猛獣たちの夏
- Episode 1 -


四、


 ザラメ煎餅を齧りながら、凌はふと口を休めて考える。
 一昨日、エルと圭祐が一緒に歩いているのを朱雀と共に尾行したのだが。途中で飽きた凌は瑠璃屋へ夏物を物色しに行こうと言った。しかし朱雀は頑として彼らの後を追う。話しかけても返事はすべて適当。彼らが浅草を回って城へ帰るところを見届けるまでイライラと怒った顔をしていた。

「何がそんなに気に入らなかったのかな」

 煎餅を咥えたまま腕を組んで首を傾げる。

「その行儀の悪さが気に入らんな」

 真後ろから声がしたかと思うと、扇子の先で頭を叩かれた。

「いてっ」
「稽古場で物を食べるなと言っただろう」

 足元に散らかった煎餅の粉末を目で示され、凌は肩を竦める。もうすぐ弟子達がやってくる時間だ。さっさと片付けないと何を言われるか分からない。

「はいはい、ごめんなさい。すぐ片付けます」
「返事は一回」
「はいお父様」

 と言いつつ花屑用のちりとりと箒を渡してくれるのだから、親父は自分に甘いと思う。
 ザラメを掻き集めてちりとりで掬い、裸足のまま庭に下りて隅へ捨てた。甘いものを縁側の近くに捨てると蟻が集って縁の下に穴が空く。そこまで考えての行動だったのに、縁側に上がろうとすると無言で制された。庭を歩いた足で稽古場に上がるなというわけだ。
 仕方ないので縁側に腰掛け、弟子が来たら勝手口へ回ることにした。

「ねー親父。たとえばすっごく仲のいい友達が三人いて、そのうちの一人が第三者と仲良くしてんのを見かけたとするじゃん。それって怒ること?」

 切花を揃えて一束ずつ紙の上に置いていた親父は、手を休めず答えてくれる。

「三人の関係がその第三者によって壊される事態ならば、怒る人間も居ような」
「壊されないよ。なのにプリプリ怒ってんの。生理の時の玲みたいにさ」

 言ってから玲が現れるかと障子を見たが、朝から出掛けたんだと思い出した。
 最近の玲は小物作りに熱心で、瑠璃屋の女将・光琉が気に入ってくれたのだ。家で作った簪やら耳飾りを持って行き、店頭に並べてもらうらしい。たまに着物の刺繍もやっている。飾り物はともかく刺繍に関しては普通の女の子なら絶対に選ばないというか似合わない奇抜な柄なのだが、その筋の人や変わった趣味の人は新作を楽しみにしているとか何とか。
 女はそういう商売もアリなんだなと知った。
 家業を継げばいいだけの自分にはちょっと思いつかない職業だ。

「怒るってどんな気持ちの時? 俺ムカついたことないから分かんない」
「さて当の人物は怒っているのかな? 怒りにも様々な理由があるが、凌の言う人物は根底から生じる寂しさゆえだろう。その裏返しで相手を憎たらしいと感じる」

 そうなんだろうか。
 朱雀はしきりに圭祐の心配をしていた。でもよく考えると、それならもっと不安そうな顔をするものじゃないのか。実際は圭祐がどうこうではなく、エルに怒っていたとなれば───

「あ、なーるほど。そういう事だったんだ」

 朱雀が寂しがり屋かどうかは知らないが、気の知れた相手に乱暴に扱われたり蔑ろにされるのは嫌がる。エルの朱雀に対する態度はあれで彼なりの愛情表現だが、朱雀が求める基本のカタチとは真逆なのだ。でも嫌いだとは言わない。なんだかんだで構っている。
 本当は圭祐に接していたように、自分にも少し優しく接してくれたっていいじゃないかと拗ねていたわけだ。

「けど、いざ優しくされたり素っ気なくされると困っちゃうんだろうな」




 茹だるような暑さに負け、玄武の用事に付き合うのはやめた。
 どうせ事務的に用を済ませたらそれで終わりだ。どこかへ寄ってくつろぐなんて玄武の思考では有り得ない。毎回自分から茶を飲もうだのあの店に寄ろうだの言い出すのも癪で、だったら何も考えず独りでいる方がいい。

「なんだ、沙霧は不在か」

 という時に限って、無法者が転がり込んでくる。
 自分の家のようにずかずかと入ってきたエルは実姉の部屋を開け、不在に舌打ちして俺の前にどっかり座った。まったく何様だ。

「姫様の子守の延長だよ。沙霧に用があるなら伝えてやるけど?」
「別に急ぎじゃない。つか誰もいねえの、今」
「いな……」

 まずった。
 誰もいないと知れたら何をされるか分からない。顔を見れば毎度ヤらせろの一本調子なガキの事、すでに結界は張ってあるはず。逃げ道がなかった。

「そろそろ玄武が帰ってくる。ちょっと出てるけど、すぐ……」

 条件反射で後退りすると、エルは俺をじーっと見て怪訝な顔をした。

「何あからさまに警戒してんだ。ヤられたいのか?」

 勝手に人の家へ乱入してこの暴言。天晴れというより他にない。

「それしか思いつかないお前が、それ以外に何をしようってんだよ!」
「何して欲しいんだよ。言ってみろ」

 なんか変な反応だ。
 いつもなら口より先に行動に出ているヤリチン大魔王が、妙におとなしい。
 自慢の下半身が病気になったんだろうか。医者のなんとかってやつで。

(そんだったら来ないよなぁ……こいつプライド高いし)

 こっちまで怪訝な顔になり、無言で睨み合った。
 彫りの深い顔立ちにほんのわずかだが疲労の色が浮かんでいると気付く。
 ───ああ、疲れているから機嫌が悪いのか。
 そういうところが沙霧にそっくりだなと、つい笑ってしまいそうになった。

「膝枕」

 エルは唐突にそんなことを言い出す。主語も述語もない。何をして欲しいんだと人に聞きながら答えを待つまでもなく自分の要求を言うあたりが、いかにも俺様。

「何だよ」
「ひ・ざ・ま・く・ら。疲れたから寝る」
「そこに座布団があるだろ。折り曲げて枕にするのが日本の常識」
「んなの知るか」

 言うなりデカイ図体をごろりと横たえ、当然のように俺の脚に頭を乗せてきた。胡坐が高いと文句を垂れ、下げてやれば当たり前のように丁度いいと抜かす。
 それでも俺はまだ警戒心を解かなかった。
 機嫌が悪い時のエルに遭遇するのは初めてだが、なにせ普段の態度がアレだ。この精神状態でヤられたらマジで洒落にならない。玄武は出かけたばかり、青龍は天上まで出張中、白虎は樹のペットの伽羅と散歩中。まさに孤立無援。
 額から、暑さのせいではない汗がじわりと滲み出るのが分かった。






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