十一.


「一本は取ったるで!」

 二人が同時に地を蹴り、その姿は皆の視界から消えた。小刻みに地を駆ける擦れた音だけが聞こえ、突如その沈黙を破るように鋼のぶつかり合う音が響く。一瞬、赤黒い空が振動したように感じたのは浄次だけではなかった。譲るところのない力が真っ向から噛み合い、互いの鋼に刻みつけている。
 我躯斬龍の中央で、二人は刃を交えたまま止まった。

「その刀、佐世津の國守だろう」

 ふいに沙霧が言った。沙霧の刀を押し返しながら、少女はにっと笑う。

「よう分かるな。かれこれ五百年前の名刀やねん。うちの隣で叔父さんがやっとる道場に奉られとったんを、勝手に拝借して来たんや」
「神刀に等しい刀だろうに。とんでもないじゃじゃ馬娘だな」

 少女の刀を弾き返し、二人は再び姿を消す。



「佐世津國守だと……? 帳簿を見せろ」

 浄次の隣で唖然と試合を見ていた深慈郎は、ワンテンポ遅れて返事をしながら帳簿を探した。圭祐がすかさず帳簿を手渡してくれ、深慈郎は照れ笑いを隠せないまま礼を言う。
 渋面で帳簿を受け取った浄次を見て、深慈郎は好奇心を押さえきれなかった。

「刀がどうかしたんですか?」
「思い当たる節がある。小娘の住所が分かれば……」

 浄次は早口で言い、帳簿をめくり始める。一分経っても御頭がガサガサとめくっているので、見兼ねた保智は小声で教えてやった。

「あの少女の記帳なら最後の半紙ですが」
「それを早く言え」

 何枚めくったと思っているんだ、と愚痴をこぼし、もったりした帳簿をひっくり返して最後の頁を開いた。

椋鳥冴希(むくどりさき)、山王町倉敷神社……山王町?」
「山王の倉敷神社付近にある道場といえば、無双一天流じゃありませんでしたっけ」

 隆は顎に手を当てて空を仰ぎ、思い出したように言う。
 つられて深慈郎も空を見上げたが、そこに地図があるわけではなかった。

「そうか、無双一天流の統主が後生大事に奉っていたあの宝刀だ」
「どうりで俺も見たことがあると思いました。三年前の山王遠征でお世話になった道場でしたよね。山王に倉敷あれば柄佐(つかさ)あり、と謳われているあの柄佐道場」
「統主は食えぬ男だったが、するとあの小娘は姪に当たるわけか……」
「この腕前なら得心がいきます。期待十分ですね」

 浄次に微笑みかけ、隆は温和な目を我躯斬龍に向けた。



 先刻以来、一向に刀を合わせない沙霧と冴希は、互いの出方を待つようにただ地を蹴っていたが、やがてぴたりとその足が止まった。両者とも元の位置に立って刀を構え、冴希が靴底をすり減らすように右へ動くと、それに合わせて沙霧も猫のようにすっと右に動く。
 切っ先は揺れることなく互いの喉元へ向けられていた。冴希は両足の爪先にぐっと力を入れると、相変わらずのでかい地声を張りあげて周囲を驚かせる。

「せぃやーッ!!」

 國守が沙霧の足元を掠めたが、沙霧は斜めに飛び退って躱し、冴希の背に時雨を振り下ろした。しかし冴希もそれを読んでいたのか、身軽に体を反転させて刀を弾き返す。そしてまた、我躯斬龍を余すところなく駆け回って互いの隙を狙い始めた。

 幾度か刃の交じる音が聞こえていた刹那、沙霧がわずかに足元を乱してよろめいた。気づかれないほどのわずかな乱れだったが、冴希は好機を逃すまいと沙霧のわき腹に蹴りを入れ、右腕を切り裂く。片手での小回りも効く冴希の刀裁きに関心しながら、沙霧は寸でのところでそれを軽傷に済ませ、体勢を持ち直して冴希との距離を置いた。

「やるじゃないか」

 袖が一文字に破れ、白い腕から血が滲み出す。

「一本取る言うたやろ。うちはやるて宣言したからには絶対やるで」
「私から一本取るのは、あそこにいる葛西殿でさえ三日を費やしたものだが」
「それはジョージがたいしたことあれへんちゅう証拠やな。上から見ても下から見ても、どっからどー見てもジョージはジョージや」

 我躯斬龍の外で浄次がこめかみを震わせているのを知ってか知らずか、冴希は自分で読み間違えた名前を得意げに連呼した。

「もっとも、うちが剣術の天才ちゅう見方もあるで」

 沙霧は思わず笑っていた。

「なんや姉さん。なに笑うてんねん」
「いや。お前さんがなかなか素直で可愛いから、ついな」

 沙霧も冴希も、息ひとつ切らしていなかった。
 狭い空間でこれだけ動いていれば、おのずと息が上がって当然だ。
 だが両者とも余裕の体で柄を握り直す。


 唐突に審判が奇声を上げて金網に掴みかかり、浄次に命令された深慈郎が剥がしに行った。

「おいてめぇッ! この貧乳女! 姐御の肌に傷つけてタダで済むと思ってんじゃねぇぞ!」
「高井さん、ちょっと駄目ですよっ! 今試合中なんですから……」
「お前はすっこんでろ、タヌキ」
「タヌ……。麻績柴さん、助けて下さいー! ……って言っても無駄ですよね」
「お利口だネ。タヌキちゃん」
「……ありがとうございます」

 宏幸を羽交い絞めにしたままガクリと項垂れ、その頭を宏幸の肘で突かれて卒倒した。


 外野のやかましさには目もくれず、沙霧は冴希の澄んだ瞳だけを見つめる。

「それだけ幅広く厚みのある刀を軽々と扱う腕前は褒めてやるよ。褒めついでに、私の刀で面白いものを見せてやろう」

 沙霧はつい今しがた見せたほころぶような笑みとは違った、含みのある微笑でそう言った。
 冴希はきょとんと目を丸くして沙霧の刀を見る。

「そんな細い刀で、なに見してくれるんや」
「まずはお前さんから一本取ったらな」

 時雨を構えた沙霧の目からは、明らかに敵意とも取れる視線が絡みついてきた。一瞬総毛立った冴希は、ほんなら見してもらおか、と呟いて國守の柄を握りしめる。時雨の研ぎ澄まされた刃を見て、浄次はちらりと冴希へ目を遣った。



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