の警備に当たった次第です」

 浄次が着座するなり巴は報告を始めた。

「自分も含め残りは三条河原へ謀反勢を誘き出して迎え撃つ手筈だったんですが、遂行途中で素性の知れない男が現れ、敵勢ともに全滅しました。申し訳ありません」

 畳に手をつき、頭を下げる。後ろで項垂れていた隊士達が巴に続いた。
 まるで状況が分からない。
 浄次は隣に座っている皓司と隆を窺った。在籍して十年以上になる隆もさすがに驚きを隠せないのか、険しい顔つきで押し黙っている。皓司は相変わらず能面通しだが、その視線は厳しく巴に向けられていた。下座に集った他隊の者は一様に愕然とした表情で誰一人身動きせず。
 浄次の背中を冷や汗が伝った。

「その、素性の知れない男というのは……」
「どこから現れてどこへ消えたのかも分かりません。味方じゃない事は確かですが、敵勢も殺していたのを考えると立場が不明確です」
「……人相は?」
「人間とは思えない容姿でした。動きを見た限りでは妖しの類じゃないかと思います」

 妖しの類、と聞いて浄次は唸る。
 たしかにそういうものがこの世に存在することは知っている。龍華隊の前隊長だった沙霧も四神という人間に非ず者を従え、討伐では度々彼らを駆使していた。知己の呪術師・水無瀬 樹もいわば妖しの類といえよう。平安の世に生まれながら不老不死の呪詛を身に受け、七百年も生きている生きた屍のような男だ。傍には人の姿に化ける妖虎・伽羅がいる。
 しかし、彼らはみな幕府に仇なす存在ではない。

「特徴を詳しく話せ。下谷、墨を持ってこい」
「用意してあります」

 圭祐が差し出した半紙と筆を取り、浄次は巴に詳細を促した。
 巴は記憶を探るような眼差しで宙を見上げる。

「黒髪で長さは普通、目は紫だったと思います。明かりがなかったので不確かですが」
「身長、服装、声質、刀の特徴もだ」
「すらっとした長身で先代より高かったです。全身黒い服装でした。一言も喋らなかったので声は分かりませんが、刀の柄に鈴が付いていたのと左利きだった事は確かです」
「ふむ、鈴と左利きか……重要な特徴だな」

 巴の証言を箇条書きにまとめ、浄次は半紙を折りたたんで圭祐に渡した。

「これを写して各地諜報に一斉手配しろ。検めを渋る者には武力行使も厭わんと伝えておけ」
「了解しました。飛車にも手配しますか?」
「あの」

 圭祐の問いに頷こうとした浄次を差し置いて、巴が割り込む。

「大文字山の山中で首謀者の死体を発見したんですが、付近に飛車の死体もありました。状況からして彼らが殺したとは思えませんし、双方とも第三者に討たれたのではないかと」

 チリン、と軒下の風鈴が鳴った。



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