七. 第二試合まで約一時間の休憩がある。負けた者はその間に江戸城を出て行き、勝ち残った者は無賃で飯を食べさせてもらえるのだ。握り飯と味噌汁程度のものだったが、お替り自由なので待遇は上々だ。 疲労と第二試合前の緊張でろくに飯も喉を通らない者がいる中、元気を有り余した少女は五つ目の握り飯を侍女から受け取っていた。 一方、これからが仕事の隊士たちは昼間から酒を飲み、普段と変わらずバカ騒ぎの体たらく。 「お圭、隆さんまだ来てねーの?」 幾人かの隊士から「お圭さん」などと呼ばれている圭祐は、気にした素振りも見せずに縁側を振り返った。 「そろそろ戻られるんじゃない?」 縁側に寝転がった宏幸に、注いだお茶を差し出す。宏幸は寝たまま器用に湯飲みを傾け、熱そうに啜った。猫のような顔で洒落にもなく猫舌なのだ。 「冷茶がいいよな、夏ぐらいはよ」 日の当たる縁側でごろごろと寝そべっていると、宏幸の子分が三人集まってきた。 「もうちょっとそっち行けよ、高井さん」 宏幸は彼らの上に立つ班長だが、畏まって敬語なんかで話されるのを嫌うので、ほとんどが砕けた言葉を遣う。敬語の不得意な者が宏幸の部下に選ばれるというのも一説にあるほどだ。 「うるせー。俺が先に陣取ったんだから文句言うな」 「分かったぞ、寒河江さんが来てないからすねてるんだ」 宏幸は足元に座った部下の腹を蹴り、寝返りを打って庭へ向いた。三人はお構いなしにそこで雑談を繰り広げる。 「さっき町に出た時、木の仏像を売ってる店あっただろ」 「あーあったな。あそこの親父は顔まで仏像にそっくりだ」 「んでさ、オレ思ったんだけど、寒河江さんてお釈迦様とか観音様みたいじゃねえ?」 ガタッと宏幸が縁側から落ちた。 砂だらけのまま起き上がると、喋っていた隊士の胸倉を掴んでのしかかる。 「おめぇの目は魚眼か、あぁ? 隆さんをあんなブサイクなもんと一緒にすんな!」 「誰も顔がなんて言ってねーよ、ほら、雰囲気っていうか空気がさ」 宏幸は眉間に皺を寄せ、のしかかったまま座敷へ問いかけた。 「似てるか? 似てねぇよな」 「……背中に後光が差してそうな感じはしますけど」 近くにいた保智が、味噌汁を啜りながらぼそりと言う。縁側の三人も含めて全員が頷いた。 「後光? どっかおかしいんじゃねーのか、おめぇら」 「ヒロユキ。殿下が微笑みながら片手を上げて、もう片方を膝に乗せたまま正座してる姿を想像してみるといいヨ」 冷酒の杯を空けて、甲斐は面白そうに片手を上げる真似をした。宏幸はしばらく天井を見上げ、それから俯いて下敷きにしている部下の顔を見つめる。 「………………後光が見える」 「な? だから寒河江さんにはそういう雰囲気があるって言ったんだよ」 「俺がどんな雰囲気だって?」 いつの間にか開け放たれた障子の外に、男が立っていた。 仕立てのいい藤色の着物を身につけた寒河江隆は、にこりと微笑みながら軽く片手を上げて挨拶する。 「遅れてすみません。なんとか第二試合に間に合ってよかった」 その柔和な物腰と穏やかな眼差しがこの男のすべてであるかのような、そんな空気を全身に滲ませている。広い肩幅に六尺三寸という長身だが、威圧的なものはどこにもない。そこに存在するだけで何かが浄化されるような錯覚に陥るのだ。聖人君子のように慕われるうちに、誰が言い出したのか「殿下」というあだ名まで付いた。 「隆さん! マジ遅いっスよ!」 宏幸は部下を跨ぎ越して座敷を横断し、隆に飛びついた。 「重たいなぁ、宏幸は。御頭にお渡しするものがあるから待った待った」 「御頭なんかどーでもいいって! 俺、隆さんと昼飯食おうと思ってまだ食ってねーんスよ」 「そうだったのかい? ごめん、家で食べてきちゃった」 宏幸は飛びついたままの格好でずるずると下がっていく。 「ごめんね宏幸、待っててくれると思わなくて」 「……いーっス。どーせ俺なんか隆さんにはその程度なんだ……」 困ったように苦笑した隆に、浄次は座敷の上座から労った。 「ご苦労だったな。家の方はもういいのか」 宏幸をなだめてから、隆は浄次の前に座って深々と一礼をする。 「お蔭様で。御頭のご配慮を頂きありがとうございます」 「先代の時からいるお前に畏まられると俺まで頭を下げねばならん、適当にくつろいでくれ」 「ではお言葉に甘えましょう」 穏やかな微笑を浮かべ、隆は脚を組み直した。 隆は呉服屋の若旦那というまともな仕事を持っている。しかし何を思ったか隠密衆に入隊し、家業は身内に任せて三人衆の一人を務めていた。 上質の絹で仕立てた反物を差し出すと、浄次はその出来栄えにほうほう、と頷きながら夢中になって眺める。 「それと、店の上得意の方から旅のお土産を頂いたので、おすそ分けです」 そう言って隆が差し出したのは、由緒ある寺の名前が書かれた饅頭の箱だった。 「観音饅頭というのがあるそうで、たくさん頂いたからみんなで食べて下さい」 「観音ッ!?」 間髪入れず、宏幸が奇声を上げる。 「そうだよ。観音饅頭」 隆は箱を開けて中を見せた。ずらりと茶色い饅頭が並び、観音の顔を模った焼印が一つ一つにしっかりと押してある。宏幸はうっと呻いて恐る恐る近づいた。 「和菓子、好きだったよな。はい」 隆が饅頭を一つ取り、宏幸の手に載せる。 手に乗ったそれを、宏幸は穴が開くほど見つめて苦悶していた。 宏幸の動揺の原因を知らない隆に、圭祐がついさっきの話を説明する。隆は饅頭を配りながら笑い、最後に自分の分を取って包みを開けた。 「げっ、隆さんそれ食うんスか!?」 「宏幸は食べないのかい?」 「だって観音が……」 饅頭に焼き付けられた観音の顔を見て、宏幸は手にしたまま一向に包みを開けないでいる。 「いくら俺が観音様みたいだからって、これはお饅頭だよ。毒が入ってるわけじゃないし」 そして隆はひょいっと饅頭を口に入れた。 「あーっ!!」 途端に絶叫が響く。 「と、共食い!!」 「何を言ってるんだい……。早く食べないと試合になっちゃうよ」 平気で残りを平らげる隆を尻目に、宏幸は手の中の饅頭を大事に包んで肩を震わせた。 「……俺は食えません! これ食うぐらいなら死んだ方がマシだ!」 「誰か、高井の口に饅頭を突っ込め」 浄次は饅頭をお茶で流し込み、もう一ついかがです、と隆から言われて二つ目を受け取った。 その頃、少女は握り飯六つと味噌汁を三杯も胃に収め、飯場を出たところだった。気合を入れる為、我躯斬龍のそばに植えてある松の木を蹴り倒してご満悦の顔。 「三食昼寝つきに暴れ放題。こんなおいしい職業は逃さへんで!」 |
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