四十二. 「綺堂ッ! そいつを俺に近づけんな!」 町で巨漢のやくざ者に絡まれても冷静に相手を見下して一網打尽にする朱雀が、珍しく大声を上げて逃げ腰になっていた。腰を掴んで背後に隠れ、ぐいぐいと押し出してくる。 相棒の変わり果てように綺堂は正直困惑していた。 連れ添って二十年あまり、いまだかつてこんな安西は見たことがない。 一体何が起こったのか。来た時は普通に我躯斬龍で暴れていたように見えたのだが。 「なんだ綺堂、俺の紅さんと知り合いなのか? どこで知り合ったんだ、え?」 「こないだ話したっしょ、栗をくれた朱雀さんだよ。紅さんていうのは通り名で……ちょっ、たんま、それ以上近づかないで」 にじり寄ってくる安西とがっちり手を組み合わせて攻防を繰り広げる。 「栗? ありゃお前、野郎だっつったじゃねえか」 「だから、何勘違いしてるのか知らないけど朱雀さんをちゃんと見なって、胸ないから。町で会ったとか言ってるけど人違いだよ」 安西を押さえているから全身を見せてやって欲しいと頼むと、朱雀は猫のようにじりじりと縁側の壁まで下がって棒立ちになった。 ぴったりした西洋風の服装で胸板の厚みはちゃんと分かる。ふくらみではなく厚みだ。 どう見ても女の体つきには見えない。大丈夫だ。 白状すると夜桜の着物を着た女性というのは女体化した朱雀だった。 その日、自分と会う約束をしていたのだ。 知り合って間もない頃だったが朱雀は存外自分を気に入ってくれ、素性は神様なのだと打ち明けてくれた。鳥や猫に化けたりできると見せてくれたのが始まりで、次は女に化けてきてやるから楽しみにな、と面白がって昼飯の約束をしてくれたのが梅の咲いていた時期。 安西とぶつかったのはその日だろうとすぐに勘付いた。朱雀は滅多に女体にはならない。 ……が、安西のこの豹変ぶりたるや如何に。 とても紹介どころではない。 「ほら、ね? 男性だろ?」 「どっちでもいい。俺は紅さんに惚れたんだ、タマの一つや二つ付いてようが気にしねえ」 「やー気にしようよ! 野郎相手なんか死んでも御免だって昔から言ってるじゃん!」 「紅さんが野郎でもオカマでもケツの穴はあんだろ! どけ綺堂、ぶっ殺すぞ!」 「誰がオカマだ! 生きたまま燃やすぞ変態チビ!!」 「やっと俺に話しかけてくれましたね!! あなたの美声はどんな淫らな喘ぎ声でも天女の囁きの如しでしょう!!」 もう駄目だ。何を言っても通じない。 ごめんと詫びを入れつつ、素早く安西の首に腕を回して締め上げた。死なない程度に失神させる力加減と角度は分かっている。数秒でごくりと喉が鳴り、泡を吹いておとなしくなった相棒を抱きとめた。念の為に心音を確認しておく。 「……殺ったか? 仕留めたか?」 後ろから覗き込んでくる朱雀の物騒な質問に苦笑し、安西を縁側に転がしてから庭砂利の上で土下座した。 「不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。まあその、普段はこんな性格じゃないので俺も正直びっくりしましたが……殺生だけは勘弁してやって下さい」 なんで綺堂が謝るんだ、と言われても安西は今弁解できないのだから仕方ない。 元はといえば宏幸に用があって城へ行く途中だった朱雀と町で遭遇し、安西を紹介したいから一緒に行ってもいいかと頼んだのは自分なのだ。 道中、朱雀は安西に興味を持ってくれていた。 お前の相棒ならいい奴なんだろうな、と褒めてくれもした。 それを不可抗力とはいえ裏切ってしまったのだ。 半眼で縁側から見下ろしてくる朱雀に乞うと、長い間を置いて溜息を吐かれる。 「分かった。今のでも十分不愉快だったが今回は綺堂に免じて赦してやる。ただし今後そいつが俺の視界に入ったら容赦しねえからな」 「よく言い聞かせておきます」 「ったく……綺堂のダチじゃなかったらとっくに燃やしてたとこだ」 火を司る神様だから文字通り燃やすのだろう。 帰ると吐き捨てた朱雀は一旦踵を返し、思い出したように傍らの重箱を取り上げた。放心状態の皓司の前にそれを置いて宏幸への言付けを頼み、紅色の鳥に化けて飛んでいく。 「朱雀、怒っちゃったねえ……」 「まあ、ごもっともなお怒りですね……」 朱雀の剣幕に驚いたというよりは安西の変わりようが引き金なのだろうが、隆と皓司は魂が抜けたようにぽつりと呟き合った。 喉がつっかえるような息苦しさに目を覚ますと、広間の天井が見えた。 いつの間にうたた寝をしていたのか覚えてない。我躯斬龍で隊士たちと手合わせしていて、それから───それから…… 「おわ、びっくりした。急に起きないでよ」 布団を跳ね上げて半身を起こし、おそるおそる広間を見渡す。 綺堂はすぐ近くにいたが朱雀の姿はなかった。 「やべえ……なんかすげえ失礼な事した自覚がある」 「えっ、自覚あんの!?」 何だか頭がムラムラして……否、モヤモヤしてはっきりとは思い出せないが、朱雀に好意があることを伝えようとしたのは確かだ。まさかこんな場所に馴染みがあるとは思いもよらず、これを機に親睦を深めようとした。 ああ、それからだ。理性がすっ飛んだのは。 歯止めが利かないとの言葉があるように、本気で落としたいと思う女に巡り会ったのはこれが初めてだった。四十年の人生で。 女遊びは数知れず、自慢ではないが今も昔も町を歩けば割かし上玉に言い寄られる。そのせいだろうか、自分からわざわざ求めなくても女には不自由しなかったのだ。 ついでに言い寄ってくる女のほとんどは人妻だったり未亡人だったり、あるいは同類の快楽主義。本気で女にして欲しいと迫ってくる奴がいないからこちらも本気にはならなかった。 夜桜の着物をまとっていた朱雀は初心のようでありながら男を知っている風でもあり、その危うい雰囲気にたまらなく惹かれた。一日経っても半月経ってもあの美貌と香りが頭から離れず、どこかでまた会えないだろうかと神田の調査ついでに町をうろついたものだ。 見かけたら今度こそ声をかけて、茶にでも誘ってみたいと…… 「安西ちゃんさ、もしかして初恋だった?」 何も言っていないのに綺堂はそういうところに敏い。 「……初めてだ」 やっぱりなぁ、と相棒の嘆息が聞こえる。堪らず布団に突っ伏した。 どんな醜態を晒したかはうろ覚えだが、皓司や隆その他あの場にいた隊士全員に見られたのだ。ちらりと広間に目を向ければ、隊士たちのほとんどが目を逸らしたりそそくさと立ち去ったりする。冴希と深慈郎に至っては二人とも遠慮なく軽蔑の眼差しを送ってくれた。 ───今すぐ死にたい。 「死にたいといえばお前、俺の首絞めたよな」 「仕方ないっしょ……安西ちゃんの馬鹿力と取っ組み合ってたら手首が折れる」 朱雀は怒って帰ってしまったらしい。道理だ。 今度会えたらきちんと詫びよう。そして今度こそ交際を申し込もう。 たしか男だと言っていた気がするが。 惚れてしまえば性別なんてぶっちゃけどうでもいい。 |
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