の塔


十三、


「鉱山口にて野良犬と二番隊が接触、交戦しております」

 花輪も粗方終息し、無傷の隊士を集めているところに飛車が報告を入れてきた。浄正は隊士の鉱山入りを中止して動ける者に麓を固めておくよう命令する。

「謀反人はどうした」
「野良犬が先に始末した模様でございます。中腹で弓兵の奇襲を受け負傷者七名、死者四名。野良犬による死者は現在十五名です」
「御頭! 犬が出ました!」

 鳥居の方から走ってきた隊士が浄正の足元に倒れ込み、縋りつくように顔を上げた。追ってもう一人も駆けつけてくる。

「今聞いた。他の生存隊士は?」
「安西班長の命で下山してます。我々は街道の消火へ、と」
「八幡平は間に合わん、焼き尽くす」
「御頭、綺堂班長から伝言です。できる限り野良犬を足止めするが逃す可能性もあり、応援は不要、麓で退路の封鎖を、との事です」

 野良犬相手に足止めなどできるわけがない。死に急ぐだけだ。

「少人数で花輪の鎮火に当たれ。残りは鳥居周辺を固めろ。まとまるな、広範囲に散れ」
「はっ!」

 鳥居へ戻ると二番隊の生き残りはほとんど下山していた。中には取り乱して半狂乱に近い隊士もいる。野良犬と直接刃を交えなくても、あの存在自体がすでに恐怖の象徴となっているのだ。医者はそれを「一種の神経症」だと言っていた。新人よりも古参の隊士ほど発症しやすいものらしい。

「御頭は登頂なさるんですか?」

 靴紐を結び直していると、隊士の一人が声をかけてくる。

「俺が行かなくてどうする」
「いえ……でもお一人ではやはり」
「これ以上無駄な犠牲は出さん。奴の狙いは俺だ」
「しかしこの状況はまさに飛んで火にいる、ではないでしょうか……。御頭に万が一の事があってはなりませんし、野良犬が下りてくるのを待ち、包囲した上で一斉に仕掛けた方が」
「下りてくるのを待つだと?」

 思わず隊士の胸倉を掴んだ。隊士の目に怯えの色が浮ぶ。
 綺堂と安西が自分の為に囮になっているのだ。それを裏切り、見殺しにしてまで御頭の体面など取り繕っていたくはない。こんなつまらない役どころ、欲しい奴にくれてやる。

 皆が注目するなか、喉まで出かかった叫びを嚥下して隊士を離した。
 大勢の隊士の前でそんな事が言えるはずもない。結局、体面を気にしているのだ。
 思い通りに行かない。
 何年経っても御頭という役割を受け入れられないまま、無様に形だけを積み上げていく。

「朱鷺、来い」
「御意」

 戦闘には加担しない飛車を連れ、ひとり山へ入った。



 中腹からかなり急勾配になっている。見上げると弓兵と交戦した跡が目についた。
 その先に、木漏れ日の淡い逆光を受けた黒い影がひとつ。
 右手の白刃が光を反射し、浄正の顔を照らしつけた。

「貴様───」

 待ち侘びたとでも言うかのように浄正の姿をじっくり確認すると、黒衣の男はさくさくと下りて来て何の姿勢も取らずに浄正の前で止まる。
 刀の先から血が滴っていた。
 男は無傷。
 綺堂たちと交戦したであろう事は、砂埃に汚れた黒衣を見れば分かった。だがそれだけだ。
 どれほどの返り血を浴びているのかも見えない。

 浄正は抜刀し、山肌を駆け上がった。
 一閃が空を切る。返し刃でまた空を切り、翻って三度目の刃が細木を切り倒した。

「避けてばかりとは相当お疲れのようだな。さすがの貴様も苦戦したか」

 わざと煽る。
 男は刀の脂血を軽く振り払い、一瞬で懐に飛び込んできた。肘か柄尻か固いものが鳩尾に当てられ、いとも容易く吹っ飛ばされる。木に直撃する寸でのところで刀を突き刺し、足場にして体勢を立て直した。
 身の丈はさほど変わらないが体格や筋肉の質量は自分に比べれば十分劣る。それなのにこの圧倒的な身体能力はどこから出てくるのか。
 考えている場合ではない。
 再び攻め込んだ。逃げるなら追い詰めるのみ。しかし男はまたしてもひょいひょいと躱すばかりでまともに競り合おうとせず、こちらが消耗するのを待っているかのようだった。

「ずっとこのままか? 体力落ちを狙っているなら無駄な時間にしかならんぞ」

 他の計画の為に時間を稼いでいるとも思えない。麓はすでに火の海だ。これ以上何も仕掛けようがない。鉱山は───金塊を狙っているわけでもないだろう。単独では土台無理だ。

「……?」

 急に男が立ち止まり、浄正の攻撃を討ち返して背後を指差した。
 振り向くと、木々の隙間に燃えるような赤い空が見えた。強烈な赤。麓の炎ではない。ここの標高からではかなり見下ろさないと麓は見えない。
 あれは、夕日か。
 まるで山全体が紅葉したように、辺りが赤い景色に染まった。

 ぱしん、と鍔を鳴らして男が刀を鞘に収める。
 浄正は瞬時に我に返り、男に刃を向けた。夕日の強い光を見たせいで目が眩む。

「何のつもり……、ッぐ…!」

 鳩尾に鞘の先を捩じ込まれ、こめかみを強かに打たれる。脳裏に火花が散り膝をついた浄正の前に、男は薄汚れた巻物の紐を解いて投げ落とした。
 『尾去沢鉱山襲撃計画』───謀反人のものか。

「何故これを俺に……おい、待て!」

 眩んで揺れる視界に男の背がどんどん遠ざかる。浄正は巻物を握り締めて叫んだ。

「朱鷺ッ! 隊士に警告しろ!!」



戻る 次へ
目次


Copyright©2014 Riku Hidaka. All Rights Reserved.