徨い唄


十、


 玉枝の手を取って消えたのは十日も前。
 一週間後に帰ってきたものの三日経っても目を覚まさない息子を、親父はガラにもなく大層心配してくれたらしい。とうとう朱雀に助けを求め、おかげで自分は今こうして稽古場で煎餅を食べ散らかしていられるわけだ。

「まあ解決しちまった後だったけどな。庭でくたばってたお前がちっとも起きねえっつーんで起こしに来てやったの」
「なんか嬉しそうだね、朱雀」
「たりめーだろ。あの瀞舟が俺に 『助けてほしい』 だぜ? 『力を貸してほしい』 でも 『協力してほしい』 でもなく 『助・け・て』 だぜ? 最ッ高に痺れた」

 カミサマの心はよく分からない。
 しかし本来なら人間の理に関わるのを嫌う朱雀がふたつ返事で了解したというぐらい、親父が誰かに助けを請うのは天変地異だ。何が起ころうと他人に頼るまでもなく物事を処理できるだけの頭と腕が親父にはある。
 さすがに妖怪相手ではどうにもならなかったみたいだが。

「私が何かな」

 別室で来客を相手にしていた親父が戻ってくる。客はお帰りになったらしい。
 朱雀はにやりと含み笑いをして「何が?」ととぼけた。

「凌。来週松前藩へ懇親会に行く事になったが、お前も来るか」
「行くー。岩崎のおじいちゃまのとこでしょ」

 祖父を知っている人だ。昔話をたんまり聞かせてもらおう。
 少し家業の話を交わしている間に朱雀はよいせっと立ち上がり、縁側へ向かった。

「んじゃ俺帰るわ。手のかかるガキに困ったらいつでも来な、瀞舟」
「御心遣い痛み入る。二度目はないよう願いたいものだな」
「なんも要求しねえから安心しろって」

 朱雀はにやけ笑いが止まらないまま紅色の鳥に化け、ご機嫌な様子で飛び去る。


「心配かけてごめんね、親父。ありがと」
「結果的には無事で何よりだ」

 反対を押し切って玉枝を選んだ過程がお気に召さない様子。彼女には誑かされるどころか最後の最後まで助けてもらった。感謝こそすれ。
 意識が飛ぶ直前に見た巨大な狐の牙を思い出す。
 憑依しかけていた怨念の塊を食ってくれたんだろう。そして、本来の手毬も。

「玉枝さん、花の本数とかモノを数えるの苦手だった?」
「狐は皆そのようだ。人間と数え方が違うので月謝を財布から取ってくれと言うほどにな」

 なるほど。
 怨念の唸り声でよく聞こえなかったが、聞き間違えてはいなかったようだ。

 ───狐はね、最初の一を十と数える習性があるのです

 約束の翌年を「一年目」ではなく「十年目」と数え、そこから十一、十二、と数える。言葉では一と言えるのに、感覚ではなぜか最初の一から九が頭から抜けてしまうのだと。
 だから自分の計算では四十一でも狐の計算では五十だった。
 何もかもが人間とは感覚の違う妖怪と迂闊に約束事なんかするもんじゃない。
 どの道、祖父は四十一年も生きられなかったけど。


 親父は空白の詳細を聞いてこなかった。
 自分も、特に話すことはなかった。
 しんと静まり返った稽古場の庭で蜻蛉が数匹戯れている。

「おじーちゃんは、苦しんで死んだわけじゃないよね」

 手毬が迷信を気にしていたので聞いてみる。親父は切り揃えた桔梗の花を選別しながら、少し長い間を置いておもむろに口を開いた。

「己の生き方に不本意という選択肢はなかった。そういう人だ」

 所詮、苦しんだかどうかなんて本人にしか分からない。
 不本意な状況で命を奪われたわけではなかった、という意味に受け取る。

「そっか。おいそれとは真似できない人生観だね」

 寝転がって頭を縁側に出し、軒下から橙色の夕空を眺めた。
 低く波打つように燕が飛んでいく。雨が降るのか。
 もうじき夏も終わる。

「私はな、凌。本当は父の実子ではないのだろうと思っていた」
「え、なんで? 顔や性格が似てないから?」
「それもある。だがそれ以上に、父の生き様が理解できなかったのだ」

 生き様が理解できないから実子じゃないと疑う理由も極端すぎて理解できないが。
 上体を起こしてあぐらを掻き、作業を止めた親父の手から花鋏を取り上げて不要な葉っぱを切り落としていった。

「この世で何を見、何を考え、何を為そうとしたのか。決して中途半端な人ではなかったが、志半ばの死であったかと察するには空虚で、父の遺志を最期まで知る由はなかった」

 檜扇の葉茎を剣山にしっかり挿し込み、次いで桔梗と水仙をやや乱雑に挿し立てる。一輪だけ桔梗の花首を圧し折ってくるりと花盆を回し、親父の前へ置いた。

「お言葉ですが、俺だって親父の考えてることなんか分かりません」

 親父は即席の花を眺め、ふむ、とどちらへの感想か分からない感嘆を漏らす。

「そうか」
「そうだよ」

 とはいっても祖父を思い出してみると捉えにくい人ではあった。
 恐ろしく単純なようで単純でなく、知ろうとすればするほど雲を掴まされるような、そんな印象が残っている。
 気難しそうに見えて根っこは単純な親父の方がよっぽど分かりやすい。

「でもさ、ちゃんと血の繋がった親子だって分かったでしょ」
「何故そう思う」
「なぜでしょうー?」


 一匹の妖しが自分の“気”を───祖父の魂に近い匂いを嗅ぎ当てて取り憑いたとはいえ、自分が祖父の生まれ変わりだなんて驕るつもりはない。

 ただ、血縁を疑った「父」と紛れもない血縁の「息子」が似ていると気づいたから、親父は異端の息子を厳しく躾けず生まれ持った個性を尊重して育ててくれたんだと思う。
 それはきっと亡き父を理解できなかった不本意の裏返しでもある。

 だからもっと祖父の姿を自分に重ねてくれていい。
 誰からも好かれ、誰にも理解されなかった稀代の天才を、彼の愛した息子がいつか理解できるように。
 異端の魂の生き様をとことん見せつけてあげよう。
 たったひとりの肉親に置いてけぼりにされたままの、親父の童心へ。



「俺の親父を育ててくれてありがとう、おじーちゃん」








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