八.


 午後から始まった第二試合では、我躯斬龍の四隅に一人ずつ審判が立っていた。一騎打ちの試合中で、個人の技量や癖、弱点などを見抜けという任務を与えられている。隊士なら誰でもいいわけではなく、視力の良し悪しにつけて的確な状況判断のできる者でなければ務まらない。

「よそ見をするんじゃないヨ」
「お前こそ見てんじゃねーよ」

 試合中は私語厳禁。甲斐と宏幸は口パクと身振りでそれぞれの勝手な意思を伝え合う。宏幸が甲斐に向かって親指を下に向けると、我躯斬龍内で試合をしている一人が腹を一突きされ、その場に崩れた。

「終了!」

 腹を刺された男が降参の合図に片手を上げたのを見てから、甲斐は試合を止めた。男は手を上げたまま体を前に倒し、その場で絶命したらしい。隊士が二人駆けつけ、死体の襟首と足をぞんざいに掴んで外へ運び出す。次、と呼ばれて我躯斬龍に入った二人は、血の垂れた地面を見て顔をしかめ、口をそろえて棄権すると言った。


「血を見ただけで闘志が失せるような輩は、来年から門前払いにしろ」

 楽しみが一つ減ったと言わんばかりの顔で、浄次は隣に立っている保智に言い放つ。

「来年も俺が外番なんですか?」
「不満か? 不満そうだな」
「別に不満じゃないですが……もう少し受付担当の人数を増やして頂けると助かるかと」
「その文句が不満というんだ」
「…………」

 保智は自分の発言を反芻して自ら呆れた。これが不満ではなくて何だというのだろう。

 次、とまた合図を出し、浄次は侍女が差し出した湯呑を受け取った。

「次は女の子だのう。呑気に茶なんか飲んでいる場合ではないぞ、浄次」

 いつの間に来たのか、伽羅が隣にすとんと座って我躯斬龍を指差した。

「今日は人型か。ややこしいからどちらか一方の姿で固定したらどうだ」

 虎であるはずの伽羅は、今は人間の女になって浄次の隣にさも当然のように座り、白檀の扇子を広げて仰いでいる。人獣という大層なものではない。話せば色々とあるのだが、隠密衆の連中は皆知っていることだった。
 伽羅が虎の姿でいようと人間の姿でいようと、誰も驚きはしない。むしろ女の姿のままでいてくれ、という注文が殺到しているほどだ。しかし伽羅は気まぐれで、その日の気分によって使い分けるのが常だった。

「浄次は伽羅がどっちだとよいのだ?」
「人型だな。虎は大食いで食費が馬鹿にならんし、重量もある。衛明館が底抜けるだろう」
「じゃあ、今夜からしばらく虎でいることにする」
「何を聞いているんだ貴様……俺は」

 浄次が言いかけた時、我躯斬龍の中から大音量の声が響き渡った。


「ジョージッ、よう見とれや! 三食昼寝つきはうちがもらうで!」

 両袖のない上着に、下は丈の短い洋物のような服を身につけ、少女は浄次を指差して宣言する。背中には大振りの刀がしっかりと鞘に収まっていた。

「何が三食昼寝つきだ、馬鹿者が……」
「背負い刀ですねえ。なかなかの使い手と見えますが、御頭はどうご覧になります?」

 寒河江隆はそう言って、これから寄席でも見るかのようにのんびりとした顔で笑った。

「俺は、あそこまで大きな刃幅は見たことがないですよ」
「見かけ倒しでなければな。あの大刀を本当に操れるのなら、相当な戦力と言ってもいい」

 少女はくるりと対戦相手に向き直ると、なぜか柏手を打ち鳴らしてお辞儀をした。

「ムダな殺生は好かへんけど、こればっかりは運が悪いと思うてや。死んだあとは逢坂の散戒寺っちゅう寺に飛んでけば、うちの馴染みの坊さんがよう供養してくれるさかい」

 相手が何か言おうとしたが、甲斐の一声がその空気を切り裂く。

「双方、始め!」


 抜刀して一歩を踏み出したのは、相手の方が早かった。
 少女はまだ刀を抜いていない。
 背負い刀というのは腰に佩いている刀と違い、簡単にするりと抜けるものではないのだ。まして少女の背にあるのは、刃幅の広い無骨な大刀。あれを小柄な女がどのようにして扱うのか、浄次は自分の中でわずかに逸る血を感じながら、我躯斬龍に近づいた。

「一本、もらった!」

 男が刀を振り上げ、少女の頭上から斜めに首を狙ってきた。少女は身軽にそれを躱すと、抜刀せずに拳で相手の横っ面を殴り飛ばす。誰もが一瞬、呆然とした。真剣勝負の一本目で刀を使わずに相手を素手で殴るなど、女のする業ではない。

「アホちゃうか。見え見えや。女や思ておちょくっとるんやったら後悔さしたるで」

 片膝をついた男は屈辱を感じたのか、額に青筋を浮かべて刀を握り直した。

「女だと思って手加減してやりゃ、図に乗りやがって!」
「ホンマにおちょくってたんかい! ならこっちも手加減せえへんわ」

 少女は相手を見据えたままゆっくりと右手を背中に回し、肩を揺らして鞘から刀を抜き放った。
 ガシャリ、という鞘と鍔の触れ合う音が妙に耳に残る。
 少女の構えた刀は、使ったことのないような新品や錆付いたものではなかった。よく研がれ、幅厚の刃には一点の曇りもない。それでも使い込まれたものだと一瞬で分かるほど、圧倒するものが漂っているのだ。
 それは、少女が構えているからでもあった。
 少女と刀、どちらが欠けてもこの圧倒する何かは存在しないだろうと思わせる一体感。

「ほな、成仏せえや!」

 少女が声を張り上げた。単に地声がでかいだけだが、それは胃を震わせるような振動を伴った。両手で握った大刀を横に向け、風を切るように構えて足を踏み出す。誰もが踏み出したと思った時、少女の刀はすでに数メートル先の相手の胴に届く寸前であり、我に返った時には男の胴体が真っ二つに割れていた。
 相手の男は刀を頭上に構えたまま、振り下ろそうとした気配もなく上半身がずれる。ひゅん、と空中を鉛色の影が引き、再びガシャリと鋼の噛み合う音がした。
 我躯斬龍の周囲に動くものがあったとすれば、それは伽羅の手で翻る扇子のみだった。


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