四.


 受付用の机に帳簿と墨を並べ終えて、圭祐は門の方を見やった。試験のために集まった無骨者たちの喧騒が、扉の向こうから止むことなく聞こえる。
 毎年この騒ぎだ。
 緊張してわざと自分を鼓舞している者、単に粋がっている者。
 その中に毎年聞き慣れた怒声が混じり始めると、悪気はないが笑ってしまうようになった。

「向いてない仕事なら断ればいいのに」

 相方の素行が手に取るように分かり、圭祐は墨を磨りながらまたくすっと笑う。



 塀の外では保智が一人、応募者のまとめ役をやっている。統治能力に欠ける彼は、こういう仕事が一番の苦手だった。何を隠そう、接待や人付き合いが人三倍下手くそだからである。言わなくてもいい一言を喋って喧嘩を売っただのと言われ、お世辞と愛想を振りまく営業職には不向きであろう無愛想な顔がむかつくとイチャモンつけられ、以下延々。
 そして良い友人にあまり恵まれない少年期を過ごしたせいで、少々捻じ曲がった性格。

「もう少しで受け付けが始まるので、あまり騒がないで下さい」

 言うことを聞かない野良犬を相手にした気分で、保智は残る気力を絞って言った。同じことを言うのはこれで何度目だろう、と数える気にもならない。一人一人の体格や推定年齢、武器などのチェックをそれとなく行いつつ、人数を数えた。と言ってもそれは形だけで、ロクに応募者の顔も見ずに列をなぞっているだけである。
 見た目と実力は相反するものだと、隠密衆に入って思い知らされたからだ。

「おい、無愛想な兄さん。さっきからもう少しもう少しって、あんた本当に時間の流れを分かってんのかい? いい年なんだろ。オレがあんたの代わりに隠密衆やってやるよ」

 列がどっと哄笑に包まれる。追い討ちをかけるようにあちらこちらから野次が飛び、しまいには持参の武器を投げつけてきた者までいた。ぶちりと保智の中で糸が切れ、そうなったらあとは幼稚じみた罵倒しか出てこなくなる。


「そんなに待てないなら帰ればいいだろっ!」
「相変わらず短気だな、ヤッスー」

 怒鳴った保智の隣に、ひょっこりと黄色い頭が並んだ。

「"待てないなら帰ればいいだろ"? そんなモンで野郎がまとまるかよ。オレだったらまとまってやらねぇな」
「高井さん……その妙な呼び方はやめて下さいよ」
「おめえの不器用さを直してやろうと、俺が今から手本をだな」
「いえ結構ですっ。あなたが来ると余計にややこしくなる」

 町から帰ってきた宏幸は、保智の足元に転がっている一振りの刀を持ち上げて鞘から抜いた。

「得物だけは、まぁ上等だな。これ投げた奴、前出ろよ」

 その場が急に静まり返る。
 保智は無遠慮に宏幸の顔を伺い、彼の不機嫌の大元が分かってしまった。

「おらどーした。さっきまで粋がってたんだろ、おめぇら。俺じゃ不満だってのか?」

 生唾を飲む音がして、ようやく一人の男が前に歩み出た。

「お……俺だよ。刀を返してもらいましょうや、旦那」

 額に傷のある男だった。上背は宏幸の頭一つ分は高く、体格も武士としては悪くない。
 宏幸はニッと笑って刀を放り投げた。

「取りな。退屈してんのはお互い様だ、ちょっくら手鳴らししようじゃねーか」

 ざわりと空気が揺れ、周囲の顔に緊張の色が走る。平なのか幹部なのかも定かでないような宏幸だが、隠密衆の現役隊士である事には変わりない。
 名乗り出た男の顎に汗が伝った。
 しかし男も隠密衆の試験に名乗り上げただけあり、それなりに腕の方は自信があるのだろう。汗を拭うと刀を取り、すぐに構えた。

「あんたに勝ったら試験免除で入隊させてもらうってのは、どうかね」
「俺さぁ、クチだけ達者な奴ってのが一番ムカつくんだよ」

 そう言った時にはもう、塀に血が飛んでいた。
 ごろりとその隅に生首が転がる。
 間をおいて、寸刻までそこに繋がっていた胴体が刀を持ったまま倒れた。

「俺らに刀を投げつけたからにゃ、覚悟はあったんだろ。仏さんよ」

 自分の刀に付いた血糊を死体の服で拭い、宏幸は小気味いい音を立てて腰の鞘に戻す。

「うるせぇ蝿はこーやって黙らせるのが効率いいんだぜ。じゃ、頑張んな」

 保智の肩を叩いて、宏幸は門の脇に消えた。
 すっかり冷え切った応募者の列から、一人、また一人と帰っていく者の姿が出る。それでも残った者はほどんど顔色を失くしていた。保智はあきれ返った風に溜め息を漏らし、仏を振り返って次第に肩を震わせる。

(……誰が責任を取ると思ってるんだ、この仏の責任をっ!)


 その時、最後尾に新たな人影が並んだ事に、保智はまだ気づいていなかった。
 嵐の波が、ゆっくりと立ち上がる。


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