蔓草の音


一、


 初めて隣合わせで食事をした時、どこか波長の合う男だなと思った。

 向かいの席からあれこれ喋りかけてくる男はそれほどしつこいわけではなかったが、自分が新参者でしかも唯一の女だからか意図的に気を遣われているのがよく分かる。
 ここの人間は大体が後者に同じ。
 元々遊女上がりの身、そういったあからさまな待遇には慣れていた。

 だが隣の男は過去のどんな人間とも気配が違う。
 紅蓮隊の班長だと聞いたが、荒くれ者揃いの隊士とは結びつかない。
 やや痩身で猫背気味、肩ほどまで伸びた癖のある髪を無造作にうなじで束ね、身なりにはあまり気を遣わないのか隊服は少し色褪せている。いつも南蛮物の丸眼鏡を鼻頭に引っ掛けているので野暮ったい雰囲気にも思えた。この風体で本当に剣士なのかと。
 しかしよく見ればスッと切れた一重の目元に色気があるような、端正な面立ちをしているのに気づく。眼鏡を外して背筋を正せばもう少しまともに見えそうなものだが。


「貴嶺さん、貴嶺さん。ぼーっと隣ばかり見てお箸が進んでませんよ。上杉も視線に気づいてるなら声かけてあげればいいのに」

 向かい席の気遣い男、寒河江 隆がおかしそうに笑った。

『はい?』

 期せずして隣の男と同時に顔を上げる。言葉まで重なった。

「前から思ってたんだけど、二人とものんびりしてるところが似てるねえ」
「黙々と食事をする所や日常生活に覇気がない所もそっくりですよ」
「実は遠縁か何かだったりして」

 すでに食事を終えている隆と紅蓮隊の隊長・斗上 皓司が口々に言うと、上座で満腹の体を露にした御頭が楊枝を咥えながら首を捻った。

「沙霧は京の出身で半分異国の血が入ってるんだろ。上杉、お前どこだっけ」
「先祖代々から信州は諏訪高嶋でさ」
「なんの縁もないな。しかし似てるっちゃあ似てる。特にその眠そうなツラ」

 いつしかそんな話題で持ちきりになり、まるで珍獣でも眺めるかのような視線がこちらに集中する。自分はともかく、以前からここにいる上杉個人が話題に晒されるのは失礼ではないかと口を開きかけた時。

「オレはともかく、姐さんは見当違いの話題で騒がれるのは不本意そうですぜ。飯もまだ食べ終わってないし、その辺にしといちゃくれませんかね」

 同じ事を考えていたのには驚いたが、先に発言されたのにも驚いた。
 先に、というより、自分が言おうとした瞬間を見計らっていたような。
 もし自分が発言していれば一部には「生意気な女」と思う者もいただろう。それでも構わなかったが、上杉はそれを見越して代弁してくれたのだろうか。


 入隊して三ヶ月余り、隊内でごたごたしていた物事がやっと落ち着いたばかり。
 ある程度の隊士は把握していたが、この上杉は食事と遠征前後のとき以外どこにいるのか分からず、今まで認識がなかった。
 ある朝たまたま皓司の隣がひとり分空いていたのでそこに座って食事をした時、初めて左隣の男が上杉 柘榴だと知ったくらいだ。

 どこの席に座っても両隣や正面からごちゃごちゃ話しかけられてばかりの毎日だったが、上杉だけは自分に何も話しかけてこなかった。
 無口なんだろうと思えば「茶、要りますか」と侍女より先に空の湯呑みに気づいたり、漬物を取ってくれと頼む前に視線を読まれて皿を渡されたり。自分にだけなら過剰に気を遣われていると思うが、彼は周囲にも満遍なく同じ対応をする。それでいて無駄なことは一切喋らない。
 気づけば何だか居心地が良くて、毎食のように上杉の隣を陣取っている自分がいた。




「上杉。さっきはありがとう」

 食事のあと、侍女が片付けている間に上杉はどこかへ消えてしまい、探すのに苦労した。
 四神の朱雀に探してもらうと「玄関外の桜の木の上にいる」とのこと。鳥でもあるまいに木の上にいるとはどういう事かと謎を抱えたまま行ってみれば、確かに彼は木の上にいた。
 ちょうど背中を預けられる形にたわんでいる太い幹に横たわり、顔に本を被せている。

(寝ているのか……?)

 しばらく待っても返事がなく、また後にしようと館内へ戻りかけた。
 背後にバサリと本が落ちてくる。
 振り返ってそれを拾い、よほど熟睡しているんだなと木を見上げれば───丸眼鏡の奥から掴み難い視線で見下ろされていた。

「なんだ、起きていたのか」
「返事がないから寝ていると思ったんで?」
「普通はそう思う」

 夏の日差しにちらちらと木漏れ日が揺れ、上杉の顔を無数の光が照らす。
 眩しそうに目を細めた彼は頭の後ろで組んでいた腕を片方持ち上げ、深緑の葉を一枚手折った。

「思ったまま口にしただけで、礼を言われるこた何もしてませんや」
「でも絶妙の間合いだった。私も同じことを考えていたから。だから気を遣って先に発言してくれたんじゃないかと思って」
「姐さんの方がオレに気を遣ってますな」

 ふっと小さく笑った顔が空に向けられ、木の下からではよく見えなかった。
 失笑だったのか、本心から笑ったのか。

「居心地が良い場所ってのは誰にでもあるでしょう。そこで他人に気を遣う必要はないんじゃないですかね。好きなように過ごして、好きなように立ち去る。だから居心地が良いんでさ」

 彼の喋り方は抑揚が少なく、表情もほとんど動かないせいで心情が掴みづらい。

「それは分かるが……上杉は気を遣っているじゃないか。私だけじゃなく周りにも」
「遣ってやしませんよ。ただの性分みたいなもんで」

 性分か。
 皓司のような、人の面倒を見るのが生きがいのような世話焼き体質とは違う。
 本当に無意識でやっているのなら相当器用な性格だ。


「じゃあこれからは私がどう感じても礼を言わなくていいんだな」

 当たり前のように受け取るぞ、と含みを込めてみると、上杉は木の上でするりと仰向けの体勢からうつ伏せに反転して片手を下に伸ばしてきた。深緑の葉がひらひらと舞い落ちる。

「勿論でさ」

 眼鏡の奥に優しい光が反射した。
 宙に伸ばされた手は存外繊細で、握ってみるとほのかに温かい。
 何だか木の妖怪に出会ったようでつい笑ってしまった。
 しかし直後に恥ずかしい間違いを犯したと知る。

「姐さんの手は柔らかくて気持ちいいですな。本を返してもらうつもりが役得しました」
「えっ、ああ本か……すまん」





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