微睡の魚
五、
"隊士を放擲しているのはお前だ"
喉に閊えた魚の骨のように、その言葉だけが引っかかる。
龍華隊に負担がかかっているのは自分が彼らを見放しているからなのだろうか。
否、信頼しているのだ。彼らなら大丈夫だと───
「お前、隊士から相談された事があるか?」
「冴希になら、昨日」
「それ以前には?」
「ないです。優秀な人間ばかりですし、俺なんかに相談しなくても」
「出来が良ければほったらかしか」
沙霧は箸を止めて溜息を吐いた。
「巴と話すのは疲れるな。面倒くさくなってきた」
にべもない物言いで残りのところてんを平らげ、どんぶりの上に箸を揃えて置く。四杯目は頼まなかった。満腹になったのは腹ではなく口の方らしい。
もともと自分も沙霧も多弁な性格ではなく、今日ほど口数の多い沙霧は珍しいと言える。
すべては自分のせいなのだが。
隊長と平隊士の関係だった時、沈黙は許された。沙霧自身が喋るのも人の話を聞くのも面倒なのだろうと思っていたが、存外見識のある人だと今になって知る。何も見ていないようで、見るべきところはしっかり見ていたのだ。
立ち上がった沙霧は店主を呼んで勘定を済ませる。
ぼんやりしていて金を出し忘れた。いくらかと聞くと、沙霧は不思議そうな顔で「私が誘ったんだから私が払うのは当たり前だ」と返してくる。何が当たり前なのか分からなかったが、これ以上は聞かない方が良さそうだ。
「とりあえず寒河江さんを見てみろ」
野菜の入った籠を担ぎ、沙霧は軽く辺りを見渡した。
「あの人の立ち振舞いを見て自分に欠けているものを学ぶといい」
私が言えるのはそれだけだ、と残して先に歩いていく。
ほどなくして彼女の肩に赤い大鳥がふわりと舞い降りた。式神の朱雀だ。籠から野菜をひとつ嘴でつまみ取り、ひょいと丸呑みする。沙霧がその頭を叩くと羽を広げて抗議していた。
城門をくぐり、すっかり若葉になった桜の木を見ながら石畳を歩く。
たとえばこれが逆の立場だったら、自分は沙霧に対してどこまで言えただろう。
沙霧の言葉のすべてが理解できたわけじゃない。
けれど、今の自分に欠けているものがあるという忠告は肝に銘じた。
「巴」
ふいに名を呼ばれ、桜の木が喋ったのかと上を見たまま足を止める。
すぐ後ろから笑い声がした。
「相変わらずぼんやりしてるなあ。二階堂さんには会えたかい?」
「ああ、はい」
散歩の帰りか、藍色の風呂敷を携えた隆が横に並ぶ。香か何かの匂いがした。
「納期は二週間後だそうです。仕事の早い人なんですね」
「いやいや、相手を見て仕事を選ぶ職人だよ。よほど巴が気に入ったのかな」
「それなら菓子折りを気に入って頂けたんだと思いますが」
何せ話をする前に完食されたほどだったのだから。
沙霧に会ったことも伝えようかと思ったが、自分の問題に過ぎないのでやめた。
「殿下はどちらへ行かれていたんですか?」
「ぶらっと散歩してきただけだよ。そうそう、面白い話があってね」
町の人から聞いたという小話に始まり、どこそこの店の主人が亡くなって娘婿が跡を継いだとか、川にメダカがたくさんいたとか。何にでも興味を持つ隆の知的好奇心には圧倒されるばかりだった。
「魚に生まれたら楽だろうねえ。川の流れに乗ってスイスイ」
「でも人間に食べられるのは嫌ですね。生きたまま捌かれたら痛そうで」
「魚はそんな後先の危機を考えて泳いでないよ。そこに川があるから泳ぐんだろう。餌があれば食べて泳ぎ、岩があれば避けて泳ぎ、繁殖期になったら産卵の場所を求めて泳ぐ。他の魚も人間も構ってなんかいない。生きる為にひたすら泳ぎ続けるだけの生き物だ」
釣られたらそれでおしまい、と笑った隆は、ふとこちらを見て目を細める。
「巴は魚に似てるかもしれないね」
褒められていないことは分かった。
隆はこう言いたいのだろう。
生きる為にひたすら腕を磨くだけが人生なら魚と同じだと。
魚のように、与えられた川の流れに甘んじるなと。
ゆったりと歩く隆の顔に葉桜の陰が差し込む。
その横顔が、いつかの人に重なった。
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