六.


 入隊試験は、全部で三段階に分かれている。
 まず午前に行われる第一試合は、応募者を適当にグループ別に振り分け、我躯斬龍の中で無差別試合をさせるのだ。無差別試合と聞けば響きはいいが、要するにただの潰し合いである。怪我などによって試合を棄権する者は入り口から自力で出なければならない。その際に、隠密衆の隊士は一切の手を貸さないのが原則であり、あとはそれぞれの運次第、という荒っぽいものだった。
 支給された木刀のみでの試合だが、この試合がなかなかの難関である。

 第二試合は午の刻(午後一時頃)から始まり、一戦目終了までに立っていられた者が試合に出られる。大体は一戦目でそれぞれのグループに五人前後しか残らない。勝ち抜いた者同士、順に一騎打ちの対戦をするのが第二試合の形式だった。
 これは正統な真剣勝負であり、もっとも注目される場である。
 この試合に勝てば、ひとまずは仮入隊の御墨をもらえるのだ。

 そして最後の第三試合。
 前試合の勝者のうち、御頭や審判が実力を認めた者の上位五人までに与えられる特権試合。
 御頭直属の役職である三人衆、もしくはその下の班長六人のいずれかを指名でき、対戦を申し込める。そこで負けても仮入隊が取り消されるわけではなく、あくまで前線の力を試すだけの余興だ。上位に入らなかった者は第二試合で終了ということになるが、隠密衆に入隊したとて下っ端からのスタートになる。つまり上位に入って第三試合を終えた者は、隠密衆における地位も入隊初期から少しは上というおいしい待遇だ。
 どこまでも実力と根性、そして忍耐の求められる無謀な入隊試験だった。
 もっとも、死を恐れるようでは徳川の膝元で刀を振るう資格などない、という代々隠密衆に伝わる教訓がある。


 このような段取りで試合はトントン拍子に進み、第一試合も最後のグループの終了を待つまでとなった。例によって一切手出し無用のヒマ隊士達は、我躯斬龍の檻を見せ物小屋のように眺めながら、女の話や誰が勝つかなどという賭け事にいそしんでいる。

「おい久遠。お前はどいつが勝つと思う?」

 我躯斬龍の片隅で無心に立っている久遠祇城(まさき)は、違う隊の仲間から声をかけられて振り向いた。

「ドイツ? 何の戦争ですか?」
「だからこの中の……」

 言いかけた男の赤い鉢巻を軽く引っ張り、甲斐が補足する。

「誰が勝ち残るかっていう賭けダヨ。ギャンブル。分かるかな?」

 隠密衆で唯一の中国人である祇城は、英語に訳されれば何でも理解できた。出身に少々複雑な事情のある男だが、一年前に隠密衆に入隊して以後、ある程度の日本語は習得している。飲み込みは早いのだが、隊士たちが面白がって俗語を教えたりするので、それが標準語だと思って平気で口にしたりする時もあった。
 そんな時、言葉の間違いを正してくれる心優しい人間は数少ない。しかし剣の腕は誰もが一目置くほど淀みなく、実に正確な仕事をこなして見せたりするのだ。好印象を与える整った顔立ちも、無償で面倒を見てもらえる要素らしい。

「なるほど……。麻績柴様はどいつに賭けているんですか?」

 覚えたばかりの言葉はすぐに使ってみるのが上達のコツである。だが、祇城がそう言うと賭けをしていた隊士たちが一斉に笑った。

「敬語に“どいつ”はねーだろ。将軍の前で言ったらどっかの老中に張っ倒されるぜ」
「勝呂のおっさん、怒るとこえーからな」
「とくに隠密衆なんか目の敵にされてるときたもんだ」

 隊士たちが老中の話で盛り上がると、祇城は黙って甲斐の横に歩いてきた。甲斐は何気なく祇城の顔を伺うと、笑って髪を掻きあげる。

「勝呂サンの悪口、そんなに気になる?」
「気になりません。勝呂様とは少ししかお付き合いがないので」

 祇城の憮然とした声に、甲斐は口元を押さえてしばらく笑いを噛み殺した。

(この子も素直じゃないネェ)


 第一試合終了の合図が響き渡る。



「どないや、見さらせオヤジ! 傷一つ受けへんで勝ち残ったで」

 塀によじ登って選挙カーよろしく不満を巻き散らすというアクションをやってのけた少女は、木刀で保智を名指しした。

「何だあの小娘は。お前の女か?」

 浄次は呆気にとられた顔で保智を見る。保智も呆気にとられた顔で御頭を見返した。

「どれが俺の女ですか……。断じて違います」
「御頭、御頭っ。僕がさっき言った女の子ですよ!」

 深慈郎がその傍らで乗り出した。

「塀に登って喧嘩売ってきた奴か。よく残っていたな」

 後の一言は呟くようにこぼした台詞だったが、少女はきっちりとそれを聞き取り、今度は浄次に木刀の先を向ける。

「御頭かい。隊士募集の瓦版に載ってんの見たけど、ごっつぅ変わった名前やな」

 浄次は訝しそうな顔で隣の深慈郎に聞いた。

「俺の名前はそんなに変わっているのか?」
「そんなことありません! とても素晴らしいお名前だと思いますっ」
「小娘の訛りから察するに逢坂あたりだろう。向こうじゃ珍しいということか」
「えーと、普世さんなら知ってると思いますけど……」

 深慈郎はきょろきょろと弥勒を探すが、あの目立ちたがり屋の姿はおろか、声すらも今朝から聞いてなかった。少女は木刀を肩に乗せ、片手を腰に当ててふんぞり返る。

「西洋人みたいな名前や思たわ。ジョージなんてアホくさい名前」

 少女の口から出た台詞に、一瞬浄次の周囲が凍りついた。
 深慈郎はぽかーんと口を開け放し、保智はぎょっとした顔でもう一度浄次を振り返った。保智の横で帳簿を捲っていた圭祐は、その手を止めて何か考えている。なぜ「ジョージ」と読めるのか、漢字を脳内に浮かべていたのだ。

(……あ、そういう風にも読めるんだ)

 圭祐は何事もなかったかのようにまた帳簿を捲り、第一試合の勝者に印を付け始めた。


「御頭の名前、ジョージだったんですか……?」

 保智が神妙な顔で言うと、浄次はその頭を叩いて黙らせる。

「阿呆か貴様! おい小娘、よく聞け。俺の名はき・よ・つ・ぐ・だ。分かったか」
「ジョージちゃうのん!?」
「その耳障りな名前を呼ぶな!」
「なぁしたらあの字がキヨツグなんて読めんねん。あれはジョージや」
「やかましい! さっさとメシを食いに行け! ただで支給してやっているんだ、残すなよ」
「米も酒も全部貧しい農民から巻き上げくさっとる身分でよう言わんわ」
「お前はその米も酒も全部貧しい農民から巻き上げくさってる職業に応募してきたんだろうが」
「顔はそこそこええのに性格はとことん最悪やな、ジョージッ」

 木刀を投げつけて返品し、少女は律儀にも舌を出してから飯場へ走っていった。飛んできた木刀を受け止めると、浄次は額に血管を浮き上がらせながら木刀の山へ投げ置く。

「俺に木刀を投げつけてきた度胸だけは、認めてやるがな」
「でもあの子、とてもいい動きをしていましたね」

 圭祐は帳簿を付け終えて浄次を見上げた。

「見ていなかった」
「……そうですか」

 じゃあ何を見ていたんだろうと思ったが、深慈郎が昼食を食べに行きましょうと言ったのを区切りに、我躯斬龍を後する。


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