2009年だけど隠密衆は永遠に1706年なのだよ
あけおめスペシャル今年もよろしく!





■■衛明館の人々+αの正月■■


 数十分の死闘の末、妖怪の名前だけでよくそれだけ続いたものだと感心する者は誰一人としていなかった。龍華隊も氷鷺隊も、虎卍隊の隊士までもが顎を外して固まっている。

「……巴、羽根突き得意だったのかい?」

 またも羽子板を割った巴は尋常ではない。連戦でくたびれた圭祐のそれとは違い、隆の羽子板は新品だ。それすらも割るほどの打撃を、巴はぼうっとした風体から繰り出していた。
 剣術は確かに三人衆の名に相応しいが、隆や皓司といった猛将にはまだ及ばず。だが宏幸の例もあるように、羽根突きは刀の実力とはまた別物だという事も十分解っていた。
 それでも、隆は自分が巴に負けるとは思っていなかったのだ。
 誰もが同じ衝撃を受け、数秒前まで白熱していた場がぴたりと静まり返る。

「普通に打ってただけですけど」

 変化球だの消える魔球だのが当たり前のように展開している時点で、隠密衆の羽根突き合戦は普通じゃない。しかし巴のプレーはいろんな意味で反則的だった。
 敗れた隆を見て愉快と言わんばかりの表情を浮かべた皓司が羽子板を取る。

「殿下の敗戦は力点と作用点を無視しておられた事も原因ですよ」
「あーそうか、なるほどね」

 力に対して力で押し返せば、作用点となる隆の羽子板に負担がかかるのは必然。初歩的なことを忘れていたと肩を竦め、隆は皓司と交代した。

「では決勝戦と参りましょうか、巴」
「その前にちょっと水飲んでいいですか。喉が渇いて」
「お好きなだけどうぞ」

 日常あまり喋らない巴は、今日だけで一か月分を喋った気がした。竹筒を深慈郎に渡して戻ってくる動作も実にマイペース。本人至って無自覚だが、このつかみどころの無さも敵の目を欺くのに有利だった。
 審判役の傍ら、さっそく野次に回った隆が面白そうに尋ねる。

「勝算はあるのかな、皓司?」

 皓司は無言で微笑み返し、宏幸から借りた襷で袖を括りつけた。




 元旦の恒例行事として上様をはじめ老中達と膝を突き合わせてきた浄次は、何かと隠密衆を目の敵にしてくる老中・勝呂の毒舌に打ちひしがれてよろよろと衛明館の門をくぐる。

「今戻った……が、何かあったのか」

 我躯斬龍の前でやかましく羽根突き合戦をしているはずの隊士達が不気味な静けさと共に不穏な空気を醸し出していた。野次の後方から尋ねるも、全方向無視。
 隊士を掻き分けて話題の中央まで漕ぎ着けた浄次が目にしたものは、今まさに羽子板を取り落として凍りついた皓司の無言の姿だった。その向かいには羽子板を持ったままぼけっと立っている巴。

「まさか……斗上が青山に敗れたのか?」

 ピシッ、と空気に亀裂が入ったような音がしたのは気のせいに違いない。

「あ、お帰りなさい御頭。お疲れ様でした」

 すかさず立ち上がった圭祐が浄次の元に近づいた。見なかった事にして下さい、と囁く圭祐に押されるがまま衛明館の中へと連れていかれる。しかしあの鮮烈な光景を誰が忘れられようか。自分が敗れたかのような眩暈に襲われ、浄次はしばらく放心していた。

「対抗戦は龍華隊の勝利です。途中で貴嶺様と水無瀬さんがいらして……」

 広間に入った圭祐は縁側にいるはずの姿が消えていることに首を傾げる。

「あれ、貴嶺様どこ行ったんだろう?そこにいたんですけど」

 証拠に、中身のないみかんの皮がゴミ箱を埋め尽くしていた。浄次の帰還を知って茶を持ってきた侍女が「今さっきお帰りになりましたよ」と告げる。よほど御頭に会いたくないと見え、圭祐は苦笑して肩を竦めた。

「という事なので、賞金と有給は龍華隊の皆さんに差し上げて下さいね」

 対抗戦の賞品は金一封か通常の有給にプラス三日間。個人で好きな方を選べる。
 浄次の読みでは確実に皓司が勝つだろうと思っていただけに、些かこの褒美は不安だった。虎卍隊の連中に無駄金をやるくらいなら衛明館の修繕費にでも回したい。しかし勝利の女神は微笑むべき相手に微笑むもの、龍華隊なら惜しみなく与えられる。

