二十.


 恋は嵐のように───否、敵は嵐のように。
 どこから嗅ぎつけたのか、隠密衆の怪物・沙霧が在籍していないと知った謀反者がこぞって勢力を上げたのは、それから一週間も経たない頃だった。浄次の元には諸藩の諜報員から次々と情報が押し寄せ、各隊は史上かつてないほどの短期間で日本全土を行脚する羽目になる。
 沙霧の席を埋めたのは満場一致で決定した青山 巴で、まだ隊名も変えていない状況ではあったが彼の統治力は申し分なかった。しかし、人間離れした沙霧がかつて一人で何百人を相手にしていたお手軽隊とはワケが違う。

「貴嶺さんは器用だったんだな。応戦しながら隊の状況を把握するのは大変だ」
「青山さん! じゃなくて隊長! 呑気に呟いてないで援護お願いします!」
「ああ、ごめん」

 背後に迫っていた敵の首を一太刀で落とし、青山は『援護』という言葉を聞いたのは久しぶりだと感じた。
 沙霧が残した龍華隊は幸いにも精鋭揃いで、自分があれこれ指示しなくても動いてくれるのは助かるが。

「それにしても、大黒柱が欠けた上に通常の三倍以上の討伐となると……」
「隊長ォーッ!!」
「……はい」

 青山の指揮や統治力は申し分ない。
 青山の呑気な性格だけが、隊士達にとっては少々物申し上げたい所である。




「茶坊主みたいなクソの塊が……ちくしょう、俺の姐御を返しやがれっ!」
「ごあっ」

 血気盛んな臙脂の鉢巻隊一班は、普段にも増して好戦していた。
 と見えるのは錯覚であり、班長が乱心しているおかげで班内は苦戦していた。

「おいこら、高井さん! そっちじゃねーよ、敵はあっち!」
「敵は本丸だ! あのヌケサクを叩っ斬る!」
「そんなのはいつでも斬れるから! 前、前!」

 見境なく刀を振りかざす宏幸をバックアップしていた隊士は、敵を倒しつつ班長のお守りを強いられて右往左往。ある意味冷静になり、もしかしたら自分は隊長クラスの指揮を務められるのではないかとすら思った。

 名も無き隊士は宏幸の腰帯を掴んで前に押し出しつつ、戦略を練る。
 二班と合流するべきか。
 運良く、ここは町の中だ。合流しようと思えばすぐにでも召集が掛けられる。
 宏幸を回して自分に襲い掛かってきた敵を斬らせ、彼は逡巡した。

(合流しても、どうせ麻績柴さんに嫌味言われるんだろうな……)

 二班が戦闘しているであろう方向へ、ちらりと視線を走らせる。
 毎度のこと、華麗なる連携プレーで一糸の乱れも見せない甲斐率いる二班───

「……何、やってるんですか……麻績柴さん……」

 傍らの路地に蹲って死体を細かく切断しながら、甲斐は生首の額に「怨」の字を刻み込んでひっそりと笑っていた。
 名も無き隊士は悟る───隠密衆はもう終わりだ、と。




 さして大きな影響は受けなかったものの、隆率いる氷鷺隊もそれなりの苦戦を強いられていた。圭祐と保智はいつも通りに自班の尻を叩き、着実に敵の一角を崩していく。それでも、圧倒的に敵勢が多すぎる。

「寒河江隊長、こちらは何とか片付きました。移動しますか?」

 返り血を浴びない刀技を持つ圭祐でも、さすがに所々血を飛ばしていた。軽く息を切らせ、自班の一部を保智の応援に向かわせて戻ってきたと告げる。

「三河からも謀反が上がっているとの事だから、先に向かってもらおうか」
「承知致しました。では先に」

 細かい事を指示せずとも、臨機応変に対応してくれる圭祐には全幅の信頼を寄せている。心配する事は何一つなかった。

 敵は蝗の大群のように、後から後から湧き出て止まない。
 そのどれもが取るに足りない相手とはいえ、塵も積もれば何とやらだ。
 隆は一刀一刃を振り下ろし、心の裡で両手を上げる。
 これだけの人数が押し寄せるのは謀反者の数が多いだけでなく、沙霧一人が受け持っていた敵数がそのまま各隊に流れ出しているからだ。
 沙霧の影響力は、ここまで大きかったのか。

(貴女には参りましたよ。貴嶺さん)

 浄正が退役した時に彼女も一陣を退いていたらと思うと、本当に刀を捨てて両手を上げたい気分だった。


 ふと、自分を取り囲んでいた敵が引いていく。
 何事かと周囲を見渡し、隆はそこに立つ黒服の人物を見止めて瞠目した。
 風に煽られて肩の端を滑り落ちる、長い銀糸の束。
 身体の曲線美を見せ付けるように、しかしそれは淫靡さなどとは程遠く。
 白木の鞘から鍔のない刀がすらりと抜き放たれる様は、足元に散る屍を伴って何者よりも神々しく、猛々しい獣を思わせた。

「これはこれは、久しぶりですねえ」

 隠密衆の無体を知って応援に来てくれたのかと、隆の傍で茫然としていた隊士達は思わず涙ぐむ。だが、隆の一言でその夢は脆くも破れた。

「近いうち、貴女がこうして隠密衆の前に立ち塞がるだろうとは思っていました」
「暇だったので便利屋を始めたんです。小遣い稼ぎにはなるかな、と」

 上野にいたら退屈三昧でしょうと笑う隆に、氷鷺隊の隊士達は己の刀を懐に抱き、頑なに目を瞑って地面に伏す。その口々からは、読経のように「嘘だ嘘だ」と唱えられ続けていた。

「一手、御手合わせ願えますか。寒河江様」

 沙霧の腕が持ち上がり、切先がゆらりと隆の喉元を狙う。
 隆は菩薩のような笑みを浮かべ、愛想良く頷いた。

「貴嶺さんのご指名とあらば」

 血を吸った刀を宙に払い、懐紙で鍔元から切っ先までを一拭いする。
 愛刀・永政を鞘に収めた隆は、すぅっと腰を落として居合いの構えを取った。

「喜んで───お受け致しましょう」




 夏の陣は、冬よりも軽し。
 そう高を括っている毎年の隠密衆に強敵を生んだのは、他でもない隠密衆だった。
 江戸城本丸を死守せんが為、殿様の横に立つ浄次の足元へ飛車が近づく。

「駿河にて応戦中の氷鷺隊より、現状報告でございます」
「うむ」
「寒河江と元龍華隊の貴嶺が交戦中との事。状況は極めて烈火の如し」

 飛車の単調な声に、浄次は人知れず涙を浮かべて唇を噛み締めた。

(何故だ……何故なんだ、沙霧───)

 浄次の叫びは虚しくも南風に乗り、北の方角、上野屋敷へと運ばれていった。







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