我輩はネコである


五、


 夜明けも間近に迫った明け六つ前───

 衛明館の二階南部屋付近では、虎卍隊の隊士達が寝相も悪く鼾を掻いている。
 彼らを起こすのは朝を告げる食膳の匂い……ではなく、今日に至っては宏幸の怨念こもった断末魔の一声であった。


『お…おみっ……オニッ………シバァァァーッ!!!!』






「寝不足だぜ、まったくよ」
「何やってたんだ高井さんとこの部屋は……プロレスか?」

 朝餉の前、虎卍隊二班の隊士は欠伸を噛みながら裏手の井戸水を汲み上げた。頭から被って一振りすると、風呂場の中でも水を被るような音がする。

「めっずらしー。朝風呂ってんの誰?」

 二人は興味本位で格子に手を掛け、風呂場を覗き込んだ。女だったら儲けもの、男だったら損得なし。共同生活など所詮はその程度だ。
 だが水を被って振り向いたのが一瞬誰だか分からず、二人は立ち尽くす。

「……誰だっけ?」
「オハヨウ。ぼけっとして、どうしたの」
「……あれ。班長……?」

 いつもに増して何だか色っぺーですね、などとは口が裂けても言えないが、様々な理由で深く関わらない方が身の為には違いない相手。二人は回れ右で背を向け、言葉を濁してその場を去った。

「うちの班長ってあんな別嬪だったか……?」
「しらねーよ……マジマジと顔見たことねえもん」
「いやにスッキリした顔してたよな。お肌つるっつる」

 二人揃って首を傾げつつ衛明館へ戻ると、一班の隊士が昇りかけていた階段の途中で足を止めた。

「おう、うちのハンチョー知らね?」
「高井さん? 見てねーけど」
「っかしーな。朝飯に遅れたことない奴が」

 二班の二人は顔を見合わせ、一班の隊士を階段から引き摺り下ろす。

「なあ。昨夜の絶叫シーン連続再生みたいなの知ってるだろ」
「あー、うちのハンチョーが何事か一人叫んでた、あの」

 階段の下でコソコソと身を寄せ合った隊士達は、意味もなく肩を組み合って円形の陣を作っている。

「もしもよ? もーしーも、高井さんが起きてこない理由があるとすれば」
「あるとすれば?」
「うちの班長に襲われたんじゃねーのか……?」

 三人は黙り込んだ。やがて互いの顔を睨み合い、そしてニタッとほくそ笑む。
 次には揃って階段を駆け上がり、宏幸の部屋に押し入っていた。


「たっかいさーん! 朝でーすよー……と、なんだこりゃ」

 三人が見たものは、布団も敷かず畳に仰向けになって朽ち果てている半裸の宏幸だった。実際は全裸だが、見苦しい部分には上着が掛けられているので半裸。脱ぎ散らかした帯やら下穿きやらが散乱し、枕元には何故か短刀が置かれている。

「高井さん? 生きてるか?」
「……いっ……生きて……な」

 左右の目があらぬ方向を示している宏幸を覗き込み、その首筋から胸元から諸所についた赤い跡を確認して、三人は下世話な笑いを浮かべた。

「まさかあの麻績柴さんといたせるとは、ハンチョー至福の極みだな」
「何たってうちの班長はあんた好みの別嬪だ。中身は遠くに置いといて」
「高井さんのこの見苦しいブツが、うちの班長の……」

 上着を剥ぎ取ろうとした隊士の手首を掴み、宏幸は突然カッと目を見開いて飛び起きた。

「このクソ野郎ッ! ……て、あの強姦魔はどこいきやがった」

 宏幸を取り囲んでいた三人が瞠目する。当人含めて四人の男達は、みな頭上に「?」を浮かべていた。

「……『あの強姦魔』?」

 一人が顔を近づけ、宏幸の頬を平手打ちして覚醒させる。

「襲ったのはうちの班長でも、突っ込んだのは高井さんだろ?」
「あぁ? んなわけねーだろ」

 宏幸は焦点が合わない目で相棒の班の隊士を睨みつけ、しかし腰回りを蹴り付けられたような激痛に悶絶して引っくり返った。

「いてぇ……あの馬鹿サド鬼畜生……ッ」

 畳の上でのた打ち回っている宏幸をよそに、三人の隊士は再び円陣を形成して下世話会議に突入する。

「……おい、どうなってんだ?」
「ハンチョーが麻績柴さんにヤられた……のか?」
「………………」

 各々の顔には「有り得ない」の五文字が色濃く浮かんでいた。その後ろで呻きながら呪いの言葉を吐き続ける宏幸を見下ろし、もう一度引っ叩いて口を開かせる。

「あー確認しますけど。高井さんがヤったんじゃねーの?」
「俺がヤられたっつってんだろ! 何度も言わせんじゃねえ!」
「……高井さんが……ネコ?」

 三人は一呼吸置いて異口同音に『むっさー!!』などと叫び、げらげらと高笑いを響かせて隼の如く大広間に走っていった。



 宏幸は自分が墓穴を掘った事も気付かず、屈辱の噂が電光石火の勢いで広められている事も知らず、畳を這いずって息を吐く。譬えようのない足腰の痺れに耐えかねて、ゴスゴスと額を畳に打ちつけた。

「あのゲス野郎ぉぉぉ……ちくしょぉぉ……お、おぉ?」

 額を上げると、自分の髪が畳にパラパラと抜け落ちる。ぎょっとして前髪を引っ張ると、最悪の想像をしていた宏幸は力尽きて仰向けに転がった。

「……死んでる間に切りやがって」

 指通りのよくなった前髪を摘まみ、下唇を突き出して額に息を吹きかける。
 切り屑が舞い上がり、差し込む朝陽の中に飛散した。


「〜〜〜つぁーッ! 目に入った!!」









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