我輩はネコである
遊郭街が年一度の一斉休業日とあって、甲斐は久々に自室でくつろいでいた。 趣味は郭通いと物の品定め。品定めといっても焼き物狂な御頭のように傾倒したこだわりはなく、貿易商である実家の遺伝のようなものだ。部屋でする事といったら、窓の先に見える城下町の灯りを眺める事ぐらいしかない。 宏幸と入れ違いに風呂を済ませていた甲斐は、唐突に仕切りの向こうから喋りかけてきた相棒の声を無視した。髪切りなら他の隊士にでも頼めばいい。 しかし何かにつけて相棒の特権とやらを振りかざす宏幸は、嫌がらせのように箪笥を蹴り飛ばしてきたのだ。 (これだから末っ子は……) 自分も末っ子であるのを棚上げに、甲斐は乱暴に障子を閉めて立ち上がった。 相棒の性格はあっさりしている時もあれば、しつこい時もある。食い下がる時はとことん食い下がってくる悪質な相手には、二度目の無視は通用しない。 仕切っている箪笥の端を回って相棒の領域に踏み込むと、頭から手拭いを被った宏幸は「よぅ」と罪のない───否、罪丸出しの顔で片手を挙げた。 「ヒマだったんだろ? 髪切ってくれよ。隆さんいねえし」 「風呂上りで部屋を出るのも面倒だし?」 「んだーよ。話が分かるじゃねえの」 要するに手近な自分が利用されたわけだ。甲斐はひとつ愛想笑いを浮かべ、さも当然とばかりに差し出されている短刀を受け取った。 「で、どこをどう切って欲しいのカナ」 「全体的に俺っぽく」 「まっすぐ揃えたい、と」 「パッツンじゃねえ。シャカシャカ!」 手拭いを畳に叩きつけた宏幸は、鼻息荒く立ち上がって詰め寄ってくる。 「パッツンにしやがったら、おめーの顔に俺の名前彫ってやる」 「おや、字も書けないのにどうやって?」 「うるせんだよ! おら、切れ」 部屋の中央にどかりと座って用意周到に半紙を広げ始めた宏幸を見下ろし、甲斐は手の中で短刀を弄んだ。髪よりも首を切られる事を心配したらどうだ、と言ったところで、「は?」とか「あ?」などとすっ呆けた反応をするのだろう。 半紙を掲げて無防備に待っている宏幸が顔を上げ、片眉を吊り上げた。 「何だよ? 実は不器用でしたとか?」 退屈しない相棒ではあるが、減らず口が過ぎるとたまに腹が立つ。甲斐はいつも通りに微笑し、指の間で器用に短刀を回転させた。 「実はネ。首に穴開けて毛細血管だけを引きずり出せちゃうほど不器用で」 「……お前さあ、たかが髪切ってくれっつうだけでどーし……てっ」 つまらない会話を始めた宏幸の襟首を掴んで立たせ、窓際に引き摺っていく。 千鳥足で押されるがままの宏幸は、何を勘違いしているのか足を踏ん張って抵抗し始めた。 「おいオニシバ、なんで窓っ」 「うるさいネェ。髪切って欲しいんデショ」 「っていうか、どーして窓っ」 突き落とす気か、と喚く相手を窓に背を向けて正座させ、その後ろに回って窓枠に腰掛けた。半紙を足元に敷き、前屈みになっている宏幸の後ろ髪を手前に引っ張る。 甲斐が窓枠に座ったのを見て安堵した宏幸は、これと言って注文付ける事もなく鼻歌を歌い出した。呑気な相棒もいたものだ。 小分けにした髪をピンで留め、一番長い襟足の部分を櫛で梳く。見るからにギシギシした毛先の櫛通りは、予想以上に悪い。 「相当痛んでるヨ。揃える前に丸刈りにしようかネ」 「お前が坊主にすんならいいぜ。んで、虎卍隊みーんな坊主だ」 自分の発言に行き過ぎた想像をしたのか、宏幸は腹を捻じ曲げて笑い出した。 「コラ。下向かない」 襟足の髪を根元から引っこ抜く勢いで引き寄せると、上体を起こして嫌味なほど背筋を伸ばした相棒は倦怠な返事を寄越す。 「へいへい、っと。シャカシャカでよろしく」 その呑気面に利用してもらったお礼として、何をしてやろうか。 鞘を足元に放り捨て、甲斐は短刀を抜いた。 |
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