猛獣たちの夏 - Episode 1 -
二、
御典医である親父の助手として日本に住み着いて早二年。これといって不自由もなく、文明の遅れを抜かせばこの国は快適だ。時々英国に帰っても家では着流し一枚草履一足で過ごし、食べ物は和食レシピを持ち帰ってコックに作らせる。
今度帰った時は部屋を和風に改装しようと決めた。シャンデリアを籐のランプに替え、寝室は裸足で歩けるように畳を敷いて───
「あれ、エル?」
城門へ続く階段を下りてきた人物が驚いたように立ち止まる。
リフォーム計画に熱中しすぎて出遅れた。
「ハイ、圭祐。久しぶりだな」
「ほんとだね。こんな所でどうしたの、休憩中?」
「ああ。気分転換に町まで散歩しようかと。圭祐は?」
「お茶請けの買い出しだよ」
「なるほど。一緒に行っていいか?」
「僕でよければ喜んで」
大成功。
城から衛明館の表口はよく見える。圭祐が誰かに手を振って門の方へ歩いていったので、町へ買い出しにでも行くのだろうと思った通り。先回りして偶然を装ったのだ。
相変わらず美人で可愛い。
歩くたびに後頭部で揺れる赤茶色のクセ毛がとびきりキュートだ。いつも一つに結んでいるので分かりにくいが、結構長いらしい。髪を下ろしている姿を想像するだけで下半身が疼く。
「僕の顔、何かついてる?」
まじまじと横顔を眺めていた俺を見上げ、圭祐は小首を傾げた。二十センチの身長差があれば必然とはいえ上目遣いで覗き込むように見られると下半身が以下略。
「いや。いつ見ても綺麗な肌だと思っただけだ」
食っちまいたいほど、の句は心の中に留めて微笑すると、圭祐はきょとんとした後に頬を染めてパッと顔を逸らした。マジで可愛い。
凌から仕入れたデータによれば、圭祐は自分の華奢な体格や女顔にコンプレックスを抱く反動で男らしい体格や顔つきに大層憧れている。両方を兼ね備えた相方の保智がストライクゾーンらしいが、中身があれでは話にならない。目下のところ皓司がいい線だろう。男らしい顔つきとは違うが、あれで脱いだら凄いし大人の色気に不足はない。
しかし、今圭祐の前にいるのは俺だけ。
195センチに幅厚の胸板、理想的な逆三角形の上半身に下半身は馬並み、いや、長い脚。
顔もそこそこイケてると思う。生まれてこの方ブサイクと罵られたことはない。
まあ顔は好みの問題だから美形でもモテない奴がいればブサイクでもモテる奴もいる。
それはさておき、日本に来て初めて圭祐と会った時に確信していた。
俺を見てぽーっとしていたあの瞬間、これは脈ありだと。
「で、どこへ買い物?」
せせこましく待ち伏せしてデートに漕ぎ着けたのだ、少しでも長く一緒にいたい。
目的地を聞いてからルートを決めるとしよう。
「えっと、日本橋のすぐ手前の和菓子屋さん」
“和菓子屋さん”───つくづく男にしておくのがもったいない性格だ。たとえばこれが凌と双子の玲だったら「創業七十年を誇る和菓子の老舗ですわ」なんて可愛げのない返事に決まっている。
「香楼庵か。あそこの抹茶煎餅が好きだな、俺」
「あれ美味しいよね。僕も大好き」
抹茶煎餅に嫉妬した。
「あと冬限定の柚子煎餅も美味しいよ。食べたことある?」
「柚子? ないな、そんなのあるのか」
「乾燥させた皮をすり潰してタレに浸けるんだって。冬になったら食べてみて」
「その前に圭祐を食べてみたい」
「え……」
「なんてな、冗談冗談」
ちっとも冗談じゃないが、怒るどころか耳まで真っ赤にして俯く圭祐を見たら自然に連れ込み茶屋を探してしまいそうになる。隊服の襟をぱたぱたと広げ、のぼせた顔を冷まそうとしている姿に俺の鋼の心臓が高鳴った。
圭祐の努力に気付かない振りして「今日は暑いな」とフォローしてやると、彼はほっとしたような笑顔で頷く。冷たい物でも飲んで行こうと誘い、普通の茶屋に立ち寄った。
◆
「おいおい、なんだありゃ……」
沙霧の遣いで煎餅を買いに出た朱雀は、同じく相模から江戸まで煎餅を買いにきた凌と数分前にばったり遭遇した。一緒に買い物しようと半ば拉致されるように腕を取られ、さては数日前と同じ手口かと疑ってかかったら道端で思いっきり凹まれた。
そんなこんなで凌と香楼庵に向かう途中、前方に金髪頭が見えたのだ。
往来の人の頭を軽く超える金髪は滅多にいない。おまけに西洋型の白衣を着ているとなれば江戸にはたった二人。沙霧とエルの父ジェイか、エル本人だ。だがジェイは長い金髪をひとつに結っている。前方に見えるのはどう見ても短髪。つまり、息子の方。
誰かと話しているらしく、隣を見下ろしては柔和な紳士ヅラで微笑んでいるのが不気味だ。
同じ方向に向かっているのでそれとなく後をつけてみると、連れは圭祐だった。
「ヤバいんじゃねーの。エルの奴、まさか圭祐を」
「ない、ない。圭ちゃんには絶対しません」
凌は草団子をほうばりながら首を振る。
友達だから信用しているのなら大間違いだ。あのヤリチンに掛かれば圭祐を仕留めることぐらい朝飯前だろう。いくら外見に反して強かな内面を持ち合わせている圭祐でも、エルの毒牙に対抗できるとは思えない。捕らえたら嬲るのが当たり前。人権も何もなく本能の赴くままに食い散らかしてポイ、だ。
エルに蹂躙される圭祐の図を脳裏に描いて身震いし、救出に向かおうとした時。
「朱雀、待った」
凌が俺の襟を掴んで引き戻した。
「人の恋路を邪魔するやつは馬にヤられてイッちまえって言うじゃん」
「言わねぇよ。ていうか圭祐に何かあったら」
「だーかーらー何もしないってば。どんだけ卑猥な想像してんの?」
「想像に終わらねぇ奴だから心配なんだよ」
「まあまあ、見ておいでなさい。それより団子食う?」
いらないと即座に断ると、凌は団子を差し出したまま立ち止まって眉尻を下げる。
「分かったよ食うよ。食えばいいんだろ」
「食べ歩きって美味しいんだよね。朱雀と一緒だともっと美味しい」
エル達の様子を窺いながら、朱雀は撒かれた時のことを考えて入念に策を練った。
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