「うむ、よかろう。それにしてもまさかあの斗上がな……」
「蒸し返さないで下さいよ。当面それは禁句です」

 ぞろぞろと戻ってきた隊士達を見て取り、圭祐は即座に口止めした。隆ならともかく、浄次がそんな事を本人の前で言おうものなら隠密衆は終わりだ。

「いやー面白かったなあ。あの絶妙なボレーは俺もきっと取れなかった」
「殿下にそう言って頂けると救われますよ」
「でも宏幸と皓司が揃って同じ手でやられるなんてねえ」
「正直者を騙すには良い戦法です」

 耳に手を当てて「え?」と聞き返す隆を一瞥し、皓司は縁側でみかんの争奪戦をし始めた宏幸を呼ぶ。樹には敗れたものの氷鷺隊二十人斬りを成し遂げた手柄は褒めて然るべき。

「お見事でしたね。約束のご褒美ですよ」
「ありがとうございまっす!」

 何がもらえるのかと期待の目で両手を差し出した宏幸に一枚の紙が渡される。

「何スか、これ」
「朝のお掃除券です」
「はい……!?」

 紙を広げると『一階廊下水拭き』『二階廊下水拭き』『風呂掃除』『玄関掃除』など七枚の券が一月七日までの期限付きで連なっていた。

「宏幸は掃除が上手ですから喜ぶかと思いまして」
「……青山さんに負けたのって俺のせいなんでしょーか」
「何をおっしゃるやら。健闘賞ですよ」

 と言いつつ宏幸の頬をひねり上げた隊長を見て、虎卍隊の隊士はそっと後退る。
 今日だけは羽根突きのハの字も青山のアの字も口にしてはならぬ。




 一月七日。
 衛明館の屋根に積もった雪をこそげ落として自分まで落下した宏幸は、再び皓司に呼ばれて雪男の風体で出向いた。朝餉の前で広間にはまだ半数も揃っていない。

「七日間のお掃除ご苦労様でした」

 湿った上着と足袋を脱ぎ捨てて縁側に上がった宏幸の前に、小さな重箱が置かれる。

「今朝作った和菓子です。どうぞ」
「え……あの、え!?」

 何のことかと目を瞬き、勢いで正座した。皓司が自ら作ったのかと聞けば微笑ひとつ、何ゆえにと聞けばこれが本当のご褒美だという。和菓子が好物の宏幸に手作りしてやろうと思ったが材料がすぐに揃わなかったので、と説明する皓司の声も耳に入らず重箱を抱きしめて畳に突っ伏した。

「ありがたき幸せにござりまするー!俺の為に、俺の為にーっ!」
「喜んで頂けて何よりです」

 震える手で蓋を開けてみれば、職人かというほど雅な形の和菓子が詰められている。横から首を覗かせた圭祐を牽制し、ひとつくれよと群がる隊士達を威嚇して、宏幸は重箱を懐に抱きしめたまま遁走した。

「それじゃ掃除は何だったんだーって文句言わないのが宏幸の良い所だよね」

 火鉢の上で餅を焼いている隆が笑う。元旦から毎朝一人で掃除させられていた事も忘れ、喜び勇んで卒倒寸前だった宏幸は天性の馬鹿だ。

「で、掃除は何の為だったんだい?」

 無意味にやらせたわけじゃないだろう、と尋ねた隆に皓司はしたり顔で頷く。

「宏幸は燃費が悪いので正月は特に太りやすいと思いましてね。食事制限は無理ですから、それならばこまめに身体を動かして頂こうと」
「なるほどね。本人にちゃんと言ってあげればいいのに」
「彼は口で言うより行動させた方が早いんですよ」

 隊士の体重管理も抜かりない皓司は和菓子といえど極限まで糖分を抑え、かつ宏幸の好みを重視しながら、朝餉の用意が始まるまでの薄暗い厨房を占拠していたのだ。朝一番に食材を持って現れた侍女が腰を抜かしたのは言うまでもない。

 来年は何にしようかと気の早い話題をつまみに、双璧は焼けた餅をほうばった。







←さらに合戦 その頃の上野→
目次


Copyright©2009 Riku Hidaka. All Rights Reserved.