十三.


 二日後、龍華隊は能登遠征に向けて夜明け前に起き、早めの朝食を取っていた。
 沙霧の爆弾発言がいつ投下されるか分からないので、隊士達はなるべく隊長のご機嫌を損ねないよう細心の注意を払いながら、この遠征が終わったらまた土下座で頼み込もうと決意している。
 日の出と共に江戸を発つ龍華隊を見送る為、普段は爆睡中の時間でも隊士はほとんど起きていた。起きてはいたが、茶碗を持ったまま寝ている者が大半なのも事実である。


「御姉様、いくらでもお替りして下さいね! たくさん作ってありますから」
「朝早くから済まないな。じゃあもう一膳頼もう」
「はい、少々お待ち下さいませ!」
「あ、オレもついでに」
「はい、お待ちくだ……」

 見た目からは想像もつかないほど豪食を誇る沙霧の横で、見知らぬ男が平然と茶を啜っている。侍女は隊士の顔をすべて覚えているが、衛明館に仕えて二年間、こんな男は一度も見たことがなかった。沙霧はしごく当然のようにその男と会話をし始める。

「何も食って来なかったのか」
「真夜中にぶらぶら出てきたもんでして。南天の実だけじゃ足りませんや」
「相変わらず草花を食べ歩いてるんだな。そのうち毒に当たるぞ」
「その時はその時ってやつです」

 鼻で返事をしながら味噌汁に口を付けた沙霧は、後ろで目を瞬いている侍女に言付けた。

「こいつにも持ってきてやってくれないか」
「え……ええそれは構いませんけど、あの、どちら様なんですか……?」

 男は懐から南天の枝をするりと出し、ぷちぷちと実を食べながら半眼を上げる。

「信濃の諜報をしてる上杉柘榴ってもんです。怪しい人間じゃありませんぜ」

 見るからに怪しい本人がそう言うので侍女は突っ込めず、曖昧な顔で笑って出て行った。四年前までこの衛明館にいた男が突然現れ、四年前の隊服を私服代わりに着込み、四年前からそこに居たかのように広間で茶を飲んでいる事など、食道だけを活動させている隊士達はまだ気付いていない。
 それから一刻後、龍華隊が出発した時も彼らは沙霧の後ろ姿しか眼中になく、上杉が見送りの列に加わっている事も知らなかった。銀髪の残像を目に焼き付けたまま昼まで上杉の存在に気付かないほど、彼は違和感なく溶け込んでいたのだ。


 見送りが済んでしばらく館内を散歩した後、隆は囲炉裏鉢と切り餅を抱えて戻ってきた。鉢の上に網をのせて餅を焼き、もうひとつの鉢に徳利を浸した小鍋を載せる。焼けた餅から皿に移し、圭祐が寝転ぶマグロ達に配って回った。

「高井さん、お餅どうぞ」
「また醤油かよ。たまにはきな粉がいいんだけど」
「じゃあいらない?」
「いる」

 宏幸は不貞腐れながら餅を掴み、熱さに絶叫してそれを吹っ飛ばす。入り口の方へ飛んでいった餅は、ちょうど襖を開けて入ってこようとした浄次の顔面に当たった。

「ぐわっ!」
「ああ、ちょうどよかった。御頭もいかがですか? 焼きたてですよ」

 浄次の顔に餅が当たった瞬間を見ていなかった隆は、のんびりと振り返って焼けた餅をひっくり返す。浄次は足元に落ちた餅を睨みつけて「いらん!」と断った。投げた本人は素知らぬ顔でもう一つの餅を圭祐の手から受け取っている。
 浄次は顔に飛んだ醤油を拭きながら宏幸の背を恨めしそうに見つめ、その隣で今まさに圭祐から餅を受け取ろうとしている男に気付いた。

「……何故上杉がここにいるんだ?」
「上杉?」

 聞き慣れない名前を聞いて、隊士達はようやくその存在をまじまじと見つめる。龍華隊を見送ってから今の今まで視界に入っていたのだが、そこに居て当然のように思い違いをしていたのだった。

「な……いつの間にーっ!?」
「姐さんと飯を頂いてる時からお邪魔してたんですがね」

 座敷童子を見るような目で注目する隊士達に、上杉は丸い眼鏡を指で押し上げながら眠そうな顔で言った。眠いわけではなく、元から眠そうな半眼顔なのである。元相棒の甲斐ですら気付かなかった上杉は、餅の中に南天を埋め込んで「赤い豆大福みたいだな」と独りごち、奇妙な視線を浴びているとも知らぬままそれを食べた。

 何をしに来たんだ、という数日前の浄次の疑問が今日になって、ここは休憩茶屋じゃない、という結論に至ったのは言うまでもない。
 衛明館の屋根は、俄かに降り出した吹雪で白くなり始めていた。








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