猛獣たちの夏
- Episode 1 -


三、


「でね、宏くんが割ったスイカが食べられないほどぐちゃぐちゃになっちゃって。それを虎卍隊の隊士が面白がって投げ合うもんだから、もう大変だったよ」

 あんみつを食べながら衛明館での出来事を話す圭祐の前で、俺は相槌を打ちながらも『ぐちゃぐちゃになった圭祐』を想像する。冷茶に立った茶柱の如く下半身が勃ちそうだ。

「賑やかでいいじゃないか。圭祐もまんざらじゃないんだろ?」
「うん。みんなでワイワイ騒げるのって幸せなことだと思う」

 残りの寒天をすくって食べ終えると、圭祐は満足そうに「ご馳走様でした」と手を合わせた。

「エルは何も食べなくてよかったの?」

 あとで圭祐をぐちゃぐちゃにして食べるから───なんて冗談めかしてもさすがに笑えないだろう。ここはソフトに、あくまで紳士を装って。

「俺は圭祐が美味しそうに食べるのを見てるだけで満足だ」

 美味しそうなのはむしろ本人だが。
 正面から放ったジェントル・スマイルが効果覿面だったようで、圭祐はボッと音がしそうなほど赤面して俯いた。今日何度目か、そんなに見惚れるならいっそ勢いで「今夜は帰りたくない」とか言ってくれてもオッケーなのだが、恨めしいかな陽はまだ頭上を通過したばかり。
 おとなしく日帰りデートに甘んじるしかない。


 香楼庵に着くと圭祐は牛車でも必要なほど大量注文した。店主はその数に驚く風でもなく慣れた対応で頷いている。

「煎餅の詰め合わせ十箱、水羊羹三十棹ですね。明日昼にはお届けに上がります」
「いつもありがとうございます。よろしくお願いします」

 持って帰るわけではなく予約して届けてもらうらしい。
 ほっとした。そんな大量の荷物を抱えてデートはできない。
 圭祐は持ち帰り用と告げて抹茶煎餅だけの箱をひとつ買った。風呂敷に包まれて渡されたそれを抱え、店を出る。用事が済んだから帰ろうと言われるより先に、俺は城と反対方向を示して延長を申し込んだ。

「時間があるなら浅草まで行かないか」
「浅草? いいよ」

 かなりの長距離だが、圭祐も俺も歩くのは苦にならない。もっとも圭祐は仕事柄ヤワな足腰じゃないわけで───細い外見からは想像もつかないような腰遣いをするんだろうかと、つい頭はそっちに傾倒する。男なんて所詮は下半身でモノを考える生き物だ。


 圭祐は道行く人混みの間を上手に避けて歩いた。
 だがどんなに上手でも予測不可能な行動をする人間はいるのだ。
 今まさに避けたところへ、反対側から泥酔した男がよろけ出てくる。圭祐にぶつかる寸前、俺はその細い肩を少し強引に引き寄せて抱き止め、酔っ払いから回避した。

「危ないな。大丈夫か」

 ぽすん、と懐に収まった圭祐を見下ろすと、彼は風呂敷を抱きしめたまま固まっていた。
 俺の胸板から腹までが圭祐の上半身と密着している。正確には風呂敷に包まれた煎餅という邪魔が割り込んでいるが、それでもドクドクと打ち鳴らされている圭祐の速い心音が伝わってきた。
 これでは誤魔化しようもないと踏んで、ちょっと突いてみる。

「耳、赤くなってる」

 その部分に触れると、まるで一物に触られたかのようにウブな反応が返ってきた。

「あ、あの……ごめんね。じゃなくて、えと……」

 泥酔男から回避した事に礼を言いたいらしいが、圭祐は煎餅を抱きしめたまましどろもどろに口篭る。どうせなら俺を抱きしめて欲しい。煎餅がこれほど憎いアイテムになるとは予想外だった。
 耳を触ったついでに指の背で軽く頬を撫で、身を離そうとした圭祐の手を掴んでもう一度抱き寄せる。今度は軽く、焦らす程度が効果的。

「ほんと可愛いな。このまま攫いたくなる」

 耳元に囁いた瞬間、圭祐の懐からボトリと邪魔が落下した。

「え……ちょっと、エルっ!?」
「キスしていいか?」
「キ……って……」

 押し退けられる余裕は残してあるのに。
 肩を震わせて真っ赤になっている圭祐が可愛すぎてどうしようもない。
 本気でモノにしようと思えば難なく手に入れられる。
 でもそれじゃ面白くないのだ。

「困らせるつもりはなかった。すまない」

 肩から手を離すと、圭祐は腹の底から安堵したように熱い溜息を吐いた。
 その隙を狙って額にそっと口づける。

「…………っ!」

 小動物が驚いて飛び上がるような、何とも愛くるしい反応だった。

「額のキスは、友情の意味」

 圭祐を解放して足元の風呂敷を取り上げ、砂を払って渡す。本当なら叩き割って蹴り飛ばしたいところだが仕方ない。


 目先に見える浅草寺の境内では、捻り鉢巻をした男達が褌一丁で忙しそうに動き回っていた。木材や派手な装飾品。神輿を組み立てているらしい。
 まだ沸騰している様子の圭祐を落ち着かせるべく話題を変える。

「そういえば明日から三社祭なんだな」

 半歩後ろを歩く圭祐は「あっ、そうだね」と顔を上げた。頬はほんのり色づいたまま。かぶりつきたいほど悩ましい。

「エルは……明日お昼休みあるの?」
「どうして?」
「あの、三社祭。見たことないなら、よかったら一緒に……と思って」

 この時俺の心の中をどんな嵐が通り抜けたか誰にも分からないだろう。
 明日も会ってくれるなら是非会いたい。が、俺の下半身はすでに限界だ。焦らしているようで実は俺が焦らされているのだ。しばらく日にちを置いた方がいい。

「明日はちょっと暇なさそうなんだ。せっかく誘ってくれたのに悪いな」
「えっ、ううん。無理言ったみたいで、僕の方こそごめんね」
「いや。来年は俺から誘わせてもらうよ」

 それより仲見世に行こう、と先立って歩く。
 明日のことより今日のこと。今この時間を有意義に過ごすべく、俺はあえて人の多い場所を選んで圭祐との身体的距離を縮める作戦に出た。






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