五.


「ここにお名前と年齢と出身地を記帳したら、奥の我躯斬龍の前に並んで下さいね」

 圭祐と深慈郎は、順に入ってくる応募者に向かって一人一人に同じことを言った。中には字を書けないという大人もいるくらいで、代筆しなければならない。

「山本寛斎、と。ご出身はどちらですか?」
「能登だ。あんた達筆だな。別嬪だし、隠密衆に女がいてよかったぜ。やりがいがある」

 山男のような風体の男にいきなり頬を撫でられ、圭祐は絶句して筆を止めた。

「……すみません、男です」
「えっ、うそじゃけ!?」

 隣で記帳していた男が先に声を上げて圭祐を見る。毎年のことなので驚かれるのには慣れたが、さすがに顔を撫でられたのは初めてで、山男のざらついた手の感触が皮膚に残っていた。よくよくこの顔は運がないな、と内心で溜め息をつく。
 その時だった。

「何モサモサ止まっとんねん、そこっ! はよ進めや!」

 暑さを吹き飛ばすような、というより暑さを沸き立たせるような、でかい声が飛んできた。どこから叫んでるのかと見回すと、深慈郎が背後を振り返って塀を指しながら素っ頓狂な声を上げる。

「うへっ! 圭くん、あれあれっ!塀の上!」
「塀の上?」

 二メートル以上はある塀の上に、小柄な少女が身を乗り出していた。

「こちとらぎょうさんあっつい思いしてんねん! もー待てへん、こっから入ったるわ」

 後頭部でひとつに結った髪を振り乱し、塀に跨ろうと片足を上げる。丈の短い服から惜しげもなく生足が露出した。その後ろから誰かの腕が伸び、少女の足首を掴むと手の主も塀の横から現れる。

「待て!」

 保智だった。

「なんや、老け顔オヤジ!」
「誰がオヤジだっ! 今すぐ降りろ!」

 噛み付かんばかりの言い争いに、塀の外の者たちは呆然と見上げている。
 深慈郎があたふたと梯子を持って塀に駆け寄ろうとすると、銀色の影がするりと脇を過ぎた。

「何をしている」

 袖に両腕を入れたまま、沙霧が塀の上を見上げた。

「た……貴嶺さん」

 しまったと思ったがすでに遅く、保智は嫌々ながらわけを説明する。

「この少女が早く入れろと塀に乗り上がってしまって」
「オヤジがちんたらしくさっとるんが悪いんやろ。待つ身にもなってみぃや」

 少女は塀の上に抱きつくような格好で、足を掴んでいる保智を振り返った。
 その背に大振りの刀が担がれているのを見て取ると、沙霧は目を細めて少女を観察する。

 悪くない、と思った。
 何かやらかしてくれそうな「風」を持っている。
 ただ喧嘩っ早いだけの少女ではなさそうだと感じた。

 沙霧は袖から腕を出し、少女を呼んだ。

「今しばらく待ってくれないか。入ればすぐに第一試合になる」
「せやかて姉さんなぁ、受付がモサモサやっとるから」
「こら、貴嶺さんに口答えするな!」
「タカミネもミネルバもあらへんわ! やかましいっちゅーねん、オ・ヤ・ジ!」

 少女は片方の足を少し引くと、勢いをつけて保智の顔面を蹴飛ばした。真っ向から額を蹴られ、保智はバランスを崩して二メートル下へ背中から転落する。当然、下で受け止めてくれる者は一人としていなかった。

「よほど元気が有り余っているようだな」

 沙霧はかすかに笑ってそう言うと、再び少女の背中の刀に目を遣ってから背を向けた。

「試合が楽しみだ。我躯斬龍で会おう」

 沙霧の言葉を聞いて少女は毒気を抜かれたような顔をする。やや遅れて素早く塀の上に立ち、拳を振り上げて叫んだ。

「待っとれや! うちの力を見せたるさかい!」



 受付けが終わると深慈郎は帳簿を持って御頭の元へ行き、圭祐は硯を片付け始めた。
 門を閉めて入ってきた保智を見るなり、苦笑しつつも心配になる。

「保くん、大丈夫?」

 額を擦って歩いてきた保智は、無愛想な顔の中央に皺を寄せた。

「一応。あんな子供まで試合に出るなんて、少し規制した方がいいんじゃないのか。この行事」
「僕も御頭にそう言ったことがあるけど、その気はないみたいだよ」
「鬼だな……」

 我躯斬龍の回りに集まった人垣を見る。少し離れたところで我躯斬龍を背に、黒尽くめの御頭が試合の説明をしている最中だった。浄次はこの恒例行事が好きらしく、説明する声にもどこか高揚した色を含んでいる。

「……圭祐。あの人はやっぱり普通じゃない」
「普通だよ。お茶と焼き物が好きな、ちょっと神経質だけど優しい人だと思うよ」

 保智は猜疑の目で相棒を見下ろし、地面に打ちつけた腰を片手で揉みながら歩き出す。

「そういえば、殿下はまだ来てないんだな」
「今日は遅れるそうだよ」
「何かあったのか?」
「ご家業の棚卸。第一試合は別にいなくてもいいって御頭がおっしゃってたから、昼過ぎになるんじゃない?」
「ああ、そうか……あの人も見かけによらず多忙だよな」


 晴天の下、熱い闘いの火蓋が今、切って落とされようとしていた。

 というのは御頭だけの熱意であって、隠密衆の面々は堂々とあくびを漏らしながら、担当の場所に就いて好き勝手にやっていた。




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