の塔


十、


 陸奥国、盛岡。
 江戸の桜はとうに散ったが、東北はようやく春を迎えたばかりだった。満開の桜並木を歩くと足元で桜花がふわりと舞い上がる。

「綺麗ですね。こんなに大きな桜の木は初めて見ました」
「年がら年中あちこちに行くから観光もできて一石二鳥。それにしても大和は健脚だね」
「はいっ。俺、山育ちなんで山越えは得意です」
「頼もしいなー。安西ちゃん、やっぱこの子うちの班にくれない?」
「欲しけりゃ本人に聞けよ」

 京から江戸へ戻って早々諜報の伝達が入り、翌日また江戸を発った。京へ行っている間に入隊した新人四名も早速連れて行く。人手不足で三隊でも足りないほどだが、一隊は必ず江戸へ残していかなければならない。

 遠征のたびに浄正が不満に思う御上からの規約はいつもそこだった。
 謀反人排除に死力を尽くせというなら全隊を外に放してもらいたい。父の代の隠密衆は全隊出陣していたのだ。
 自分の代に何故規約が設けられたかといえば理由は単純明快。
 がら空きの城へ密偵が忍び込み、将軍の首が狙われたからだ。
 幸い父の耳に届くのも早かったおかげで一隊が江戸へ引き返し事無きを得たが、その一件で総出を禁じられた。
 将軍の周りにいる狸どもの腰物は飾りかと心中毒吐く。
 自分の代の隠密担当である穂積に打診しても「それだけはまかり通らん」の一言。
 殉職が多ければ多いほど結果的に将軍を護るのが困難になるという原点は無視された。


「申し上げます」

 音もなく現れた従属飛車の朱鷺が浄正の馬を止める。

「鹿角街道八幡平及び花輪に火の手が上がっております。鉱山の輸送路を塞ぐ目的かと」

 先には尾去沢(おさりざわ)鉱山があり、謀反の舞台はそこだった。金銀銅のほか最近になって銅鉱石が採掘された金のなる山。鉱夫が相次いで殺され、調べたところ単なる賊ではなく藩絡みの陰謀が浮かび上がった。主力鉱山のひとつを止められては幕府の収益に関わる。

「一番隊は八幡平と花輪の鎮圧へ、二番隊は突破して尾去沢へ行け。街道の状況を見て俺も鉱山へ向かう」

 迂回路がないのは仕方ない。二番隊にはなるべく少ない消耗で鉱山へ登りついてもらうべく、突破の際は無駄な戦闘を避けるよう付け足した。
 本来は隊ごとに名称がついているが、今は隊も班も事実上ほぼ壊滅している。
 遠征が終わるたびに数を合わせて三つに割り振るだけの隊に名も形もなかった。

「では俺らもぼちぼち行きますかね、隊長殿」

 一番隊が先駆けてしばらく、綺堂は地図を見ている隊長に声をかけて鉢巻を締め直す。隊長と呼びはするが実際は平上がりの一年生に過ぎなかった。それでも他の隊長よりは実戦経験がある。一番隊の四割は半年以内に入った新人隊士の集まりだ。

「大和。俺の前を走れ」
「はっ? 前ですか!?」

 安西の二班に配属された唯一の新人、鬼丸大和はぎょっとして安西を振り返った。
 初陣で上司の前を走らされるとは思わなかったのだろう、他の先輩隊士を窺いながらおそるおそる自身を指差す。安西は至極真顔で頷いた。

「京から戻った日に手合わせしてんのを見たが、いい腕じゃねえか」
「あっ、ありがとうございます。でも安西班長の前だなんてそんな大役は…」
「勘違いするな、俺は自分の前を邪魔されんのが嫌いだ」
「え……ではどうして」
「風除けだ。前に何もねえと突破するのに色々直撃するだろ、俺が」

 呆気にとられて二の句を継げない大和に、綺堂が笑顔で追い討ちをかける。

「さっき俺を選んでくれてたらこんなイジメに遭わなかったのに」
「一班希望しておけばよかったぁ!」
「安西、綺堂。お喋りはその辺にして行くぞ」

 隊長に叱咤され、二人は同時に「へい」と返事した。


 二番隊が駆けていく。
 脇を通り抜ける直前、綺堂と安西の視線が浄正のそれとぶつかった。
 浄正はわずかに目を見開いて手綱を握り締める。
 この感情は何だろう───胸が締め付けられる、と表現するのか。
 二人とも笑っていた。
 不敵なほどに。




 八幡平は見渡す限り一面が火の海だった。田畑は焼かれ、家畜は柵を失って徘徊し、何頭かは火達磨になって暴走している。
 一番隊の一班がそこで応戦し、二班は花輪へ向かったようだ。
 ここの謀反勢は頭数を揃えただけの浪人ばかりで鎮圧は早いだろう。それよりこれだけの規模を焼かれては消火が追いつかない。民家にも飛び火していた。

「げほっ! 班長、まだ真っ直ぐでいいんですか!?」

 黒い煙が立ち込める中、家畜や一番隊の隊士が横切るのを避けてひたすら走る。時に脇から躍り出てくる謀反人を斬り捨て、大和は涙目で振り返った。煙が目に沁みる。

「この先に見える鳥居の手前を左に行け。そっから山登りだ」
「了解です!」
「綺堂! 先に抜けるぞ、鳥居まで援護しろ!」
「あいよっ! 一班散開、押せ!」

 綺堂の班が二班の両脇に回り込んで敵を外に押し出し、一番隊がそれを始末していく。無駄な競り合いを避けるとはいえ一太刀二太刀の戦闘は避けられなかった。一番隊の取りこぼしもかなり多い。
 鳥居までさほど距離がなくなったところで力技を得意とする一班に道を開かせ、安西の班は疾風の如く街道を突破して鉱山への登り道に入った。



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