十二.


 今年の試験ではもっともハイレベルな試合が今、完全に日の落ちた我躯斬龍の中で再開した。両者とも本気でやると言ったが、それまでは小手調べ程度だったらしく、にわかに戦法が変わった。刃の交える甲高い音が響き、白刃がめまぐるしく闇に光っている。

「面白くなってきたのう。やはり入隊試験は毎年こうでなければ。のう(いつき)

 朝方、衛明館にちょっと顔を出してからどこへ行ったか行方知れずだった樹が、この時分になってまるで物憑きのように姿を現した。長い羽織を邪魔そうにしながら歩いてくる樹に気づいた伽羅は、ちらりと振り返って目を輝かせる。

「この面白い最中に、どこに行っておったのだ」
「どこだっていいじゃねぇか。それより沙霧が珍しく本気だな」

 樹は空いている椅子に腰をおろし、我躯斬龍を眺めた。

「なんだありゃ。國守じゃねぇか」

 独り言のように呟くと、浄次が意表をつかれたような顔で振り向く。

「知っているのか」
「こう見えても小僧よりは長生きしてるんだよ。大昔、元の持ち主と付き合いがあった」
「あの刀の持ち主は二百年前に生きていた人物だぞ……」
「それがどうした」

 浄次はそう言われて、改めて樹の横顔を凝視した。

 どうもこの男は謎めいている。何が謎なのかといえば、年中黒い羽織で意図も分からず全国各所をほっつき歩いているという点だが、年中黒い服という部分においては浄次も似たようなものだった。
 樹の出生を知らないわけではない。
 だが、カチコチの理屈通りに人生を歩んでいる浄次は、どこか疑心暗鬼になっているのだ。二百年前の男と付き合いがあったというのは、たしかに本当なのだろう。しかし信じてみたところで、その持ち主の男はどんな風にあの刀を操ったのだ、と聞けないあたりが、どこかで信じていない証拠かもしれない。
 樹は隠密衆ではなく、深い付き合いでもないので、浄次はそれ以上何も言わなかった。



「いつになったらその刀で面白いもん見せてもらえるん?」

 冴希は息を弾ませながら、汗で滑る柄を何度も握りなおして沙霧の猛撃に耐えていた。限界にはまだ程遠いが、余裕もそれほど残っていない。今まではやはり手加減していたのか、と腹を立て、自分もさほど本気ではなかったことに笑う。だが、こうしていざ本気を出してみても、沙霧の体に刀はおろか、手足の小技さえも掠りはしなかった。
 その反面、冴希の体は満身創痍といってもいいほどに打ちのめされている。刀傷こそまだ受けていないが、隙あるごとに沙霧の蹴りや肘が飛んできて、躱せるものも次第に躱せない状態になっていた。それでも声だけはしっかりしていて、沙霧の方が少し驚いたくらいだ。

「なかなかくたばらないな」
「甘っちょろいわ。それよりぼちぼちケリつけようやないの、姉さん。腹減ってきてもた」

 なるほど、と沙霧は胸のうちで冴希の体力が落ちていた理由を納得し、一度冴希を刀で押し返した。冴希は身軽に宙返って沙霧から離れ、着地すると同時に地を蹴ったが、早くも眼前に迫ってきていた沙霧に驚き、ぎょっとした時には遅かった。
 脇腹のあたりで皮膚の裂ける感覚があり、かっと火照るような熱がそこから蔓延し始める。しかし構っている場合ではなかった。怯んでいる隙に次の攻撃が必ず来る。冴希は身をよじりたくなる痛みを堪えて刀を構えたが、意に反して沙霧の攻撃はなかった。

「姉さん、何しとんねん」

 沙霧は悠然と背を向けて我躯斬龍の隅まで歩くと、疲労した様子もなく白木の鞘を拾い上げ、刀の血を振り切って鞘に収めた。鍔のない刀が、ぱちんと木の音色を響かせる。

「まだうちは負けてへんで! よう見てみ……」

 冴希の声が途中で息を呑むように切れた。脇腹を押さえた手から、國守がガシャリと無防備に落ちる。傷自体はそれほど深くやられたわけではなかった。だが、まるで心臓を貫かれたような虚脱感が全身を襲ってきたのだ。

「な……なんやこれ……」

 沙霧は時雨を腰に差し、かすかに意地の悪い笑みを浮かべた。

「血の気が一気に引いた顔をしているな」

 実際、生気を失いつつある顔だった。

「刀に毒仕込んであったんか……卑怯やでソレ……」

 恨み言を言いながら、冴希は足を踏ん張ったまま後ろにばたりと倒れた。



「そこまでだ。双方、ご苦労」

 静まり返った場に、浄次の声が割り込む。
 最後の試合が終わった。

「本日これを以て終了。ささやかではあるが宴の席を用意してある。半刻後に衛明館の大広間へ集まれ。以上、解散」

 仮入隊を認められた新人を含め、隊士たちは一斉に盛大な溜め息をついてぞろぞろとだらしなく離散していった。新人は疲れもあるだろうが、八割は隠密衆に入隊できるという安堵感から出た溜め息であり、隊士たちは沙霧と冴希の予想外の激闘を見た末の溜め息半分、退屈な行事がようやく終わったという怠け心から漏らした溜め息半分であった。
 沙霧は倒れて気を失った冴希をひょいと肩に担ぎ上げ、國守を鞘に収めて片手に持つ。文字通り鉛というほかにない重さで、國守は沙霧の手にずしりと反応した。その重さ六貫目(約26kg)。六貫もある刀を、ごく平均的な少女体型の冴希はその背に背負って江戸まできて、そしてこの場で易々と振り上げてみせたのだ。
 沙霧は先刻の試合を思い出す。
 何が彼女を刀に導いたのだろう。血族の誰かを失くしたか。
 これといった悲壮感を漂わすでもなく、また金目当てのようでもない冴希の目的を計りかねた沙霧は、どのみちこの少女とこれから寝食を共にすることになるのだと自分に言い聞かせた。それはきっと退屈しない生活になるだろう。胸の内で思う。

「姐御、腕大丈夫っスか」

 扉の外で待っていた宏幸がそわそわしながら声をかけると、沙霧は軽く頷いて國守を宏幸に放り投げてよこした。軽々と放り投げられた刀を受け取り、宏幸は重みで腕ごと地面に落とすという無体を晒す。

「私の部屋に置いてきてくれ。勝手に入っていい」

 滅多に他人を部屋に入れない沙霧がそう言い、宏幸はしゃがみ込んだまま呆然とした。

「姐御の部屋に入っていいんスか?」
「何を考えているのか知らんが、刀を部屋に置いてきてくれと頼んだだけだぞ」
「そっりゃ勿論、ちゃんと置いてくるっスよ! ちゃんと!」

 何がちゃんとなんだか、と沙霧は苦笑して我躯斬龍を後にした。隠密衆きっての荒くれ者である宏幸だったが、年上の美人には柴犬のように愛想がいい。沙霧が宏幸に平気で私事を頼めるのも、彼が下心のある男どもとは違うと感じているからだった。


「しっかし重てーな、これ」

 地面に置いた國守を見つめ、宏幸はぴくっと頬の筋肉を強張らせる。

「……そういや姐御、あのガキ担いでこれも持ってたよな……」

 鳴き遅れたカラスが一羽、頭上でアホゥと鳴いた。




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