焔の塔
十二、
鉱山へ近づくにつれて木の枝があちこち切り取られ、弓と死体が転がっていた。隊士は四人、敵は二十弱。木の上で待ち伏せされたらしい。
上から鋼の擦れ合う音が響いた。複数ではなく、一対一の音。
「あ、き…綺堂班長ッ!」
藪を滑って降りてきた隊士の一人が真っ青な顔でよろけ出てくる。二班の隊士だ。怪我はしていないようだが顔に血飛沫が飛んでいた。続いて何故かぞろぞろと隊士が降りてくる。
「どした? もう終盤?」
「奴が…奴が出ました! いま班長が一人で……邪魔だから下の消火して来いって…」
邪魔とは安西らしい言い草だ。
謀反人はすでに野良犬に殺されていたらしく、それなら敵はただひとり。町や寺院のように人や建物の破損を気にすることなく存分に動ける格好の場所だろう。
「班長死ぬ気ですよ……!」
「あー平気平気。安西ちゃんは殺しても死なないから」
「冗談も大概にして下さい! 相手は野良犬です!」
恐怖のあまりか取り乱す隊士を他の隊士に宥めさせ、綺堂は数人残して自班の隊士も下山させた。ついでに浄正への伝達も頼んでおく。
隊長と大和の姿がないのは気になったが、今はとりあえず上だ。
一息に駆け上がって鉱山の入口にたどり着く。
連れた隊士が一歩後退ったほど、黒衣の男と安西の勝負は熾烈だった。
どちらかと言えば安西の方が積極的に攻め込み、男は躱しながら反撃している。男が劣勢なのではない。いつでも安西を殺せる余裕があるから遊んでいるのだ。浄正に対しても毎回そうだった。嬲り殺すように浅く、時に強烈な一太刀を捻じ込んでくる。体術も強い。
「安西ちゃんずるい!」
最強の敵を前に血が騒ぐ。この快感は経験の少ない隊士には分からないだろう。
「あー!? 早いもん勝ちだっつってんだろ!」
猛攻をひょいひょいと躱す男が地を蹴って反撃に出、刀を水平にして安西を押し飛ばした。後ろによろけて体勢を崩した安西に回し蹴りを入れ、素早く突きを繰り出してくる。蹴りを腕で防いだ安西がすぐさま側転して男の刀を飛び越えた。しかしだいぶ出血しているせいで着地に力が入らず、崩れるように膝をつく。
「そろそろ交替した方がいいんじゃね? ヨレヨレだよ」
「酔っ払ってんだよ。つーか大和のアホを下に連れてけ」
「嫌です! 隊長は俺が守りますっ!」
見れば隅で脇腹を押さえている隊長を背に、大和が仁王立ちさながらに刀を構えていた。切っ先は震えているが顔つきは存外しっかりしている。数日前に入ったばかりの新人をほったらかして下山してきた隊士達よりは肝が据わっているようだ。
綺堂は自班の隊士をそちらに行かせ、呆れた声を投げかけた。
「隊長、もしかして割り込みました?」
「……くそっ」
野良犬との勝負に割り込んで一撃で深手を負わされたと見える。安西の足蹴りで。
元々は安西の部下だった平隊士なのに、彼の気質を分かっていない。
「野良犬さん。悪いけどあの子、期待の新人なんで見逃しちゃくれませんかね? 次は俺と勝負しましょう。その間に御頭くると思いますんで」
「出番回して欲しけりゃ酒おごれ」
「酒の前に血飲みなって。腕から啜って体に戻す」
「お二人とも何言ってるんですかっ!?」
時と場合によるが、たまに安西とこんな戯言を挟んでみるようにした。すると男は冗談が通じるのかはたまた呆れてやる気が失せるのか、刀を下げてじっと待っているのだ。
不気味ながら不思議な男だと感じる。敵でも味方でもない、無類の殺戮者。
よっ、と掛け声を入れて安西が立ち上がった。こめかみから頬へどろりと血が流れる。それを無造作に手の甲で拭い、安西はぺろりと舐めた。まさか本当に血が体内に戻るとは思ってないだろうが……。
安西と男が同時に地を蹴り、刀が火花を散らして交差する。
七、八回ほど競り合いが続いた後、安西の刀が耐え切れずに半ばで折れ飛んだ。
男の白刃が安西の首めがけて振り上げられる。
「はい交替ね」
ようやくの出番に男の刀を弾き上げ、間合いを一気に詰めて肘鉄を食らわせた。硬い感触に肘が痺れる。黒装束の下に鉄を仕込んでいるらしい。これだけの腕前を持ちながらしっかり防具を身につけている事に親近感が湧いた。己の能力を過信していない証拠だ。
男は逆手に持ち変えた刀を後ろに構え、重心を落とす。
これは攻めてくるな───そう直感した綺堂は男に倣って重心を落とし、刀を構えた。
一歩、二歩。
間合いを探り合いながら足を運ぶ。
ぴたりと止まった男が懐に飛び込み、逆手の刀を繰り出してきた。瞬発力もあれば腕力もある。逆手持ちでこれだけ強い打撃はなかなか出せるものではない。
受け止めて押し返し、間合いを取る定石の防御。読まれ、読ませた。
普通の刀より長く厚みをもたせた綺堂の太刀はそう簡単には消耗しない。打撃に重点を置けば間違いなく男の刀の方が先に消耗する。見れば分かるだろうに、男は尚も打撃に徹して攻めてきた。
(受けで刀への負担を軽減してるとはいえ……何考えてるのかな)
腰元をちらりと見遣る。もう一本帯刀しているが、それをあてにして一本目を犠牲にしているとは思えなかった。この男は二本目を抜いた事がないのだ。浄正にでさえ。
抜かせてみたい───ふと欲求が湧いた。
一本目を失えば必然と抜かざるを得まい。
そんな当たり前の行為で男が少しでも屈辱を味わってくれたら、自分は腕の一本や二本失ってもいいと本気で思った。
男の連撃を躱して後ろ飛びに低着地し、綺堂は歯を剥き出して笑う。追撃しかけた男が瞬時に足を止め、綺堂の表情を読み取った。
ほんの一秒。互いに息を吸って踏み出す。
斬るのはお預けにしてひたすら刀を打ち鳴らし、連打を仕掛けた。男が後退していく。追い詰められるだけ追い詰めたところで下から大きく刀を振り上げ、男の手元を狙った。
「っ……れ?」
鍔元に打撃を入れて弾き飛ばそうとした綺堂の刀がスカッと空を切る。
「ちょ、刀…」
攻撃を食らう寸前、男はわざと手を離して刀を放り落としたのだ。主を失った刀が綺堂の膝に当たって転がった。
意図が読まれた、というより、意図が読めない。
背には大木、お互い一歩の距離しかない状況で得物を捨てて二本目を抜く間合いはない。
ここは体術で反撃して間合いを取り戻してくるはず……
などと考える余裕もなく顎下に切っ先が飛んできて、綺堂は反っくり返るように後退した。
「おわっ、と!」
落とした自刀の柄尻を踏みつけ、立ち上がった鍔を蹴って足だけで刀を弾き上げたのだ。
再びその刀を握ると、男は構えもせず即座に攻め込んできた。
……器用にもほどがある。
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