の塔


十五、


 襲撃計画の詳細が書かれた巻物によって、今回は加担していなかった残党や協力者を残らず諜報に片付けさせる事ができた。同時に各地の鉱山も二の舞にならないよう麓の村から徹底した警備を見直し、この件は終結する。
 一連の報告を聞いた穂積は八幡平から花輪にかけての村へ復興支援の書簡を送り、すぐ人員を派遣させた。

「此度もご苦労だった、浄正殿。殉職隊士の数も近年では極めて少ない方だな」
「……恐れ入ります」

 とはいえ新入隊士四人に対して死者三十六名では話にもならない。
 穂積は柔和な表情にきらりと目を光らせ、何が楽しいのかにこにこと笑う。

「不服といった顔だな。件の犬にまたしても出し抜かれてさぞご立腹と見える」
「腸が煮えくり返るのを通り越し、疑問でならないのです」
「遠征の度に現れては貴殿を殺さず去っていく事か」
「班長の綺堂と安西も、過去四年のうち幾度も交戦しながら今回も生かされました。何か、自分達の与り知らぬところで奴と接点があるのではないかとも考えましたが……」

 皆目見当もつかない。何より個人的な私怨にしては規模が大きすぎる。
 あの男はもっと大きなものを見ているはずだ。
 それが隠密衆なのか幕府なのかはどちらとも言い難いが、奴には奴なりの美学ともいうべき信念があり、初めて会った九年前からそれはただの一度も曲がっていない。
 何の為に───それだけが知りたいのだ。

 穂積はそよそよと仰いでいた扇子を閉じ、立ち上がって庭に下りる。
 城の桜はほぼ散り、鶯が呑気に啼いていた。

「試されている、と思った事はないか?」

 何故かはっとして顔を上げ、穂積を振り返る。

「……と、申されますと」
「いや、思いつきから出た言葉だがな。貴殿を殺さず煽り続ける事で、野良犬なりに何か答えを求めているのではないか。綺堂と安西の両人は現存隊士の中でも群を抜いて優秀だと聞く。彼らは言うなれば酒のつまみであろうと私は推測したが、浄正殿は如何か?」
「それは……しかし、あまりにも釣り合わないのではないでしょうか。確かに奴は並ならぬ腕前、単独で我々に仕掛けてくるだけの事はあります。ですが失敗した場合、奴の罪状はとんでもないものになるでしょう。それを解した上で得ようとしている答えひとつが、死罪にも勝るというのですか」

 池の錦鯉が勢いよく跳ね上がって再び水に沈んだ。

「価値観は人それぞれであろう。某奴が恐れるものがあるとすれば、それは───」




「いたっ」
「奥様!!」

 混み合ってはいないが往来の買い物客が絶えない通りの一角、武家の姫らしき小柄の女にどこからともなく石が飛んで当たった。側付きの中年女が慌てて手荷物を取り落とす。

「大丈夫ですか、お怪我は……まあ大変、血が…!」

 おろおろと取り乱す側付き女の横で、武家の姫は大きな瞳を吊り上げて周囲を見渡した。また石が飛んでくる。姫は素早い動作で胸元の懐刀を掴み、鞘で石を打ち返した。周囲から軽くどよめきが沸く。

「こそこそ石投げるだけで満足? 出てきなさいよ、話ぐらい聞いてあげるわ」
「奥様、おやめ下さい……っ」
「下がってて。やられっぱなしは性分じゃないの」

 気丈な姫は長い黒髪を背に払い、野次に向かって声高らかに名乗った。

「わたしは会津松平家ゆかりの織部宗篤が娘、葛西浄正の妻りんです。出てこないと引きずり出すわよ」

 しばらくして一人の痩せ細った女が出てくる。着物は薄汚れ、油が切れてぼさぼさになった髪は何ヶ月も手入れをしていないのが一目瞭然だった。片腕に小石をたくさん抱え、唸りながら次々と石を投げつける。
 りんと名乗った姫は箸より重いものを持ったことがなさそうな身なりの良い風貌ながら、そこらの侍より腕が立つのではと思うほど見事な腕の返しで石の飛礫をカンカンと打ち落とす。
 敵わないと悟ったのか女は腕から石を落としてへたり込み、急に泣き出した。

「あんた…あんたの旦那が悪いんだよッ……」

 女は地べたに転がる石を手で散らしながら恨み言を吐く。

「あたしからあの人を奪ったくせに……あんたはどのツラ下げて着飾って町歩いてんのさ!」
「あなたの旦那、死んだの?」
「そうだよッ! 城に仕えるんだって張り切って出てったはいいけど、ひと月も経たずに帰ってきたんだ…冷たくなったまんまで……うぅ」

 りんは懐刀を仕舞い、女に近づいた。
 裾を捌いて身を屈め、慰めの言葉でもかけるのかと誰もが思ったその時。
 パン、と頬を張る音が青空に響き渡る。

「な、な…何すんのよチビ女ッ!」
「なんで死んだのか知りたい? あなたの旦那の腕が悪かったのよ」
「な……」
「戦っていうのはね、強い者だけが生き残るの。弱い者は淘汰されて当然よ」

 さすがに酷い言い草だろ、とどこからともなく野次が飛び交い、やがて関係ない者たちまでもがりんを目の敵にして取り囲んだ。

「俺らの税金で食ってるくせに、偉そうに説教垂れてんじゃねえ!」
「そうだ! 死人ばっかり出してるだけの無能集団は畑でも耕してろ!」
「葛西浄正は隊士をエサにして自分だけピンピン生きてやがる能無しだ!」

 止まない野次の連鎖に、りんは臆することなく唇を持ち上げる。

「バッカみたい。隠密衆がなくなったら真っ先に悪党に目つけられて殺されるのは誰だか分かってる? 側近も部下もいないあなた達貧民よ。町で暴動が起こっても幕府は動かないわ。隠密衆以外の武力を備えてないもの」
「ど、同心や浪人だって戦力になる……いざとなりゃやくざだって」
「お生憎様。その同心ややくざが日々頭を下げてる相手が隠密衆なのよ。隠密衆が相手にしてる連中と同じ勢力が押し寄せたらあなた達なんか一瞬で死ぬわ」

 野次が一斉に止み、ざわざわと気まずい空気が張り詰めた。後方からそろりと抜けて退散する者も少なくない。

「今こうしてくだらない話をしてる間も、諜報員が町中を動いて謀反が起こらないよう見張ってる。あなた達がいつでもわたしの旦那の悪口を言える生活を守ってあげる為にね」

 りんは言うだけ言って、隅で縮こまっている側付きの女を立たせた。
 夫を喪った女が地を這うように近づき、着物の裾を掴む。

「呪われて死ねばいい……あんたも旦那も、みんな地獄に堕ちちまいなッ」

 汚い手で触られたのが不愉快とばかりに、りんは力強く女の手を弾き飛ばした。

「言ったでしょ、強い者は生き残るのよ。堕ちるのはあなた。さよなら」



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