天上の花


四、


 異様な気配を感じて外に出てみると、長屋の先に人だかりができていた。
 越してきて数年、この辺りは一度も物騒な事が起こっていない。
 人だかりの後方から路地を覗くと馬が見えた。馬上の主に見覚えがある。平泉といったか、旗本の男だ。想像するまでもなくこの雰囲気は無礼討ちだろう。


「元気に駆け回る子供を善しとせずして、何が為の世でございましょう」

 はっとして足を止める。
 父の声だった。

 前方にいた町人が一斉にびくりと身を震わせて顔を覆った。
 隙間を縫って路地に出、刀を振った男と血の海に浸った父を目の当たりにする。
 自然と体が前に出ていた。

「平泉様、萩本様」
「ん?」

 血の上に膝をつき、鉄の臭いを撒き散らす地面に深く頭を下げる。

「父が御無礼を働きました事、平にご容赦頂きたくお詫び申し上げます」

 頭上に萩本の視線を感じた。
 シャン、と刀を収める音が鼓膜に響く。

「息子か。愚かな親父と違ってその方は分を弁えているようだな」

 父の首に免じて斗上の名は役所に伏せると言い残し、旗本一行は悠々と通り過ぎた。


 町がしんと静まり返る。
 向かいの軒下で、母親に抱かれた幼子が泣き出した。手から毬が落ちる。
 一瞬目が合った母親はその場に泣き崩れて頭を上げなかった。

 そういう事か。

 いつか父はこんな死に方をするだろうと思っていた。
 誰にも驕らず、誰にも諂わず。
 間違っているものは間違っていると糾して譲らない。
 意地っ張りなのではなく、それが父の信条なのだ。
 貫いたのなら本望だろう。

 膝の下で潰れた彼岸花の一片が、父の首を求めて血の海に揺れた。







「父上様? ぼうっとなさって、具合でも悪いのですか」
「痴呆症かもしんないよ」
「まあ大変ですわ。そうなればわたくし、朝から晩まで額に自分の名前を書いておかなければなりませんのね。でも父上様の為なら厭いませんわよ」

 子供達の声に目を瞬く。
 庭は広く静謐としていて、赤い花など何処にも咲いていない。

「ねー親父、何見てたの? 気に入らないとこ発見?」

 先日うっかり庭を壊して自ら造り直した凌は、今さら出来栄えに文句をつけられると思ったのか隣に腰を下ろして同じ目線に立った。

「いや、よく出来ている」
「ふーん? さては俺達の知らない昔の庭を見てたな」

 なかなか鋭い。

「この庭に何があったの、なんて追撃するつもりはないけどさ。物思いに耽ってる親父の姿はあんま好きじゃないな、俺」
「すまなかった。凌の理想を壊してしまったかな」
「理想なんてもので親父を縛ったりはしないよ。そこはご安心を」



 艶やかな彼岸花の着物をまとった子供達に、今から出掛けないかと誘った。
 あの日以来一度も訪れていない父の元へ。

 ついでに、約束を交わしたままだった贅沢な夕食を食べに行くとしよう。









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