雨 藍


二、


「甲斐、週末暇もらって一緒に長崎へ帰ろう」

 水無月の初め、帰省する時は毎回声をかけてくる保智がいつもと違う言い回しをした。

「『帰らないか』じゃないんだ。毎回おれが断るから攻略変えた?」
「昨年はごたごたしてて帰ってないし、お前も墓参りに行けなかっただろ」
「墓参り?」

 隼人さんの、と言われて思わず閉口する。
 兄が死んだのは一昨年、後にも先にも故郷へ帰省したのはこの時だけだった。行けば死んだ人間に会えるわけでもあるまいに、墓参りなんてもっともらしい事をよく考えるものだ。

「行かなきゃいけないってものでもないデショ。ひとりで行ってくれば」
「何が不満なんだ? 家が嫌ならうちに来ればいいじゃないか」

 どこか強引とも感じる言葉の数々に内心驚いた。
 そこまでして墓参りさせたがる心境も理解できなければ、らしくないしつこさも何か魂胆がありそうで───いや保智に限ってそんな小賢しさはないか。
 魂胆を擬人化したような上司に慣れているせいでつい変な勘繰りが働く。

「分かった分かった、行きますヨ」

 何か言いたげに顔を顰めた保智の前を通り過ぎ、一旦足を止めてやった。
 それでも何も言ってこない。

(……空気の読めない奴)

 ちらりと目を向ければまた別の困惑を浮かべてむっつり。言いたいことがあるならさっさと口に出せばいいものを、いちいち考えなければ脳から舌先に降りてこないのか。

「何」
「あ……どこへ行くのかと」
「部屋。ヒマなうちに荷造りしておく」
「ああ、そうか」

 じゃあ俺も、とのそのそ一階の自室へ向かった保智を見送り、自分は初めから週末に帰省するつもりだったくせに何も用意してないのかと軽く呆れた。

 のろいというほどじゃない。しかし機敏でもない。
 落ち着いているかと思えばそそっかしい面もよく見せる。
 あいつは個性がないと揶揄すれば、特徴のなさが彼らしいのだと隆に言われた。
 これだけ個性的で自我の強い面々に混じって生活しながら誰にも染まらず、自己を主張しない一貫した謙虚さはある意味強かじゃないか、と。
 なるほど、面白い見解だと思う。
 たしかに気が弱いだけなら日々誰かの言いなりになっているだろうし、頭が弱いなら馬鹿だ阿呆だと日々笑われているはずだ。保智はそのどちらでもない。たまに木偶の坊と呼ばれはしても、そう呼ぶ本人は本気で使えない奴だとは思ってないのだ。

(誰にも染まらず、か)

 隆の暴君ぶりや圭祐の強引さに振り回されているようで、そのじつ彼らの影響をまったく受けていないのは何となく分かる。
 そういえば保智には特定して尊敬する人や意識している存在がいるんだろうか。
 いそうで、彼の口からは一切聞いたことがなかった。

「ケースケ、ヤスが尊敬してる人って誰か知ってる?」
「保くん? さあ、聞いたことないな」

 菓子盆を運んできた圭祐は小首を傾げて立ち止まる。

「保くんてそういう話ぜんぜんしないもんね。聞いてみたら?」
「わざわざ聞くほどじゃないケド」
「でも知りたいんでしょ?」
「知りたいってほどでもないカナ」
「もー素直じゃないなぁ。甲斐くんていつも意地悪い言い方するけど、ほんとは保くんに構ってもらいたいんでしょ。そんな回りくどい態度じゃ伝わらないよ?」

 奇襲をかけられたような心境でしばし呆然となった。
 構ってもらいたい?
 そんなつもりはない。
 独りでぼーっとしてばかりいる保智の退屈しのぎに付き合っているだけで。
 誰もそばにいないから話し相手になってやろうと思うだけで。

「……構ってもらいたそうに見える? おれ」
「うん。すっごく」
「たとえばどんな時?」
「一番分かりやすいのは、話しかける時よく保くんに触るとこ。他の人には滅多に自分から触らないし、見てると保くんにだけなんだよね。甘えてるんだろうなって思った」

 それが本当だとしても無意識すぎて自覚がない。
 というより圭祐の観察眼に感服すると同時に溜息が出た。

「ケースケは日増しに殿下に似てくるネ。観察眼といい物言いといい」
「良い所も悪い所もいっぱい影響受けてるよ。影響っていうか、刺激かな」

 甲斐くんだって斗上さんの影響を受けてるでしょ、とこれまた奇襲をかけられ、自分が居た堪れなくなってきて二階の部屋へ引き上げた。そこは嫌というほど自覚している。
 障子を開けざま、出ようとしていた宏幸と鉢合わせた。

「おう、おめーの布団取り込んどいたぜ」

 急に何のことかと顔を見返すと、「雨降ってきそうだから」と窓の外を指差された。
 さっきまで晴れていたのに雲の流れが速くなっている。そろそろ梅雨入りか。

「ありがとう」
「……なんかヘンなもん食ったのか? 気持ちわりーな」
「間違えた。雑用ついでに押し入れに入れて。終わったら全裸で窓から飛び降りて」
「言われんでも入れといたっつの! あーったく、おらどけ、出る」

 出入口を譲れば、再び不審な顔でちらちら人を見ながら宏幸は階段を下りていった。
 素直になってみてもこの通り。土台無理がある。




戻る 次へ
目次


Copyright©2012 Riku Hidaka. All Rights Reserved.