十. 江戸の町が燃え上がるような深い朱色に染まった夕刻。 第三試合を受ける五人には、小一時間の休みもそこそこに現役隊士との模範試合を強いられた。対戦相手に指名されたのは保智、隆、圭祐、宏幸、そして沙霧である。ものの数分、あるいはものの数秒で合格者たちは刀を弾かれ、隠密衆に在るという事が生半可なものではないということを思い知らされる。 圭祐と対戦した男は、彼の容姿を軽んじて一撃で失神させられ、無様な風体を晒す事になった。 男が掛け声を発して踏み出したと同時に、圭祐は居合いの姿勢から抜刀したかと思うと抜き様に素早く掌で柄を翻し、峰打ちで相手を躊躇させた。峰打ちとは、刀の背で相手を斬るように見せかけた技であり、一時的に相手の攻撃力を失わせる。そんな初歩的な技に躊躇しているようでは、到底隠密衆の主力にはついていけない。ほんの刹那が命取りになるのは、刀を携える者なら誰もが熟知していることだ。 圭祐は相手にしまった、と思わせる刻も与えず、刀の柄の尻で男のうなじを打った。 「居合い抜きからいきなり峰打ちにするあの戦法は卑怯だよな。女みてぇな顔して、やることは一端の男以上っつの? 食えねー奴」 すでに対戦を終えた宏幸は、木椅子の上にあぐらを掻いて片肘で頬杖をつきながら言った。 「高井さん、圭くんのあの居合いで負かされたことがあるんですか?」 深慈郎が悪気なしに言うと、すかさず頭を殴られる。負かされたことがあるんだろうと深慈郎は納得し、普段は温厚でおとなしいくらいの圭祐を羨ましく思った。宏幸の後ろに立っていた祇城は、自分の刀を抜いて柄をくるっと回してみる。 「…………」 それだけなら動作もないことだった。 だが、居合いの構えから相手に斬りかかるまでのごくわずかな間に、抜刀しながら柄を返すとなると、それだけで一瞬の隙ができてしまう。柄を返すのに一秒でもかかっていたら、その隙につけ込んで敵が一撃を見舞ってくるからだ。圭祐のように素早く柄を返しながら攻撃するには、到底並外れた神経を要する。 「おいチャイニーズ。俺の背後で刀抜いて何やってんだよ。危ねーだろ馬鹿」 「I'm sorry」 「あ? ぞうりが何だって?」 祇城は肩を竦めて刀を鞘に戻すと、失神した男を引き起こそうとしている圭祐をじっと見ていた。 「よっしゃ、トリはうちらやで巨乳の姉さん!」 沙霧の隣でそわそわしていた少女は、背中の刀を鳴らしながら我躯斬龍へ向かっていく。沙霧は、少女との対戦で我知らず高揚していることに気づいた。初めて会った時にも感じた風が、今この場に再び凪ごうとしている。 悪くない、とまた思った。 何が悪くないのか。 そんな基準は知る由もないが、久々に心の底から高鳴る何かが湧き上がってくる。 長い銀色の束を紐でひとつに結わえ、片袖に置いていた愛刀を掴んで立ち上がった。 「御頭……貴嶺さんは『時雨』を使うおつもりなんですか? あの少女相手に」 立ち上がって我躯斬龍へ向かう沙霧の手元を見て、保智は腹の中がひやりと冷える気がした。 「時雨以外に沙霧は刀を持たないからな。当然だろう」 「しかし……」 「お前が杞憂する問題じゃない。所詮あの刀は沙霧の得物。主が望まぬ事はすまい」 浄次は、自分も沙霧の時雨と同様に異種の刀を扱う。異種といっても形や銘が普通の刀と異なるわけではない。見た目は何の変哲もない太刀だ。分類名称をつけるとすれば、それは「妖刀」という種類のものだった。 妖しの力を持つ刀。 刀によって個々様々だが、時雨は斬った人間の傷口から生気を吸い取るという妖しを持っている。掠り傷でさえ、沙霧の意思が強く望めば、斬った瞬間に生気をもろとも吸い上げてしまうのだ。吸った生気は時雨に宿る力になり、妖力も増していく。 浄次の刀は、それとは相反した別の妖しを持っていた。 言うまでもないが、公儀に仕える隠密がそんな違法の刀を持つ事は公にはされていない。二人の刀に宿る妖しの力を知っているのは、ほんの一握りの隊士だけだった。 「下谷。あの小娘を見ていろ。お前の判断によっては、穴埋めとして沙霧の隊に班長格で入れる」 沙霧と入れ替わりに戻ってきた圭祐に、浄次はそう言った。圭祐は御頭補佐という公式役職名のない役職を仕っている。戦略はもとより、人材の選出などでも先代の頃から一目おかれていた。 「分かりました」 「あの、あのっ、御頭! じゃあ僕の相方になるかもしれないということですか!?」 深慈郎は突拍子もない話に立ち上がって驚いた。 「あくまでも穴埋めだ。格好だけでも埋めなければならない所だからな。その後、入れ替えるかどうかは初陣を見て決める」 御頭の気持ちは大いに察するが、深慈郎としてはあの豪放磊落な少女と共にしばらく仕事をしなければならないと思うと、幸先不安になってくる。 (それなら久遠が相方になってくれればいいのいな……) b 殉死した相方、羽黒という男の隊に所属している祇城は、剣の腕は班長格に申し分ないものだった。実際、深慈郎より相当の腕前である。深慈郎が班長だという方がおかしいのだ。 しかし言葉が通じなければ一個隊を指揮するのは難しい。 馬鹿でも日本語を話せる方がマシだろうという浄次の考えに、深慈郎は気づいていなかった。 沙霧と向かい合うと、少女は開始の合図がかかる前にガシャリと背の刀を抜いた。前の二試合では背負ったままだった鞘を外し、我躯斬龍の隅に放り投げる。重厚な造りの刀の切っ先を沙霧に突きつけ、やらないと気が済まないとでもいうかのように声高に宣戦布告した。 「ひとつ言うとくけどな、姉さん。ぜったいに……」 「手加減はなし、だろう。分かっているよ」 穏やかにも見えるかすかな微笑を浮かべ、沙霧は時雨を白木の鞘から抜き放つ。 冴え冴えとした底冷えのする白銀が切っ先へと光った。 「分かってんならええわ。いざ、尋常に勝負や」 夕闇の中、試合開始の合図が響く。 |
戻る | 進む |
目次 |