四.


「あのー。これ、何ですか……?」

 運ばれてきた朝食を前にして、龍華隊の二班班長である外山深慈郎は首を捻った。見た事もない料理が一枚の皿に載っている。赤、黄色、緑、と華々しいほどごっそり盛られた山の下に、黄色い蕎麦みたいなものが見えた。
 侍女は運ぶのに忙しくて深慈郎の問いに構ってくれず、食事が並ぶまで寝転がっている隊士達にはそれが見えるはずもなく。深慈郎は行儀よく正座したまま、どんな味がするのだろうかと想像しながら膳を見下ろす。
 そこへふと隣にやってきた同隊の隊士が膳を覗き、「ほう、珍品だ」とまったく珍しくなさそうに呟いた。朝の挨拶を交わして座る隊士に、深慈郎は先刻と同じ質問をしてみた。彼は興味なさそうに寝癖を直し、ひとつ欠伸を漏らして珍品を見遣る。

「冷やし中華ってやつじゃないかな」
「知ってるんですか、青山さん」
「いや、知らない」
「…………」

 知らないのならなぜ呼称を知っているのだと、深慈郎は問いたくても問えない。名前は知っているが食べた事はないという意味だったのだろうかと解釈してみた。

 青山という男は隊長がもっとも信頼を置いている隊士で、未だに平で留まっているのが不思議に思えてならない。
 深慈郎が入隊試験に受かった時、龍華隊の二班長は殉職したばかりだった。つまり相方の冴希と同じく穴埋め待遇で収まった席である。その頃からすでに二班の隊士として所属しており、名目上は彼の上司にあたる深慈郎は随分と世話になっていた。彼の方が班長として十分な役割を果たせそうなものだが、隊長をはじめとして隠密衆の誰もがそれを提案しないのだから、何か理由あっての事だろう。深慈郎が自ら提案するのは愚行というものだ。
 そういうわけで、隊士の中でもとりわけ冷静沈着でありながら頭の回転も速い青山には、あまり情けない態度を見せないように気をつけていた。普段から情けないなのは天性の性分としても、遠征では班長として頑張ろうと常に心がけている深慈郎である。




 衛明館のマグロ達が朝食の珍品に気付いて騒ぎ出した頃、お祭り集団の虎卍隊が帰ってくる。半ば廃人状態の宏幸は部下の背を行ったり来たり、時には道端に放り出され川に落とされ、邪魔以外の何物でもないお荷物扱いだった。
 うだる暑さの中、最初に衛明館の戸口を潜ったのは甲斐率いる二班。『幕府に刃向かう謀反人どもの討伐』という有り難い権力を利用し、人を殺しても罪に問われないのが快感だと思っている連中はこぞって直属上司の嗜虐性にそっくりである。

「班長ー、今日の朝メシは珍しいもんが出るらしいですよ。班長も食えるんじゃないかな、蕎麦みたいなもんだって話だし」
「なんでそんな事知ってるの」
「野暮、野暮。メシ当番の子と昨夜コレで、その時に聞いたんです」

 指で卑猥な形を作って見せる部下に、甲斐はたしかに野暮な話だと頷いて納得した。
 だが彼の消化器官は憎き浄正のせいで十代の頃から弱りきり、おまけに肉やら餅やらを食べると胃荒れが酷い。故に衛明館で用意される食べ物は他の隊士といつも違っていた。

「おれのは常食でいいんだけどネ」

 珍しい食べ物より珍しいテクニックを持つ美女の方が惹かれると言いながら、鉢巻を外して広間に足を踏み込む。
 珍品朝食、冷やし中華にご執心の隊士達は口から黄色い麺を垂らしつつ、二班が現れると労いの言葉をかけた。待機しているのが虎卍隊だったら誰も労いなどせず食に集中している。

「お帰り。みんな無事かい?」

 出入り口の近くに座っていた隆は、上半身を捻って甲斐を見上げた。この人を見下ろすのはそうそうある事じゃないと妙な思考を巡らせた甲斐は、何かしてやろうかと一寸考えたがつまらなく思え、空いている隣に腰を下ろして冷酒を取る。

「ヒロユキだけ死んでますヨ。もうすぐ担がれてくると思うケド」
「はは、相変わらず駄目なんだねえ」
「ええ、相変わらず駄目なんデス。あなたが奥義やら何やらと面倒見て下さってるわりにはネ」

 宏幸が師と仰いて止まない相手である隆は、のほほんとした顔でその棘先を切り落とした。

「身体の構造が原因の弱点は俺にも治せないからなあ。どうにも……あ、帰って来た」

 ゲラゲラと下品な笑いを引っ提げて広間に入ってきた一班隊士は、食卓に並んだ珍品に目を輝かせて宏幸を隅に放り投げる。問うまでもなく、班長より食事が大切な連中だ。

 転がされて呻く宏幸に気付いた圭祐は、隣で辛子を絞っている保智に声をかけて立ち上がった。パタパタと廊下を駆けて行ったかと思うとすぐに水の張ったタライ桶を持ってきて、半死人の前に膝を付く。

「大丈夫?」

 手拭いを絞って額に載せると、文字に表せないような呻き声が色のない唇から漏れた。鉢巻を取って襟元を広げてやり、小脇に抱えてきた団扇で風を送ってやる。心地よい送風に息を吐いた宏幸は、虚ろな目を開けて天井を眺めた。

「……だ、だい……抱いて……」
「うん? 何?」
「……カエル、が……」

 彼の脳は直射日光に当たって相当やられているらしいと悟った圭祐は、宏幸の片手を桶に突っ込んで冷やしながら団扇を扇ぎ続ける。冷やし中華を口に運んでいた隊士の数人が、今にも宏幸を呪い殺しそうな殺気を放って二人を見ていた。圭祐のファンが後を絶たない隠密衆では毎度の事である。


 美味いの不味いの言いながら珍品を平らげようとしていた時、開放されたままの入り口に鉢植えが現れた。正確には、大きな鉢植えを抱えた龍華隊隊士・久遠祇城(まさき)がそこに立っている。
 瑞々しい青葉色を放つ細長い葉の間から整った小振りの顔を出し、何事かと顔を上げるマグロ達を順々に見回していった。
 彼の探している顔は見当たらない。
 否、彼が今しがた見てきた光景を思えばここにいるはずもなかった。

「─── Where is my boss?」

 英語が咄嗟に口をついて出てくるほど動揺している中国人の心中を知らず、隊士達は示し合わせたように自分の片手を耳に当て、尚も黙り続ける祇城から視線を外して互いの顔を見合う。

「何だって? “フェアリーズ毎度っス”?」
「いや違う、“フェアリーズ埋没”って聞こえた。なぁ?」
「“毎度っス”だろ。で、フェアリーズって何だ?」
「妖精じゃなかったか? ズは複数形だろ、てことは、妖精たちが埋没?」
「ていうか、それが何なんだよ? 葉に虫でも湧いて困ってんのか?」
「久遠の言ってる事はまったく分からん。日本語じゃねえよ、気にするな」

 英語の分からない隊士達がこぞって首を捻る中、祇城の異国語と見覚えのある植物にぴくりと反応した男が箸を落とした。


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