十四.


「ほんま、何や。ジャリンコは神さんでも拝んでたらええねん、お前のいるとこちゃうで」

 弥勒が手をこすり合わせて拝む仕草をすると、冴希は木魚を叩く真似をしながら言い返す。

「あんたかて、一年前に土佐に行く言うて出てったくせに、何で逆方向の江戸にいるねん。さっさと寺に帰って念仏でも唱えとったらええ」
「っちゅーか宴会や宴会! もう始まっとるがな、はよ行かへんと。ほなバイナラ」

 弥勒はパンと手を一打ちして冴希の横をすり抜け、廊下の窓の庇に手をかけた。冴希は即座に弥勒の服を掴んで引っ張り、目の前の臭う部屋を指差す。

「ちょい待ちや! 厠どこやねん。ここか?」
「ドアホ! 何べん言うたら分かるんやジャリンコ女。ここはわいの部屋や!」
「一回しか聞いてへんわ! どこでもええから用足さへんと漏れるちゅうねん!」

 弥勒は喉から奇声を上げて冴希を小脇に抱えると、猛ダッシュで窓から飛び降り、一階の奥にある厠の戸を開けて放り投げた。

「一時間でも二時間でもクソしたらええねん、ほなな!」

 冴希が口を開く前に扉を閉め、手近の箒をつっかえ棒のように立てかけてから大広間へ走っていった。


 弥勒が宴会場へ踏み込んでいくと、おおっという驚きの声は上がらず、代わりに冷めた視線が方々から飛んできた。

「布団は洗ったのか?」

 浄次がそう言うと、弥勒は一瞬呆けてから足元の座布団を投げつける。

「わいのクソやないっちゅーねん! それより何で冴希がここにいてるのか説明してもらわな」
「冴希? ああ、背負い刀の小娘か。合格者の一人だ」
「なんの合格や。ベンジョ探しの合格者かい」
「入隊試験だ、馬鹿者」

 浄次が呆れて言ったところで、冴希が戻ってきた。
 入り口でまたしても関西人の火花が散る。

「ジョージ! 何で弥勒がここにいてるのか説明してもらわな納得できひん!」
「郷土訛りで同じことを聞くな!」

 二人が知り合いだと分かると、冷めた視線が途端に好奇の視線に変わった。
 まったくもって単純な集団である。

「弥勒と知り合いなのかい?」

 視線を代表して隆が尋ねると、二人は口を揃えて唾を飛ばした。

「誰がこんなアホと知り合いなもんかい! ただのご近所さんや!」
「てめぇら、隆さんに向かって汚ねー唾飛ばすんじゃねぇ!」

 横から宏幸が徳利を投げつける。それをキャッチした冴希は、手の中の徳利を握り締めて弥勒に突きつけた。

「ほな、勝負して負けた方が出てくっちゅーのはどうや。勝負はコレ」

 弥勒の鼻先に徳利がぐいっと押し付けられる。豚のように反り返った鼻で一笑した弥勒は、冴希の手から徳利をもぎ取って握りつぶした。

「お前が泣いて東海道を歩く姿が今から目に浮かぶわい。後悔すんなや」

 広間は一気に大歓声に包まれ、みな口々に酒を持ってこいと叫び出す。
 毎年なにかを賭けて催される呑み比べは、今年は脱退争いとなっただけのことだった。



「まだまだいけるで!」

 冴希は真っ赤な顔で十六本目を徳利ごと飲み干して放り投げると、弥勒も徳利を一口で空けて後ろに放り投げる。

「顔が赤いで、ジャリンコ女。そろそろ降参したらどうや」
「まだいける言うたやろっ。あんたも呂律が回っとらんくせに、観念しいや」

 冴希の横では深慈郎が、弥勒の横では伽羅が徳利を渡す役をしていた。

「弥勒。お主、目が据わっておるぞ」
「根性なら昔から据わっとるがな。次っ!」

 伽羅は自分もちびちびと猪口に口を付けながら弥勒に徳利を渡す。ちょうど二十本目を飲み干したところで二人は縁側に這っていき、胃の中身を吐き出した。

「庭が……」

 熱の届かない下座で黙々と煎餅を齧っていた祇城が呟くが、誰も聞いていなかった。

「……明日の庭掃除は大変かもしれない」


 冴希が危うい足取りで三枚に重ねられている『勝負座布団』に戻ったところで、甲斐が提案する。

「二人とも酒に弱そうだから、ここからは代理戦にしたらどう?」

 二十本の徳利をわずか半刻で空けたが、隠密衆の面々にすれば「弱い」方なのだ。酒豪揃いの隊士は一回で一升瓶を軽く空ける者が多い。甲斐の提案に野次達はさらに熱くなり、冴希の側に加勢の声が上がった。というより冴希にしか加勢を申し出る者がいなかった。

「姉さん! 姉さん酒はいける口やろっ。うちに代わって赤猿を追い出してや!」
「別に構わないが」

 腕を引っ張られて指名され、沙霧は座布団を二枚退けてからそこに座った。

「ちっ、沙霧を取られたか! ほなこっちはお圭ちゃんや! お圭ちゃん、来い!」

 樹に酌をしろと言われて途中から相手をしていた圭祐は、弥勒に呼ばれて苦笑する。

「すみません、水無瀬さん。ちょっと失礼します」
「このぼんくら集団で沙霧に勝てるのはお前しかいねぇのか」
「勝てませんよ。貴嶺さんの方が酒豪です」
「と、言うわりには余裕顔じゃねぇか。沙霧に勝ったら一晩高値で買ってやるぜ」
「お言葉だけ頂いておきます」

 乗り気じゃねぇな、とぼやく樹を背にして、圭祐は沙霧の前に引き立てられるようにして座った。

 歓声が広間に響き渡り、熱気も増してくる。
 あまりの蒸し暑さに、沙霧は羽織っていた上っ張りを脱いで座り直した。
 すると違う歓声が方々から沸きあがる。

「さっ、沙霧様……いいんですかそんな格好で……っ」

 タンクトップと短パンのような格好になった沙霧に、深慈郎は自分の羽織を被せたい衝動にかられて当人よりも焦っていた。

「部屋中が暑苦しい」
「ででで、でもですね……」
「おおーっ! わいもう勝負なんてどうでもええねん!」

 弥勒が沙霧に飛びつこうとしたが、後ろから蹴り飛ばされて障子を破って廊下に転がる。

「どっちが勝っても一晩俺と寝るってのはどうだ」
「水無瀬さんも節操なしだからネェ」
「そこ、勝手に勝負を棚上げせんといてや! 姉さんが勝ったら弥勒を追い出す約束やで!」

 沙霧にかじりついて怒鳴った冴希は、廊下の弥勒を指差した。
 その間に沙霧はさっさと圭祐を促して呑み始めている。

 そして半刻後、二人とも素面のまま酒蔵が先に尽きたのは何年ぶりかの珍事となった。



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