の塔


九、


「おい綺堂。今の聞いたか」

 運ばれてきた燗徳利を受け取り、浄正の猪口になみなみと注いだ綺堂が顔を上げる。

「ばっちりよ」
「さっさと死ねってな言い草だったよな」
「俺は運のいい奴らだなっつー褒め言葉に聞こえたけど」
「褒められたのか」

 安西が何を言いたいのか分からず、浄正は二人を交互に見ながらちびりと酒を啜った。
 同い年か、綺堂の方が少し上か。ちょっとしたやりとりにも気心の知れた親しさがあり、兄弟のようだった。彼らのような間柄になれた隊士はどのぐらいいるのだろうか。片手の数ほどもいなかったに違いない。

「気に障る言い方だったらすまん。含みあっての言葉じゃなかった」

 むっつりと黙り込んだ安西に詫びると、彼の眉がぴくりと動く。

「お前達なら分かるだろう、これほど短命な仕事もあるまい。だから驚いたんだ」

 安西はチッと舌打ちして「今頃かよ」と吐き捨てた。その隣で綺堂が軽く笑い、自分たちの猪口にも酒を注ぐ。

「普段広間にいないから隊士の顔を覚える時間がないんでしょうな。俺らは寝床やら広間やらで四六時中仲間の顔見てますし、新入りなんかは特に教えることが多くて丸一日相手したりしますけど、御頭とは遠征の行き帰り以外あまり顔を突き合せる機会がありませんから」

 批難でも侮蔑でもない、ありのままの意見だった。
 筋肉質で戦慣れした猛者のような風貌の綺堂だが、中身は存外柔軟性がある。
 自分の感情を偽らない安西と相手の感情に波風を立てない綺堂は面白いほど対照的で、そして二人とも言葉に遠慮がなかった。御頭という立場上、隊士との会話は何であれ義務的に始まり義務的に終わる。こうして酒を飲みながら他愛ない話をしたことがない。
 そのせいか、浄正は我知らず少し緊張している自分に気づく。
 上司然とした方がいいのか、彼らに気を遣わせないようくだけた方がいいのか。


「御頭は広間にいるの嫌なんですか? あ、安西ちゃんこれ美味い」

 つまんでいた皿をひょいと安西に回し、綺堂は空になっている浄正の猪口へ酒を注いだ。

「メシ終わったらいつも先に部屋へ行くか出掛けるかで、広間に長居しませんよね」
「そういうわけじゃない。俺がいると隊士がゆっくり休めないだろう」

 事実、食事の前や隊長を呼びに広間へ入るとそれまで寛いでいた隊士たちが慌てて居住まいを正し、ぎこちない空気を生む。ただでさえ遠征続きの日常、一日でも二日でも休める時はしっかり体力を回復してもらいたい。自分もまたそうだ。息が詰まるから衛明館を抜け出す。
 結局、浄正も隊士もお互いの存在に遠慮して避けているようなものだった。
 それが良いか悪いかは分からない。どの道、皆遠からず死んでいくのだ。

「休息ってのは、そういうもんなんですかね」

 綺堂は美味そうに酒を舐め、指先で円を描くように猪口を回す。

「体を休めたい時は眠ればいい。けど、心を休めたい時は眠るだけじゃ駄目なんですな」
「……知っている」
「なら、たまには広間に来て下さい。最初はみんな緊張するかもしれませんが、そのうちお互い気にならなくなりますよ」

 昨日まで見知っていた奴が今日そこにいなくても、か。
 喉まで出掛かった言葉を酒と一緒に飲み干した。言えば自分がまるで……


「臆病者」


 ぼそりと、だがはっきりと、綺堂の隣から声がした。

「安西ちゃん」
「事実だろ」

 漬物を二切れまとめて口に放り込んだ安西は手前の徳利を覗き込み、店の娘に酒の追加を頼む。ついでにこの漬物も、と箸でつまんだ京茄子をかざし、またそれを口に入れた。

「ちょ、全部食っちゃったの!?」
「早いもん勝ちだ」
「分け合うのが仲間ってもんでしょ」
「バカ言ってんじゃねえ、食卓は戦場だ」

 漬物をめぐってああでもないこうでもないと言い合う二人に店の娘が吹き出す。
 浄正は酒も忘れて唖然となった。
 衛明館での食事時、うるさいのが何人かいるのは知っている。うるさいといっても無闇に騒ぎ立てるようなものではなく、じゃれ合いというのか。
 何ヶ月かに一人は綺堂のような快活な若者が入ってくる。疲弊しきった先輩隊士を鼓舞し、場違いなほど明るく振舞うも遠征をこなすごとに顔からは笑みが消え、笑い声も途絶え、やがて日常から存在が消えた。
 野良犬を討ち取らなければ組織は一生このままだ。
 隊士ひとり守れない呵責に苦しむぐらいなら何も目に入れるまいとしてきた。

 『臆病者』。
 預かっている命から目を背けても、変わるものなど何ひとつないと知りながら。



 その後、塒までどうやって戻ったのか記憶にない。
 目が覚めると布団に転がっていた。寝間着などは当然なく、羽織を脱いだ遠征服のまま。綺堂たちとしこたま飲んだのだったか。
 枕元に手を伸ばして刀の所在を確かめると、かさりと紙のようなものに触れる。

「…………」

 長い時間をかけて半紙に書かれた文字を見つめ、戸惑った。
 丸めて捨てるわけにもいかず、ひとまず折り畳んで懐へ入れる。
 しかしそれが懐にあると意識した途端に何故か落ち着かなくなり、取り出した。
 今まで二人を覚えていなかった仕返しなのか、隅には「安西 悠」「綺堂 一哲」とご丁寧に下の名まで書かれている。粗暴な口のわりに安西はまろやかな達筆で、綺堂は芯の通った個性的な字を書く。

「こんなもの、どうしろと」

 たったの四文字。
 彼らの信念。
 受け止めるには、背負っていくには、今の浄正には途方もなく重すぎた。




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