天上の花
「ゆえ! 見て見て、面白い形の花が咲いてるよ!」 童のような足音を立てて部屋に入ってきた父が、寝込んでいる息子を見て「あっ」と短い声を上げる。慌てて口元に手をやり、バツが悪そうに身を縮めた。 「……ごめんね、ゆえ。昨夜から具合悪いのにね……」 そろりと布団の脇に寄って正座し、至極申し訳なさそうな顔で覗き込んでくる。 少し熱を出しただけなのに父は何でも大袈裟に反応する癖があった。深夜に馬を駆って江戸一番の町医者を連れてきたかと思えば、ただの夏風邪だと診断した医者を送り届けて帰ってくるなり夜通しの看病。視線が気になってむしろ眠れなかった。 過保護も結構だが、もう少し落ち着いて大人らしく行動して欲しい。 とは思えど口に出して言うつもりはなかった。 この父にそれが出来るとも思えず、また父の個性を批判する気もない。 目も開かないうちから男手ひとつで育ててもらっている恩を思えば、感謝こそすれ。 「いいえ、薬のおかげでだいぶ楽になりました」 そう言うと父は心の底から安堵の溜息を吐いて微笑んだ。整った顔立ちをしているのに、その笑顔たるや屈託のない童そのもの。客観的にもったいない人間だとつくづく思う。 「ゆえは強い子だね。でも我慢したらダメだよ、痛いときは痛いって」 「本当に大丈夫です。それより面白い花とは?」 「面白い花じゃなくて、面白い形の花」 面白い花という表現はおかしい、などと妙なところで知恵を働かせてくれる。 父曰く、面白いものとは唯一無二なのだそうだ。花はひとつきりではないから、そうするとすべての花が面白いと言えてしまうと。……分かるような、分からないような。 「庭の隅っこにね、弁天様みたいな真っ赤な花が一輪咲いたんだ」 と言われても思い浮かぶのは蓮ぐらい。蓮なら毎年池に咲いているのだが。 「弁天、ですか。父上は花の名前をご存知ないので?」 「うん知らない。見たことないよ」 父にも知らない花があるとは珍しい。身内自慢ではないが父ほど花に詳しい人間はいないと思っていた。道端に咲くどんな雑草でも名を聞けば即答で教えてくれるのだ。 ただし外来種であれば未知ということも有り得る。が、そもそも家の庭に外来種はない。 「見に行きます」 「起きて平気? おんぶしてあげようか?」 十にもなっておんぶはない。父にとって息子はいつまでも子供なのだろう。 羽織を引っ掛けて稽古場の庭に赴くと、朝日が直射しない庭の隅にぽつんと赤い花が咲いていた。 自分の膝ぐらいまであるだろうか。 すらりと伸びた葉のない茎の上に、輪生状に広がる幾重の細い花弁。 日陰にあってその赤色は毒々しく、花の概念を払拭する珍奇な姿だった。 「精巧な飴細工のような花ですね」 「ね、ね、面白い形だよね。きっと土の中を転がってうちに来たんだよ」 まだ一輪しか咲いてないので切り落とすには忍び無し、しばらく様子を見てみようと父は言った。細い手がふわりと頭の上に乗せられる。 「ぼくとゆえと、どっちが先にあの花の正体を暴けるか競争しよう」 「私の熱が下がるまで抜け駆けはなしですよ」 「もちろん。だから早く元気になってね」 それから一週間ほどして、赤い花は塀に沿うように群生した。 昨年まで何もなかった場所にひょっこり現れた不思議な花を、父は塀の白と花の赤にかけてめでたい植物だと喜ぶ。だが自分の目には吉兆を感じる花姿には到底見えず、夜に見るその花ほど薄気味悪いものはなかった。 来年の彼岸には咲かなければいいとひそかに願う。 |
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