written by Shiiki
− 「夏至南風」 番外 −

残刻


 これまで幾度、首を刎ねてやりたい衝動に駆られたか。

 今は、もう数えることさえ馬鹿らしくなっていた。


  ◆◆◆


 夕飯後、まだまだ隊士たちはおのおのくつろいでいる時間。
 開けてあった襖から室内に入ってきた相手は、予想どおり。

「いかがでしたか」
 相手はまだ口を開いていない。
 相手とは今日、それらしい会話はしていない。

 だが、用件はわかっていた。

「何を言っても無駄のようです」
 後ろ手で襖を音もなく閉めた沙霧が、その場に立ったまま静かな声で告げる。その声には、何の色も感情も伺えなかった。

 それらすべて、もはや表すにも値しない――― 

 彼女の一声から、感じ取ったもの。

「そうでしたか。やはり、代が変わった時班長以上全入れ替えするべきでしたね」

 今、幹部で実際の軸を担えているのはおそらく半分。
 全員、先代御頭が選抜して更なる磨きを掛けた逸材。

 現御頭になってからのものは誰一人いない。

「御頭の息子ならば、気づくだろうと待っていました。ですが、それも限界です」

 最初から、同じものを求めているわけではない。
 経験も、腕前も、器も、なにもかも。
 足りなくて当然なのだ、御頭になったばかりなのだから。

 もともとの才能は、父親より劣るというわけではない。
 あとは、本人次第。

 足りないのをわかっている上で一秒でも早く上へ、
 父親に追いつき、
 父親を抜いて、
 父親の威厳をけり落としてやろうというだけの意思。

 意思があり、血眼になって努力をするのならば。
 届かない自分を恥じ、それを糧にはいずりあがろうとするならば。

 その日へたどり着くまで、待とう。
 求めるならば、この力を貸そう。

 一縷の望みを掛けて、待ち続ける年月は長い。

 だが、それも終わった。
 もう、すべて必要ない。

「浄次様は、勘違いをなさっている。隠密衆の力すなわち自分の力、御頭としてただ年月を重ねれば先代と同じようになれるのだと」
 隆の静かな声が、室内に広がる。
「よく……我慢なさった方だと思いますよ、貴嶺さんは。俺が貴女の年で、同じ立場だったら、おそらく一年ともたなかった」
 こう見えて、変なところで短気なんですよと笑った隆の表情は、いつもと寸分たがわぬ穏やかなものだった。



「上野へ、行かれるのですね?」
 今生において、至高の存在の元。
 沙霧にとって、もっとも息のしやすい場所。

 見上げてきたまなざしは、澄んでいた。
 狭く汚い檻から解放された白鷺のように。

「機会があれば、俺も遊びに行きますよ」
 踵を返しかけた彼女が、かすかに笑うのが見える。

 銀髪が、襖の向こうの暗闇へ消えた。




「一人や二人入ったところで、氷鷺隊の戦力が今以上に上がるわけでもないだろう。隊士の中に問題でもあるのか?」

 あえて分かりやすいようないい回しをしてやったのに。

 あえて試すような視線を送ってやったのに。

 ―――なんの効果もなかった。


 腹の底から冷えたものがゆるやかに浮かび上がってくる。
 分からないのなら、分かるまで霧の中を彷徨え。

 分からないことさえ分からない愚者には、
 助言してやる意味も、もう、ない。


「もうすぐ、いろんな大群が押し寄せてくるよ」
 縁側に並んで座っているのは、沙霧の後を継いだ巴。
 古株で、なんとなく沙霧と持っている雰囲気が似ている。
「そうですね。蛆に蝗に蟻に蝿に……蜂がいないことを祈ります」

 本当は、今すぐにでも彼女と同じように出て行きたい。
 だが、最年長の自分だけにはまだ果たすべき責任が残っている。

 置いていくわけにはいかない。

 他の班長たちは、自分で自分の道を決定するだけの余裕がある。
 だが―――彼だけはおそらく、不可能だ。
 劣っているというわけでは決してない。
 むしろその逆。班長たちなど比べ物にならない人物。
 彼女の後という過酷な位置につける存在は彼以外いなかった。

「殿下が、とりあえずはお辞めにならないと知って安心しました」

 こちらの心の内を読んだかのように話す彼は、あまり表情を変えない。

「巴がいなかったら即刻辞めてたよ。本条さんから貴嶺さんという隊長を見てきただけに、しばらくはお節介を焼かせてもらいたくて」

 うれしいですね、と軽く笑った彼はどう感じているのだろう。
 かなり間近で、様々な波を見てきたはずだ。
 彼が、どうするか。自分としてどうするべきかを決められるようになるまで。
 それまでは傍にいようと思った。

 葛西浄正が現役だった数年前までは、すべてのためにいようと思えた。
 隠密衆のため、それすなわち御頭のためにと。

 あれから四年。

 一縷の望みを掛けて、待ち続ける年月は長い。

 だが、それも終わった。
 もう、すべて必要ない。


  ◆◆◆


 これまで幾度、首を刎ねてやりたい衝動に駆られたか。

 今は、もう数えることさえ馬鹿らしくなっていた。

 彼女の最後の忠告にさえ、気づきもしない。

 首を刎ねる気さえ失せていく。


 残る(じかん)は―――長くない。




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