雨 藍


一、


   好き? 嫌い?
   『好き』

   どこが好き?
   『手』

   手のどんなところが好き?
   『何となく』

   心とカラダ、どっちが欲しい?
   『心』

   ひとつだけ叶うなら何してもらいたい?
   『……笑った顔が見たい』





「見たことないの?」

 女は前屈みになって膝上に預けた頭を覗き込んでくる。

「ない」
「笑わない人?」
「無愛想だけどたまに笑う。でも自分に向けられたことはない」
「あんたの性格だから気を引こうとして逆に嫌がられることしたんでしょ」
「かもね」
「甘え方のヘタクソな男だねえ」

 ガキ、と罵られ、優しい手つきで髪を梳くように撫でられた。
 二つ下の女にガキ呼ばわりされても納得してしまうのは相手が玄人だからか。男のあやし方など手馴れたもので、こんな時はもう男と女でなく母と子のような観念でしかない。
 欲して求めたのは断じて母性ではないのだが、それでも女の手つきや柔らかな腿の感触は男の性を安心させ、自然な回帰を促される。男と女はうまく出来ているものだ。

「にしても、癪に障る悪タレ野郎があたしに相談だなんて何事かと思ったらまァ」

 寶屋の遊女・千草は肩を震わせてとうとう吹き出した。
 
「てめえの恋煩いに戸惑った挙句『笑顔が見たい』ときたもんだ。ふふっ可愛いこと」
「恋じゃないってば。何聞いてたの、お千さん」

 寝転がったまま傍らの酒を取ろうとすると軽く手を叩かれる。
 嫌な客でも床に上げた以上は自ら酒を注ぐのが遊女の仕事か。


 すっきりしない気持ちを持て余し、相談と理由をつけて千草を指名した。
 千草は相方の宏幸が入れ込んでいる遊女だ。彼女もそれを気分良く思っているようで、宏幸が来るといつもに増して顔が明るくなるのだと主人は言う。だからできれば他の遊女を指名してくれないか、とも。
 そこへ千草が出てきて困り顔の主人を説得し、自分を部屋に引っ張っていった。
 店一番の古株で『看板娘』とも言える彼女を抱きたいとは思わないまでも、話し相手としては嫌いじゃない。今までまともな会話をしたことはないが。

 何が知りたいの、と何でも知っているような貫禄で問う千草に数日前の話をした。
 一通り喋ったあとで結局それを知ってどうなるのかと空しさにも似た感情が湧いてくるのを不思議に思っていると、唐突に膝枕してやろうかと言われる。
 抱きに来たわけじゃないと断れば抱かれたくもないと返され、しかし一晩の揚げ代を払ってもらったからには多少の奉仕をさせろと半ば脅されるように襟を引き倒された。



 とっぷり注がれた朱塗りの盃を「ほれ」と口元まで運ばれ、ちびちびと啜る。

「幼馴染っつったって血を分けた関係じゃあるまいし、心でもカラダでも好きなだけ求めたらいいさね。鈍い女なら尚さら待ってたって何も伝わりゃしないよ」

 鈍い女───甲斐は数秒ほど瞬きを繰り返して反芻した。
 幼馴染とは説明したが、女と言った覚えはない。
 当たり前すぎて性別なんて念頭にもなかった。道理で微妙なズレが生じているわけだ。

「言い忘れたけど幼馴染は男。一つ上の」

 またぽかんとした表情で前屈みに覗き込んできた千草と目が合う。千草もまた微妙なズレを感じ取ったのか、今までの会話や思考を一から思い起こしているような間ができた。

「あんた、麻績柴の旦那さ。男になんて興味あったの?」
「だ・か・ら、恋でも興味でもないってば。幼馴染と友達はどう違うのかって話を」
「一緒に里帰りしようって誘ってくれた幼馴染が地元のダチと再会してあんたのことほっぽって遊びに行っちまったのが不満なんだろ?」
「まあ、要約すればそういう話。不満とは言ってないけど」
「いーや、不満タラッタラな顔だったよ。捨てられた犬っころみたいな顔してたよ」
「そーデスか」

 ふと、膝枕をしてくれたのは自分がそんな顔をしていたせいかと気づく。
 美人には美人だが、それだけで商売できるほど江戸の郭は甘くない。相手に合わせて細やかに空気を読める女だから客が後を絶たないのだろう。身請け話のひとつやふたつあってもおかしくないのにいつまでも寶屋にいるのが謎だ。

「お千さんは昔一緒に遊んだ男友達が客として来たりしないの?」

 何気なく聞いてみると、千草は酒を飲みながらにぃっと笑った。

「あったあった。こっちもびっくりだけどあっちも驚いちゃってさ、まあお互い大人になったんだしあたしは構わないって言ったんだけどね。やっぱ知り合いは無理だって断られちまった」
「へえ、いい男だネ。初恋の相手?」
「ンな立派なもんじゃあないよ。近所の悪ガキでよく喧嘩したダチ公さ」

 千草は十一で郭入りしたと聞いている。
 それまでは友達でも、以降付き合いがなければ幼馴染とは言わないものか。


 『友達』ではなく『幼馴染』と呼ぶのが当たり前になっていた。
 誰かに聞かれるたびにいつもそう紹介してきた。
 生まれた時からほとんど毎日、朝から晩まで一緒にいた気がする。
 兄弟とは違う、けれども他の友達よりは濃い繋がりがあると思っていた。

 だがどうやらその認識は自分だけらしく、先刻の「相手を思い浮かべながら深く考えずに答えて」という五つの質問の最後が現実を表している。

 保智にとって、自分は何なのだろう。




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