四.


 浄次が慌しく召集をかけたのは久しぶりの晴天に恵まれたある昼下がりだった。
 部屋で寝ている巴を叩き起こして連れてきた冴希は、歩くのも遅ければ座るまでの動作も鈍い隊長を最終的に押さえつけて強引に座らせた。

「龍華隊に上洛を命じる。謀反勢は数百以上、祇園侵略による御所への叛乱だ」
「そんな大掛かりな討伐に一隊のみなんですか」

 まだ夢の中にいるかと思えば真っ先に巴が質問する。
 甲斐が拾って以来衛明館に居ついている黒猫が浄次の湯呑みに手を突っ込んだ。その首を掴んで皓司の膝へ放り投げ、浄次は頷いて下座まで見渡す。

「御所が狙われるのは江戸を狙われるも同然。あってはならんが、万が一御所が消えたとしても江戸が滅びるわけにはいかん。よって氷鷺隊と虎卍隊には江戸を、龍華隊には京を任せる」
「という事は、御頭は将軍の警護に当たるんですね」
「そうだ。指揮が執れんので今回は三人衆に全権を委ねる。失態は許さんぞ」

 失態の多い御頭が何を言うか、とはさすがに誰も突っ込まなかった。
 地方遠征ならばともかく京は御所の膝元、いろいろとやり辛い事この上ない。山ひとつ燃き払っても許される田舎とは違うのだ。
 慎重にやらねばならない時は龍華隊に限る、というのは先代御頭・浄正が唯一口を酸っぱくして浄次に教えた事であり、特に京への上洛は龍華隊以外を行かせるなとまで言い切った。それは本条 司が率いていた煙狼隊からの系譜で、巴が何と言おうと暗黙の了解になっている。

「他に質問はないか」

 浄次は再度一同を見渡した。猫がミゥ、と返事をしただけだ。

「よし、龍華隊は即刻発て。残りは衛明館及び城内にて待機、諜報からの連絡を待つ。龍華隊が帰還するまで気を緩めるな」

 浄次にしては上出来だ───隆と皓司は内心そう評価して同時に立ち上がる。

「じゃあ氷鷺隊は城内警備に当たろう。護衛の邪魔にならないようにね」
「虎卍隊は城外周辺の巡回をお願いします。賭場と郭への出入りは禁止ですよ」
「賭場もダメなんですか!? 情報の宝庫だって言ったのは斗上隊長なのに」

 異論の上がらない氷鷺隊に反して、虎卍隊の隊士は口を閉じる事を知らない。すっかり皓司の飼い犬と化した彼らだが、自分達がよほどの事をやらかさない限り暴君ではないと学習したらしく、案外話の分かる隊長だと隊内ではおおむね好評。

「賭場へはボケ防止を兼ねて私が情報収集に参ります」
「ボケ防止って……隊長が遊びたいだけじゃないですかっ!」
「年ですので頭を使わないと痴呆が進んでしまって」

 などと深刻な表情で眉を顰める美貌の男は全国どこを探しても他にいないと隊士は思った。
 緊迫した空気にひとり取り残された浄次は、毎度奇怪な言動で意味不明さを増していく皓司を遠巻きに見て広間を出る。



 いつでも遠征の準備万端な龍華隊は、四半刻も経たないうちに全員が揃っていた。
 将軍へ謁見する為に袴に着替えた浄次は、下駄を履いたところで冴希に肩を叩かれる。

「ジョージ、刀買うてくれてホンマおおきに」

 冴希は昨日出来上がった新しい背負い刀を見せびらかすようにくるりと回ってみせた。

「何だ今頃」
「昨日は刀に馴染むことしか考えてへんかったし、お礼言うてなかったなー思て」
「ふん、まあいい。刀はどうだ」
「めっちゃええ感じや。少し軽くしてもろたんよ」

 軽くといっても日本刀の十倍はある。自分の体重より重い刀を易々と振り回す冴希の怪力は、沙霧ほどでないにせよ異常だ。

「ジョージもそんなけったいな妖刀ほかして普通の刀にしたらええねん」
「冴希、そろそろ行こう」

 人の刀にあれこれと難癖つけ始めた班長を巴が呼んだ。
 冴希はぴょんと玄関を跨いで深慈郎の横に並ぶ。

「みんな忘れ物あれへんか? 巴御前、意識はちゃんと持ったやろな?」
「椋鳥さん、失礼ですよ!」

 慌てた深慈郎が隊長の顔を窺うが、巴は首を傾げて不思議そうな顔。
 そんなやり取りを見ていると巴の意識は本当に部屋の布団に忘れられているのではなかろうかと心配になってくる。
 龍華隊の後ろを歩いていた浄次は、城門を出て行く彼らを見送って城へ足を向けた。


「よっ、ヒヨッコ総大将」

 橋を渡ったところでふざけた声をかけられる。
 松の木へ背を預けていた正装の男が待ってましたと言わんばかりに身を離した。

「父上。お久しぶりです」

 実父と会うのはいつ以来だろうか。江戸で預かっている御三家嫡子の剣術指南に任命されたらしいが、まるで袴が似合っていない。そういう浄次も似合わない正装を父に酷評されているとは露知らず、下駄を鳴らして近づいた。

「こんな所でぶらぶらしてていいんですか」
「坊ちゃんのお稽古は終わったもん。お前より飲み込みが早いぞ」
「と言われても父上に剣術を習った記憶はありません」

 浄次が子供の頃はほとんど実家に寄り付かなかった父に代わり、剣術は祖父の浄忠に習った。生粋の江戸っ子である祖父は口も態度も悪く、竹刀でよく殴られた覚えがある。祖母に泣きついて痛いと喚く自分に、祖父は折れた竹刀を投げつけて笑ったものだ。
 骨は竹より頑丈なくせに根性は骨無しだ、と。

「ま、そんな事はどうでもいい。龍華隊は上洛か」

 城門を出て行くのが見えたのだろう、御所の件は聞いたと言って浄正は片腕を懐に入れた。
 浄正の情報源は勝呂でも元隠密衆担当の老中・穂積でもなく、従属の飛車だ。現役を退いた今もそういう情報を仕入れているのは単に好奇心ゆえとは言い難く、いつまでも隠密衆が気がかりで仕方ないらしい。前触れもなく皓司を送り込んできたのがその証拠だ。

「謀反者は何を考えているんでしょうね。御所を狙うなどまったく馬鹿馬鹿しい」
「バカだから謀反を起こす事しか考えつかないんだよ。賢い奴は幕府に混じって内から支配する。城のお偉方がみーんな良識ある健全な人間だと思ったら大間違いだ」

 何か不愉快な出来事でもあったのだろうか。
 いやに私情たっぷりな物言いだと思ったが、浄次はあえて口にはしなかった。

「それはそうと父上、斗上を戻して頂いたのは助かりました。正直言って……」
「あのままじゃ隠密衆は終わってただろうな」

 言おうとした台詞を取られる。
 結局、父にとって隠密衆とは我が子同然なのだ。息子がそこにいるからではなく、自分が苦労して作り上げたものを誰にも壊されたくない。ただそれだけだ。
 身を患ったわけでもないのに何故急いで引退したのだろう。
 今になってふと、その理由を知りたいと思った。しかし訊いたところではぐらかされるのは目に見えている。父の口から本当の理由が語られるのは、恐らく自分が引退する時だろうとも容易に想像できた。

「いつまでもピヨピヨしてると痛い目に遭うぞ、浄次」

 浄正は口元を歪めて脇を通り過ぎ、暢気な足取りで橋を渡っていく。

「もっとも、痛い目に遭ってみないと分からん事も多かろうがな」



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