ゆ き
一、
◆ゆき───1698年・冬◆
「ねぇ。これから用事ある?」
華やかな界隈から離れた一軒の酒場で、二杯目の酒を飲んだ。安酒で水みたいな味しかしない。
酔ったふりをして隣の座敷の男に声をかけてみた。店に入った時からねちっこい視線を寄越してきた男。足をもつれさせ、舌っ足らずな甘えた喋り方をすると、男は全身をたっぷりと眺め回してから茹で蛸のような顔で笑った。
「ないっつったらどうなんだ?」
汚い歯が見える。手首を掴まれると、乱暴に座敷へ引き寄せられた。座敷に手をついてもよかったがあえて男の腿に手をつき、もう片方の手は男の肩に絡める。男の方へ身体が転がるように、草履をわざと滑らせた。くさい体臭だった。
「さっきフラれちゃった。自棄酒したら酔っ払って、今すっごく身体が熱いんだ」
「ああ、たしかに熱いなぁ。こんな熱けりゃ服でも脱ぎたくなるだろ」
「こんな安い酒なんか飲んでないでさぁ、もっとおいしい酒、飲みたいでしょ」
「うまい酒ってのは甘い香りがするんだよなぁ」
「甘くて、気持ちよくなれる酒があるよ」
男の腿を撫でながら、気付かれないようにそれとなく腰の袋を触ってみた。
けっこうな金が入っている。
今夜も退屈しないで済みそうだ、と軽く笑った。
「ん……あっ……いい、そこ……」
「ここかぁ?」
「う……んっ。もっ、と……もっと欲しい」
「そこらの女より可愛い顔していやらしいなぁ、おい。お願いする時はなんて言うんだ?」
「……ぁふ……っ」
「言えよ。もっと虐めて下さいご主人様って」
「や、だ……はやく……ねぇ、おね、がい……」
「嫌ならずっとこのまんまだ。あんたの可愛いモン、縛られて痛がってるぜ」
退屈はしないけど変態だったのがちょっと誤算だ。
まあ、飲んだくれの酒臭い男にまともな人間はいない。
「……ほどいて……痛い」
「じゃあ言えよ、ほれ。ん?」
「いじめて、ください……ご主人様……っ」
「相当な淫売だなぁお前。ほらよ、これが欲しいんだろ?」
「ッぁ……あふっ……や、いやっ……あぁッ!」
金持ちほどよく喋るという法則は、案外どの客にも共通するのかもしれない。あれを言え、これを言えと口で攻めるばかりで、持ち物の方がおざなりだ。おざなりなだけじゃなく、技も一辺倒で抜き差しを繰り返してるだけだった。自分で自慰でもした方がよっぽど気持ちいい。
それでも、汚い座敷の枕元に置かれた袋の中身を全部頂く為に精一杯よがって見せ、馬鹿らしくなるほど大声で喘いでやり、上に乗っかって家畜みたいに腰を打ち付けてくる男を満足させてやった。
三度目も大量に中に出される。三度目といったって酒場を出てからまだ半刻も経っていない。一度目は口でしてやった。だから自分はまだ二回しか出してないのだ。
つまらないと思ったが、男がようやく果ててくれたので金の交渉に入ることにした。
「お金、五両ね」
酒臭さと鼻につく体臭にうんざりする相手だったが、だからこそ大金をぶん取ってやる。
「五両……? なに言ってんだよ、お前みたいなガキなら一両で十分だろ」
「子供だから大金くれてもいいんじゃない。それとも何? 役所に通報してほしいんだ?」
男だろうと子供は子供だ。子供を犯したと役所に知られれば、男の残りの人生はないも同然。むりやり犯されたと役人の前で泣いて演技するくらいどうということもない。
「てめぇ、なめてんじゃねえぞ!」
「僕は最初からいくらだなんて言ってないよ。あんたが勝手に興奮してヤり始めたんじゃん」
「笑わせんなよ。誰が五両も払って男のガキのケツに突っ込むんだよ、あぁ? お前みたいな金にうるさいガキにゃ、五貫がせいぜいだぜ」
これだけ短時間に奉仕してやったのに、金にうるさいのはどっちだと思った。
男の刀が褥の横にあったので、素早くそれを掴んで鞘から抜き放つ。
ぴたり、と喉元に刃を当てた。
「あんたの命とたった五両と、どっちが安いかな。自分なら分かるよね」
ただの脅しじゃない。
ついさっきまで嘘の涙を溢れさせいた目が、今は男にどう映っているか知っている。
身体つきや顔は女のようだと言われても、刀の腕までは見抜けるはずもない。
未発達の少女の身体を犯すように扱った直後、自分より勝る力を見せつけられるのだ。
その欺きが、こういう時には便利だった。
「……へっ、女みたいな身体で何ができるんだよ。斬れるもんなら斬ってみな」
「今の言葉、後悔しないようにね」
言うが早いか、刀を翻して男の股の間に突き刺した。
男がびくりと飛び跳ねて硬直する。一瞬で蒼白になった顔から脂汗と涎が垂れた。
お似合いだよ、と思わず笑ってしまった。
「持ち物の皮が一枚剥がされた気分はどう? 気持ちいい? ねぇ、どうなんだよ」
「…………ぅ」
「う? 喋れなくなっちゃった?」
「……は、払う……。払うから、さっさと消えてくれっ!」
「今日はありがとう。またどっかで会ったら買ってね。そうそう、僕の名前は“ゆき”だよ」
袋をそのまま拾って汚い小屋を出た。
時間を潰そうと思ったのに、まだ一刻も経っていない。
最低の客だった。最低の客が持っていたものでも、金は綺麗だ。
金がすべての世の中。
呑気に暮らしている馬鹿みたいな男達から、ありったけの金を巻き上げてやりたい。身包み剥がして素っ裸にして、地獄の釜に炙られるような人生に突き落としてやりたい。今日も一人、地獄に突き落とした。斬って命を奪うより、恐怖で魂を奪ってやった。その方が面白い。
役人にしょっぴかれるわけでもなく、好きな事をやれるのだ。
身体を売るのが「好きな事」ではない。
大金をぶん取って、一人ずつささやかな地獄に突き落としてやるのが「好きな事」。
近くに川が見えた。
服を脱ぎ捨ててべたつく身体を丹念に洗った。そのまま暗い水の中を泳ぐ。
刺すような冷たさが気持ちいい。
足の指先に魚が当たった。
潜ってみたけれど、何も見えない。
先の人生なんて、何も見えないのだ。
冬もそろそろ終わる。
大嫌いな、この冬が。
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